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脳内セックス=通知戦争.戦争=多幸病かつLGBTを超えた理由.(死霊美術論#6)

 ボクより美しい美少年は存在しない。

 誤解しないでもらいたいが、同性愛者でもなければ異性愛者でもなく、より近親相姦的な母親第一主義者だし、より厳密に言えば、ロボットとセックスしたいとさえ思っている。

 これは皆も実はそうであり、冒頭からキチガイじみて仕方ないが、性に対する造詣度が低すぎるから今の社会治安は悪くなっているし、当然、大学はもう本当に終わったと思う

 ようするに、同性愛者と異性愛者は同じという話からはじめてみたい。
 
 俺には弱虫なぱくもとやメンフィスが不細工な女性に見えている。

 異性愛者はよくゲイやホモを避けたり差別するが、よくある話で本当に関心がないのなら、無関心のはずだ。

 私は性欲が薄いため、女の子のLINEを80人ブロックしたこともあるし、不謹慎系YouTuberのなりかたよろしく女子供を攻撃対象やマーケティングによくする。

 本当に恋愛や結婚、セックス、他者に興味がなければ、女の子を虐めることに、異性を虐めることに何も感じないし、究極的に遺伝子率の高い母親やロボットで良くないか?という遺伝子を一見すると残せない話になってくる。

 私が女の子を殴ったり、究極的には母親も生きていなくていいかなと思うのは、ある意味で悟りの境地を知りながらも、生存本能や性欲を維持する切り分けをしているからであろう。

 なので、異性愛者と同性愛者は極まったフェチ、とりわけ生存本能に支配されすぎた恐怖願望がとりわけ出過ぎた形にすぎないのだ。

 よく言うだろう?好きの反対は、無関心だと。本当に嫌いなら、そもそも関心がないのだ

 しかし、今は、異性愛者と同性愛者のパラドクスが起きていると思う。

 実はこれ西洋の大学教育という新興宗教が終わるという話と同じなのである。

 異性愛者と同性愛者という発想が解像度が低すぎる動物理解なのだ。

 もちろん異性愛者と同性愛者が同じというのはどういうことか?という困難さがあるが。

 ここで利用できるアイデアは実は共産主義である。なんら驚くことでない。マルクスの唯物論よろしく実は共産主義は最も科学的なものを目指すものだからである。

 フランス共産主義の泰斗、ルイ・アルチュセール曰くなぜ近代国家が国家を作るようにするか?というと、追いつき追い越せ、という天皇や貴族とその下にいる兵隊や平民といった差を作ることで上の人間たちは立場を維持して下の人間たちは立場を上げようとお互いとお互いが競争するように見えざる手で操られていると看破した。

 これは近代国家だけでなく、近代的な家族もそうだ。追いつき追い越せ、ラカンの鏡像論を引用するまでもなく、ルイ・アルチュセールあたりからすでに、子供はお母さんを愛し、しかし年をとるとお母さんから距離を置かれてパパのように頑張り、そして、お母さんの代わりになる恋人を作るように急かされて、そして老いたパパにいつしかなったら、今度は息子に老害扱いされる悲しきループを繰り返して種を再生産するように圧迫されているのだ。

 つまり、家族や恋愛願望は資本主義的な競争、近代的な西洋の圧迫であり、だから、もちろん直感的な動物本能も相まって異性愛者を礼賛し同性愛者を嫌悪するのだ。

 異性愛者を礼賛し同性愛者を忌避するのは、近代的な生きるための社畜リテラシーである

 ここで偏った同性愛者という嘘の物語、神による神話が西洋人の間で流行する

 戦前に同性愛者が地味に流行り、戦後にLGBTが流行ったのは、西洋人の否定神学的な戦略、もちろん直感的な負け犬根性の開き直りにすぎない。

 シンプルに言えば、異性愛だ!同性愛だ!とうるさすぎるのは、気にしすぎな神経病だ

 YouTube上で毒親にブチギレる毛玉海賊とモザイクにあったことがあるが、2人とも躁鬱的で、躁になったり哲学的にジャブで問い詰めると母親や父親に対するヒステリックな近親相姦な愛をヤンデレぎみに告発することになったのだ。

 要するに、毛玉海賊とモザイクは俺以上の近親相姦主義者である。

 男女の営みは子孫を残すにすぎないが、人間は人間である以上、本能が壊れた動物である以上、愛情は子孫を残すにすぎないことを認めることが不謹慎系YouTuberのなりかたよろしく困難で認めることができないのだ。人間である以上、必ず騙される構造的な欠陥がある。

