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深い意味があります


2024年5月30日(木)朝の6:00になりました。

わかってんだクソボケナス、これがぼくの毎日。

どうも、高倉大希です。




毎朝6:00に投稿していることには、じつは深い意味があります。

仏教でいうところの晨朝、いわゆる朝のお勤めが行われる時間に合わせています。


毎日同じサムネイルを使っていることには、じつは深い意味があります。

複雑に絡み合う線は、紀元前3世紀から続くケルティックノットを表しています。


毎回複数の文献を引用していることには、じつは深い意味があります。

異なる文脈の組み合わせによって生じる、セレンディピティを狙っています。


ゲームのなかに意味もなく置かれている石ころがある。「どうしてこれを置いたの?」と訊くと、「なんとなく」とか言うんですけど、「なんとなく」はいちばんダメなんですよ。

ほぼ日刊イトイ新聞(2019)「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた」ほぼ日


毎朝6:00に投稿していることには、大した意味なんてありません。

もの珍しさで読んでくれる人がいるんじゃないかという、淡い期待の産物です。


毎日同じサムネイルを使っていることには、大した意味なんてありません。

書くことで精一杯なので、いちいち画像を選びたくないというだけです。


毎回複数の文献を引用していることには、大した意味なんてありません。

読んだことを忘れないようにするために、それらしく挟み込んでいます。


大事なのは、そのときに彼らが自分たちの行動や方針が一貫して見えるように一定の理屈を立てていることです。それはある意味ごまかしですが、そういった「ごまかしをすることで持続しつつ訂正していく」というのが、ヨーロッパ的な知性のありかたなのです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


意味なんて、後からいかようにも付け足せる。

そう思って書いたのですが、どうにもカッコいい意味がみつかりませんでした。


意味なんて、後からいかようにも取り除ける。

そう思って書いたのですが、どうにもテキトーな理由がみつかりませんでした。


意味を操作するのは、案外難しい。

図らずしも結論は、こんなところにあるのかもしれません。


諸子百家から歌比丘尼、坊さんから先生、新聞人からラジオのプロデューサーまでをつらねて、そのすべてに共通する点は、かれらがみんなシンボル操作の熟練者であるという点である。

梅棹忠夫(1999)「情報の文明学」中央公論新社


毎朝6:00に投稿していることには、じつは深い意味があります。

毎朝6:00に投稿していることには、大した意味なんてありません。


毎日同じサムネイルを使っていることには、じつは深い意味があります。

毎日同じサムネイルを使っていることには、大した意味なんてありません。


毎回複数の文献を引用していることには、じつは深い意味があります。

毎回複数の文献を引用していることには、大した意味なんてありません。






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