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思いのままに雑感です。

このところ、命のことと向かい合いすぎて、疲れているところが私にはある。
命と向かい合うことは尊いことだけど、ずっとそればかりを考えていると、やはり疲労感が出てくる。

とはいえ、人生半分以上も生きてくると、人の生死に関わることが、日常的に起こってきたりする。
今年になって、伯父が亡くなった。
脳の病気で倒れて以来、20年近く、ほぼ意識のない状態でベッドの上で過ごしてきたが、旅立ってしまった。
20年近くも見守ってきた親戚のことを思うと、想像を絶する状況すぎて、なんとも言葉がない心境になった。

SNSで交流があった人との別れもあった。
人づてに聞いたので、詳細はわからないが、突然の話にショックを隠せなかった。
SNSとはいえ、人間関係だ。
心通い合わせて語り合った方との永遠のお別れは、私の心にぽっかりと穴が空いたような感覚をもたらした。
食べることが好きな人だった。
だからこそ、生命力を感じさせてくれる人だった。
そんな方がもうこの世にはいないなんて、とても信じられないが、これは現実なのだ。

この先、いくつもの別れを経験することになるのだろう。
その都度、私は命を思い、涙することだろう。
しかし、難病闘病中の私は、自分自身のことも同時に考えないわけにはいかないのだ。
私の命だって、いつ召されるかわからない、天国に行けるのかだってわからない。(苦笑)

そんなことを思うと、本当に、今この瞬間を大事に生きたい、そう思うのだ。
大事に生きたいって、そんなたいそうなことではないのだろうと思う。
ごくごく、普通に暮らすことこそが、今この瞬間を大事に生きていることになるのだろうなと感じる。

しかしながら、生きていると、ちっちゃいのかおっきいのかわからないような面倒なことに、心も頭も悩まされる時がある。
人間とは面倒な生き物だなとしみじみ思う。
合う人もいて、合わない人もいて、理解し合える人もいて、誤解ばかりになる人もいて、それが当たり前だとわかっているのに、その都度、人間関係に少なからず気を取られる自分がいる。
これは、感情ある人間ゆえ、もう、やむを得ないことと腹をくくった方が潔いのかもしれないね。



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