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独裁者的な人が苦手

私は独裁者的な人が苦手だ。
毒親気質の親を連想させるからかもしれない。
独裁者的な人とは必ずしも高圧的な人とも限らず、表向きは良い人っぽく見える人もいるから厄介だ。(ちなみに母は外ではヘラヘラしている😅)

付き合っていくうちにどこかで小さな違和感を感じてくる。
そんなことを気にする私の方が了見が狭いのかなと思い、気付かなかったことにして付き合い続ける。
それが積もり積もってくると、ある時、急に相手への嫌悪感が噴出し、そこで初めて無理をしていた自分に気付く。

そんな風になる前に自分で相手との距離感を調整すれば良かったのに。
八方美人的な自分の性格がそれをできなくしている部分もあったのではないかと、過去の自分を振り返ると思い出される。
最近は自分の中に感じた違和感との付き合い方を、だいぶ心得てきたような気がする。
そもそも、人間とは違うものなのだということを認識、受け止めることができていれば、距離感の調整というものをもっと自然にできていたのではないか。

自分が親しくしていると感じた相手に対して、知らず知らずのうちに持ってしまった期待感が裏切られると、相手に違和感、もしくは嫌悪感を感じる場合も出てくる。
どんなに親しくしていようとも、違う人間なので、期待はあくまでも期待に留めておく方が良かったのだ。
期待の結果を期待することは、自分に生きづらさを与えていることと同じではないか。
そのように今の私には理解できるが、当時の私にはその概念が乏しかった。

自分に生きづらさを与えているという表現は、少し綺麗すぎたかもしれない。
要は、自分の傲慢さが相手への期待を勝手に増させていたのである。
人付き合いだけでなく、人生そのものが、自分の傲慢さに振り回されると、下手すると自分で自分の首を絞めていることにもなりかねない。

そうやって私は長いこと、不器用に生きてきた。
八方美人、これ自体はそんなに悪いことでもないと思うのだけど、八方美人を割り切って(自己責任の元に)やれているか、やれてないかが問題のような気がする。
八方美人を、ただ人に好かれたいが為にやっていると、無理をしてしまうし、相手との距離感も見失ってしまう。

生きるということは選択の連続ではあるが、その選択に責任を持つことも大事なことなのではなかろうかと、人生半分以上、生きてきて、ようやく、なんとなく理解してきた状態の私なんである。
まあ、つらつらと書いてきたが、これはあくまでも私の考える人生論であって、これが正しい在り方というわけではないことをご理解願いたい。



徳永英明さんのシングル「夢を信じて」のB面だった曲「ラバーズ」です。
私はこちらの曲の方が好きです(^^♪



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