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積んでは崩すのくりかえし


2024年5月12日(日)朝の6:00になりました。

スクラップ&ビルドで、この国はのし上がってきた。

どうも、高倉大希です。




今の自分の上に、積み重ねていく。

わたしたちは、学ぶことに対してこのようなイメージを抱きがちです。


知識を増やしたり、スキルを身につけたり。

足し算のように、積み重なっていくイメージです。


しかし実際のところは、そうでない場合がほとんどです。

積み重ねたものが崩れるその瞬間に、学びが生まれているのです。


学問をするとは、目からウロコが落ちること、じぶんのみかたがガラッと変わることです。自分がガラッと変わると、どうなるか。それまでの自分は、いったい何を考えていたんだと思うようになります。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


こう思っていたのに、実際はこうだった。

この差分が、学びになります。


積み重ねたものを、ガラっと崩す。

もはやこの差分を大きくするために、積み重ねるのかもしれません。


崩すために、積みます。

積むために、崩します。


「なるほど、そうきたか」と想定外の出来事を受け入れて、楽しもうとすること。それが創造的対話に即興的に伴走していくために必要な姿勢です。創造とは壊すこと。自らの当初の想定が壊れる瞬間にこそ、創造の種があると考え積極的に受け入れていく姿勢が求められます。

安斎勇樹、塩瀬隆之(2020)「問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション」学芸出版社


この崩すという行為が、案外難しかったりします。

なぜなら、積み重ねてきた過去があるからです。


大事に大事に、積み重ねてきたわけです。

積み重ねれば積み重ねるほど、崩す躊躇いも大きくなります。


知らないうちに積み重なっているなんてことも、わりとよくある話です。

だからこそ、崩すためには他者の力を借りなければなりません。


バフチンによる対話の定義がどういうものかというと、「いつでも相手の言葉に対して反論できる状況がある」ということです。バフチンの表現で言うと「最終的な言葉がない」。(中略)そのようにしてどこまでも続いていくのが対話の本質であって、別の言いかたをすると、ずっと発言の訂正が続いていく。それが他者がいるということであり、対話ということなんだとバフチンは主張しているわけです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


話をするか、本を読むか。

手っ取り早いのは、このふたつです。


自分で崩すことができれば理想的ですが、なかなかに至難の業です。

他者の力を借りて相対化することで、積み重ねたものを崩すのです。


崩すために、積みます。

積むために、崩します。






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