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文章を書くことで、私はきっと生き長らえている

正直言って、私の日々は、記事に書いてるよりも、あらゆる面で切羽詰まっている。
実際は、無様そのものだ。
だからといって、私の日々が何もかも否定要素だらけなわけでもない。
そのかすかな希望を、一生懸命、膨らませて、自分の生きる力に変えようと思いながら、投稿を続けている。

文章を書くことで、私はきっと生き長らえているのではないかと、思うのだ。

病気をしてから、夫婦喧嘩が多くなった。
普通なら、そんな馬鹿な?と思うかもしれないが、現実の話である。
病気をしたことによって、私は仕事ができなくなった。
その上、かかる医療費だけは半端ない。
膠原病の判断に必要な抗体的には膠原病なのに、難病(膠原病)認定されなかった為、医療費が家計に重くのしかかっていた。
故に、夫婦喧嘩が増えるという、なんとも皮肉な展開となっていた。

難病(膠原病)認定、よくわからない基準が多い。
私は抗体的には、明らかに、皮膚筋炎という膠原病なのにだ。
重症化して専門病院に行った時に、ステロイドという強い薬を飲み始めたばかりだったので、皮膚や肺(間質性肺炎)などのわかりやすい症状が一気に回復してしまっていた。
その状態では認定の為の検査すら意味がないものになってしまう。
症状が顕著に出てなければ、認定にはならない。←ならば大学病院に紹介するな!

世の中には、私のように、明らかに難病なのに、タイミングとか、何かしらの事情で、認定とならない患者さんが多くいる。
認定されないということは、医療費の圧迫だけでなく、勤める際にも不利益を生じやすい。
難病認定されていれば、障がい者雇用で働くという選択肢があるからだ。
もちろん、難病認定されれば、必ずしも障がい者手帳を発行されるわけではないようなので、ここでも関門があるわけだが。

すっかり不健康になってしまったとはいえ、まったく働けないほどに寝込んでいるわけでもないのだから、体調がいい時には働きたいのである。
できるなら在宅で仕事がしたい。
しかし、持病の話をした時点で、外にお勤めするにも、在宅で働くにも、敬遠されてしまうのが実情だ。

この疎外感は何だろう?病気をしているというだけで、社会からはみ出し者の扱いを受けているように感じる。
私が自己肯定感をなかなか持てないのは、こういったことも背景にあるのは否めない。

だからこそ、私は文章を書くことで、せめてここでだけは、健康的に生き長らえようとしているのではないかと思う。






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