 話をまとめると、同性愛者と異性愛者は単純に勝ち負けゲームであり、極端な好意と嫌悪は同じということが分かったはずだ。

 ここから具体的な病の処方箋に入ろうと思う。

 なぜ日本人が近年にトマホークよろしく高学歴メンヘラや結婚、反出生主義に悩むかと言えば、

 同性愛者だと認めたくないからだし、

 同性愛者も異性愛者も存在しないからだ。

 どちらもグラデーションであり、ただキャハハうふふする非性的干渉もカジュアルな同性愛の一部だと認めることでこの言語的な神経症の病は解決すると思う。

 ここで、大雑把に言うと、西洋人の大半はキリスト教というイエス・キリストよろしく厳密な父を信仰するカルチャーだ。

 社会に貢献するために、両親に貢献するために、異性と愛の巣を作ることは最高の勝ち組だ。

 しかし、同性愛者は負け犬だろうが?

 否、西洋だと同性愛者は負け犬がゆえに、ピエロとして救われる、今だと助けるべき弱者として見られたり、クリエイティブやアーティストだと解釈されてもいいような土壌があるわけである。

 要するに、仮に異性愛者として欠落品、つまり動物として社会貢献ができない負け犬でも、同性愛者という社会の踏み台&トリックスター、子供として生きることで存在が許されるのである。

 勝ち組が維持されるがゆえに負け犬は必要だ。異性愛者は同性愛者と共犯関係であって、異性愛者のほうが同性を愛し、同性愛者のほうが異性を実は愛している、という奇妙な矛盾が発生している。

 しかし、これは社会的に近代が徹底されたイギリスやアメリカといった先進国のあくまで抽象化された図式だ。

 日本人はそもそも遺伝子的にも環境的にもこの厳密すぎる極端な異性愛者と同性愛者の関係が当てはまらない曖昧なジェンダーだからである。

 証拠に日本の同人誌の文化は凄まじく、痴漢やレイプ、寝取り、男の娘や近親相姦、獣姦、催眠、洗脳など凄まじいヤバさである。

 西洋人がステレオに日本人を変態だの破廉恥だのキレるが間違えている。

 実際に、痴漢やレイプ、近親相姦をしないがゆえに、痴漢やレイプ、寝取りものを見るのである。

 アイロニカルな没入。

 たとえば、ウという緑ピンクの女装二次元アカウントのツイッタラー、Twitterという場によくいる彼と実際にオフ会したり話したことあるが、彼は大雑把には異性愛者だと言っていて、こいつ分かってるな、と思ったことがある。

 カジュアルにオサレに同性のオジサンとも付きあったことがあるが、やっぱり異性愛者だと気付かされたらしい。

 彼曰く、クリエイティブで頭を使ったり現実逃避、現実から逃避するために、何度も強調するが、現実から逃げるために、普通じゃありえない緑ピンクの美少女を演じることをしたのだ。

 つまり、SNSや社会の世論が嘘だからこそそこに見下しながらも愛するというアイロニカルな没入をしたのだ。

 ようするに、西洋人は良くも悪くも神経症すぎるが、東洋人は良くも悪くも躁鬱病に近しい。

 もちろん西洋人も東洋人も進みすぎて、西洋人は西洋人で過剰に同性愛者たちをアカデミックで異様に礼賛し、東洋人は東洋人で異性愛者になろうと頑張っても、リア充?団体に溶け込めず、いや!リア充団体なんてそもそも東洋人に存在せずに、無理して過剰に神経症的に西洋的な恋愛というキリスト教にハマり、その反動で大多数の意味不明なぼっち系YouTuberだとか反毒親だとか反出生主義者たちを大量生産してしまっている。

 意味から逃げたくて極端なリア充な同性愛者になりたい西洋人たちと意味へ逃げたくて極端なリア充な異性愛者になりたい東洋人。

 どちらも、単に、やりすぎ、だよ、という話しにすぎない(笑)。

 単純にカジュアルにスタイル感覚に、あ、この人好き、あ、この人嫌いでいいし、逆に言えば、真剣に交際しよう!ポジディブに、そして、そのポジディブが失敗したらそれはそれで人生だでよろしい。

 これでようやく異性愛者と同性愛者という対立的な言語的把握が近代的な極端な西洋人と東洋人、極端な高学歴と低学歴、極端な男と女といったあらゆるすべての主従関係にパラフレーズできることが分かるはずだ(全体の近代の超越に関しては、拙著『本は破れ!』に詳しい)。
 
