幕末5港の開港当初を紐解く驚きの発見
史実から辿る夢
この記事を、ある種の驚きとともに眺めました。
どういう点が驚きだったかというと:
へえ、そうなんだ、という確認的な反応がまず脳内にスパークしました。
その後じわじわと、あれだけ歴史教科書や史料集でも持て囃されているのに、実は遺っているのは開港後の遺構(増改築などを経た)ばかりで、開港当初のものは取り壊されるがまま、埋められるがまま、ぞんざいだったんだなという驚き。
最後に、先祖たちの意思決定をめぐる妙な呆れ。
続きを読むと:
観光資源になるとか、名誉になるとか、そういうことじゃなく、端的に歴史への敬意で保存してあげてほしいです。
現実の政治の生臭い話
なぜこういう釘刺しをするかというと、なんか大阪に次いで神戸ではよそよりも新自由主義が政界で強まっているなどと見聞したものですから。
維新の会、ちょっと前まで府市統合によるコスパを連呼していたのに、不要不急の大阪万博に全力傾注をし(期日までにパビリオン招致も資金繰りもできず、日本政府に泣きつく)、
反面で、
地元民の生活のために道路のペイントすらしない(大事故が将来してからの事態収拾コストはカウントしないのか?😅)
反対運動をオールスルーしての街路樹伐採(ビ〇グモ〇ターと類似の思想では?😅)
などという告発を、大阪維新行政についてソーシャルメディアで漏れ聞いて(読んで?)います。
その路線で言うと、「全体が遺っていて使い道がある開港後の遺構なら良いけど、埋まっていた開港当初の史跡なんか要らん」と言い出しそうです。
なぜなら、彼らは、実用性や稼得性だけが唯一の物差しだからです。
歴史ある神戸はそんなの、真似しませんよね。
#日経COMEMO #NIKKEI
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?