#3不登校中学生だった私が手にした自己実現の起爆剤
この私の自己紹介シリーズは
自分でも引くほど多い挫折や失敗を繰り返しても、
人生は何度でもやり直させて頂けること。だから大丈夫。
というメッセージを込めています。読んで下さった方の心がちょっとでも軽くなったり、気持ちがほんの少しだけ楽になる瞬間がありますように。
前回の記事では、
というお話でした。
今回も引き続き、不登校中学生だった私がその後どうなっていき、何を得たのかに焦点を当ててゆきます。
不登校中学生、なんとか高偏差値志望校へ
冬季うつ病から来る絶望や悲しみの感情の嵐にさらされながらも、塾へ送り迎えしてくれた母と勉強センスの良い家庭教師のおかげで、比較的偏差値の高い志望校に合格することが出来ました。
中学の卒業式には出られなかったけれど、闘病と受験の2つを「乗り切った」という自負と共に、中学が終わって憧れの高校生活が始まれば大丈夫!という新生活への期待が膨らんでいました。
(うつ病を持ってても相変わらずどこかポジティブ笑)
憧れの高校生活はわずか数か月で終了
ですが、札幌3年目の秋が訪れると再び情緒不安定に。
ただでさえ悩み多き年頃。自分の冬季うつ病との付き合い方もまだ知らない私は、友達付き合い方にも失敗し、さらに高校に通い辛くなってしまいました。
しかも、冬季うつ症状は年々重くなっていき・・・
義務教育だった中学とは違い、進級可能な出席日数が足りなくなった私は高校を退学せざるを得なくなりました。
友達もほとんど居なくなってしまい、それからは圧倒的な孤独感と、人生に失敗した残念な自分への失望感と付き合い続けることに。
通信制高校に転入しても病状は悪化するばかり
月に数回のスクーリングと課題提出で単位を取る通信制高校に入り直しましたが、夏季には心が元気になるけれど、また秋が訪れるとうつ症状が現れました。
心療内科に通ってはいましたが、状態は年々悪化し、ベッドから起きれず、深い悲しみの底で苦しみ叫びながら絶望し続ける高校生活を送りました。
勉強する機会を奪われたからこそ今、勉強が楽しい!
受験勉強が楽しかった私でした。
あの姿勢のまま進学出来ていたら、大学にも進学し、就職での選択肢の幅が広がっただろう。本当はどうだったか誰にも分からないのに、ついそう感じてしまう。
本来享受できたはずの勉強する権利をうつ病に奪われた、この気持ちを想い出すと、今でも悔し涙が滲み出てきます。
その結果、その大きな喪失感は社会人になった数年後、
「勉強したい!」
「あの失った期間を取り戻したい!」
という強い欲求と学ぶ楽しさに生まれ変わりました。
貴重な高校3年間は失ったけれど、その後何十年と「自己投資し続ける型」を生みました。
悔し涙が出るほどの喪失感がコーヒーの大会優勝や英語習得への起爆剤へ。
その泣きたいほどの喪失感は今、私の大きな武器になりました。
二十代で出会ったコーヒーの知識を学ぶ楽しさが、学生時代の傷を癒すのを感じ、コーヒーの勉強にのめり込むままコーヒーの大会で優勝するまでになりました。
三十代では熱量高く取り組んだ英語学習を通して、
夢だった海外出張や憧れの米国人創業者へのプレゼンのアサインを頂くようになりました。
学びたかったけど学べなかった悔しさが私を動かし、夢を叶える大きな原動力になっています。
不登校中学生が得た人生の贈り物まとめ
中学も高校も満足に通えなかったけれど、だからこそ得られた人生の贈り物たち!人生は本当に面白いですね。
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