 よって、大学を階級に見る新興宗教の不毛さはもうおしまいだ。上にいけば、下にいき、下にいけば、上へいき、ぐるぐると苦しむ地獄なヘヴンなのだから(これが千葉雅也が異性愛者という同性愛負け犬日本人陰キャ芸人の全てであり、複数の性を提唱したジル・ドゥールズが相棒のフェニックス・ガタリと付き合わず奥様を愛しながらも矮小な自分に絶望し飛び降り自殺したドゥールズのくだらない限界だった)。

 さて、2020年から始まるネット炎上やコロナ禍による自殺者や喧嘩を逆精神病院というYouTuberが通知戦争と評した。嫌な相手に通知を送ることで相手を自殺に追い込んだり、逆に自殺者やコロナ禍情報というネガティブな同調圧力が通知によって感染していく様を表したSNS時代の新たな戦争である。通知で人が死ぬなんで、伊藤計劃のハーモニー、虐殺器官も驚きだ。

 このSFじみた現代のSNS問題も異性愛者と同性愛者という性の問題と同じだとしたらどうだろう?。

 実は、アンチとファンが同じよろしく、ファンチ。よく言われる熱狂的な点でアンチもファンだよという話しに近くて、通知戦争は無自覚な愛情の暴走から起きているのだ

 誤解を恐れずに言えば、ウクライナはロシアを愛しているし、ロシアはウクライナを愛しているから、戦争するのだ。

 本当に戦争をしたくないなら、強そうな敵側に寝返ればいいし、他の国へ逃亡すればいい。

 お互いに相手を尊重し意識するがゆえに、戦争は起きるのだ。

 しかし、もちろん話はきれいでなく、異性愛者が相手を同性愛者(女や弱いなんでもよし)と思い虐める構図と同じで、無自覚に隠された愛情の非言語化が相手を攻撃する手を緩めることができないということだ。

 身も蓋もなく言えば、自分の奥さんをいつも愛しているよ愛しているよと囁くことは真逆に言えば、むしろ、オマエは本当にオレを愛しているのか?愛しているのか?という不安という愛情がいきすぎた攻撃かもしれない。

 橘玲よろしく性愛や友情は小さな空間でしか起きない。

 だから、基本的には好きだったり気になるから、攻撃しちゃう無意識下の暴走、アンコントロールラブルこそが、通知戦争の真実だ。

 西洋人は同性愛に神を見出し、逆に東洋人は西洋人の神経症をストイックさと読み替えてウットリしてしまっている。

 言っておくが、SNSにおける通知戦争、メタバースには本来は勝ち負けは存在しない。

 なぜなら、本当の戦争と異なり、メタバースは身体を伴った戦争でなく、脳と脳をぶつけ合うAIによる超AR戦争だからだ。

 ここで更に話がややこしくなるのは、SNSには身体性がないということ。

 登録者数や人気不人気、異性愛といった大雑把な視野に洗脳されず、SNSというメタバース、シンギュラリティ時代の新たな性空間にすぎないのだとマインドシフトしないとならない。

 身も蓋もないが、ネットは盛れるし、ネットで誰でも盛れるのに人気者や不人気者、好き嫌いのフェチがこんなに出て盛り上がるのは、

 最終的に盛れないでお互いに人気不人気やフェチが分かれるのは、脳というAIを超えているかもしれない美だからである。

 盛る盛らないだとみんな美人だらけで差はつかないしAIで代替できる部分もあるが、

 通知戦争における裏面は、脳内セックスであり、自分の脳みそと相性が良い人とイチャイチャしてしまうという身体を超えた愛情が流行りやすいという面がある。YouTuberやTwitterと一応は現実の造形的なリアルに合わせているが、先程のウよろしく緑ピンクの美少女なんていう神の真似事はもはやグロテスクな仏陀やキリストの真似事だ。不謹慎系YouTuberのなりかたよろしく目の前に仏陀やキリストがいたら頭の悪い人間は途端に同性愛者になってしまう。

 もちろんそのカジュアルな同性愛、というかウやVtuberにより可視化されたカジュアルな脳内愛は脳内愛だって通常の身体性のある性愛よろしく遺伝子比率にすぎずいくら洗脳と言えども、究極的には、恋はドラッグよろしく楽しむ分にはけっこうだろうし、脳内と脳内のセックスは不可能性ゆえに美しいかも知れない。

 しかし、現実の恋愛や結婚もよく見るとお互いに男女が男女のすれ違いからか喧嘩したり美人は3日で飽きるが起きてしまう。

 愛情こそ戦争なのだ。

 それが登録者8000や10000人で大量脳内セックスできるんだから、それは通知中毒になり、そして、その多幸病が故のいきすぎた友愛が反転して通知戦争という過剰な憎しみ、そして憎しみを感じながらも愛情を感じるという、酔っ払いコミュニケーションに似たウザ絡み、開き直り、コミュ障具合を発達させていくのだ。

 この西洋人による異性愛者と同性愛者の関係を最悪に発展させた最悪すぎるSNSにおける通知戦争はイギリスの病をアメリカが発達させて、メタバースにおける東洋人たちがtiktokよろしく発達させた性愛と憎悪のパラドクス、矛盾の第三形態かもしれない。

 身も蓋もないが、第四形態は中東やアフリカだろう。

 では、解決策は改めて? 

 男性的にいくなら不謹慎系YouTuberのなりかたよろしくどうせ西洋も東洋も嘘なんで、ただ遺伝子的には若干残ることをぼんやり理解しながら、木村花死んでくれてありがとうございま〜す!とシラケることで価値相対化していくことが重要だろう。

 女性的にいくなら本気の愛しかないかもしれない。

 西洋的、嗚呼、西洋的。

 もちろん本気の愛しかないが故に、こちらも同性愛も平和もないんだよと真剣な愛にたどり着くために、不謹慎系YouTuberのように目的や結果でなく、手段や過程として真剣にTwitter、真剣を目的に、途中でシラケないといけない。
 
 だから!

 お酒に頼っている場合じゃない。

 大学に頼っている場合じゃない。

 宗教に頼っている場合じゃない。

 のだ。

 嗚呼!愛情も憎悪も存在しないプラトニックラブすぎるエピクロスの園に行けたら!

 否、曼荼羅は破り裂くこと。

 徹底的に体系化された図式に、この抽象化されたテキストにも、強い意味で否(ノン)!を叩きつけて、小さいがひときわ目立つ微分点を造形すること。

 円を描くのでなく、あくまで美しくなければならない!

 ニヒリズムな不謹慎系YouTuberをやめて、オプティマスな美少年に、古田更一のような美少年にならないとならない!

 最後に、母親と私に似たデュラララというアニメの2人の姉弟、矢霧 波江と矢霧 誠ニを紹介しよう。

 池袋を中心にする矢霧製薬の天才科学者兼最年少でトップにたどり着いた鋭い美人の才女・矢霧社長は、実は弟を溺愛していた。異常なまでの英才教育による無意識のトラウマで弟に執着するようになったのだ。

 同じく異常なまでの英才教育の被害でデュラハンという美少女すぎる妖精の首つきの顔に執着するようになった矢切誠ニは、自らのストーカーである張間美香を殺害し、張間の身体とデュラハンの首をつなげて、目が開かなかったデュラハンの目を開かせて、デュラハンという神話に出るようなフランケンシュタインな美少女を復活させることに成功する。

 しかし、ヤンデレすぎるブラコンな矢霧波江の陰謀であり、ヤンデレ・ストーカー張間美香をデュラハン似に似せた整形であった。

 波江はデュラハンにも、そしてストーカーにも幻滅してほしくて、ストーカーの顔をわざわざデュラハン似にさせたのだ。

 神にもそしてグロテスクな他の女にも取られたくない近親相姦主義者な波江。

 悲しいかな、嗚呼、その近親相姦も毒親的な英才教育で刻まれた性癖だとも気づかずに両親の呪縛を乗り越えるのは神にすがるヤンデレすぎる弟だと盲信して。

 悲劇、悲劇、悲劇。

 矛盾、矛盾、矛盾。

 最終的に意味不明な狂気すぎる3者の恋愛関係は、首なしライダーになりさがった本物のデュラハンとの成長とともに発展し、大人の関係に熟成されていく。

 理想と現実。現実と理想。

 ちなみに、ほとんど無感動すぎるサイコパスなのが矢霧誠ニだ。
 
 サイコパスがゆえに神へ首だけ顔の美少女にヤンデレ化する矢霧誠ニ。

 いきすぎた弟愛が暴走したヤンデレすぎる矢霧波江。

 誠ニと付き合うならどんな人間でも襲う張間美香。

 そして、人間以上に人間らしい首なしライダーのデュラハン、セルティー。

 波江に後ろから抱きつかれた誠ニがカップラーメンを食べながら話した一節で完結しよう(確か)。

「たとえ姉さんだろうと、デュラハンの首つき顔を殺したら、殺すよ」

「別にいいわ!誠ニに殺されるぐらいなら、本望よ!」

 不謹慎系YouTuberのように愛の無意味さに気づくこと!

 そして

 メディア・アーティストとして愛の意味さに意識して苦しむこと!

 お酒に逃げずに!

〈追記〉

ここまで迂回してきた処方箋は、

恋に

愛に

自覚的に焼かれることだ。

あらゆる全てにストイックに裁かれることヲ!


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