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小川洋子さんの小説『博士の愛した数式』を読んだ感想を書いてみます。

私のnoteにお立ち寄りくださってありがとうございます。

candy@です。

今日は読書感想を書いてみたいと思います。

親でもなく、子供でもなく、配偶者やパートナーでもない他人を

なんの損得も考えずに愛おしく思い

愛情を持って接し続けることができる

そんなことがあるのだと感じさせてくれた小説

『博士の愛した数式』 小川洋子著


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この小説は家政婦の『私』からみた目線で、家政婦として派遣された家の60代の博士との交流が描かれている。

家政婦の『私』は10歳の息子と二人暮らしのシングルマザー

高校生で妊娠した『私』

相手は大学生だったが、責任も取らずに姿を消してしまった。

『私』の実の母親(母親も不倫の末に『私』を産んだシングルマザーだった)からも怒りをかい、許されないまま、家を飛び出した『私』は子供を出産してから一人で子供を育てるために家政婦として働く。

そして生まれた息子が10歳の時にこの『博士』の家に私は派遣されたのだった。

なぜ『博士』と呼ばれているのか

『博士』はもともとは数学を研究していた大学講師だった。

ただ17年前の交通事故の怪我で脳の機能が失われて、記憶が80分しか持たないという障害があった。

記憶も17年前で止まってしまっていた。

『私』が博士の家に行くと、博士はいつも初めて会った家政婦さんだと思い込んで同じ質問をするところから始まる。

『君の靴のサイズはいくつかね?』と毎回聞かれるのである。

食事以外は書斎に閉じこもって数学の研究をしている博士

博士が『私』とする会話は博士が人生のほとんどの時間を費やした数学に関係した話だけで、博士は他のことにはあまり興味を示さない。

家事や食事のリクエストも何も言わない博士

私自身は数学が苦手なので、素数や完全数や友愛数やオイラーの法則などと言われてもチンプンカンプンなのだが、

家政婦の『私』は博士との数学の話を興味深く聞いて、むしろ会話を楽しんでいるのだ。

少しでも博士の気持ちに触れたいと思って・・・


そんな博士があるとき『私』に息子がいると会話の中で偶然に知って・・・

子供を一人にしておいては危ないから、学校が終わったら博士の家に来るように、そして晩ご飯も一緒に食べるようにと指示される。

それは博士が初めて自分の意志で『私』に要求したことだった。

何故だかわからないが、博士は子供のことをとても大切な存在だと思っている。(きっと博士も家族に大切に育てられたのだろう)

そこから、博士と『私』と息子(博士は息子のことを√ルートと呼んだ)の交流が始まる

初めて博士が『私』の息子に会った時に

『なかなかこれは、賢い心が詰まってそうだ』と

息子の頭を撫でながら√のように頭の天辺が平らだった息子をルート(√)と名付けた博士

最初はぎこちなかった息子のルートが、だんだん博士との交流を通して成長していく様子が微笑ましい。

幼い頃からひとり親で母が仕事で大変なのを理解していたルートが、博士の前では子供らしく甘えられたような気がした。

博士はルートと会うと毎回必ず、とても喜んで嬉しそうにする。

ルートの算数の宿題を一緒に解いてみたり

博士と息子が大好きな野球の話で盛り上がったり

一緒にご飯を食べながら野球中継をラジオで聴いたり

いつもルートが博士の家に「ただいま」と帰ってくると

博士は両手を広げて抱擁し歓迎しながら迎えてくれる。

実の父に捨てられた、父親の顔も知らない息子

そんな息子に優しく愛情を持って接してくれる博士

『私』は息子が博士から愛されて大切にされることがとても嬉しかったのと同時に、『私』のことも息子と同じくらい抱擁して出迎えてくれたらいいのにと、少し嫉妬を覚えるところがなんだか可愛くて

『私』もまた父親を知らずに育った生い立ちだったので、博士に父の面影を探していたのかもしれない。


『私』のアイデアで、野球好きな博士とルートのために、3人で一緒に野球観戦に行った夜、帰宅して博士が熱を出してしまう。

『私』は博士を息子と泊まり込んでまで無我夢中で看病する。

もはや家政婦の枠を超えて家族のような献身ぶりだった。

そんな出来事が起こっても、翌朝起きると博士は『私』と息子と3人で野球観戦に行ったことも、楽しかった時間も、熱にうなされて看病されたことも全て忘れてしまっているのだ。

そしてまた博士にとって新しい1日が始まる。

『君の靴のサイズはいくつかね?郵便番号は?』といったふうに・・・


博士の記憶は80分しかもたない

それでは家政婦さんが誰でも博士にとっては同じことだったのだろうか?

私はそうは思わない。

たとえ昨日の記憶がなくなったとしても

『私』とルートに出会ってからの博士は博士なりにきっと幸せや歓びを感じていたと思う。

博士は自分にとって大切なことをメモに書いて自分の上着にクリップで留めていた。

『私の記憶は80分しかもたない』

毎朝、着替えて上着に留めてあるそのメモを読んで絶望にうちひしがれる博士はもう一枚のメモ

『新しい家政婦さんと、その息子10歳  √』を読んで心が温かく弾んだに違いない。


そして博士と出会った『私』と息子の√も博士と過ごす時間がかけがえのないものとなっていた。

その証拠に博士の脳の機能がだんだんと悪化して、専門の医療施設に入ってしまい博士のお世話をしなくなった後も

私と息子は博士のいる施設を毎月のように訪れている。

それは博士が亡くなるまで続いたのである。

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大学生になった息子の√ルートは中学校の教員採用試験に合格する

『私』が誇らしげにその報告を博士にするシーン

『ルートは来年の春から、中学校の数学の先生です』

博士にとってルートは10歳のまま

ルートが子供の時のように

博士は震える弱々しい腕でルートを抱きしめようとする。

大人になったルートは、博士の震える腕を取り博士の肩を抱き寄せる。

たとえ血が繋がっていなくても、その光景はもはや家族そのものに私には映った。

そしてその時の訪問が、博士と過ごした最後の時間となるのであった。


博士と出会うまではただ生きることに必死だった親子

そんな母と息子が博士と出会ってからは

単調な人生がきっと意味のある人生へと変わっていったのだ。

赤の他人とこんなにも深いつながりを持てるなんてちょっと羨ましくも思った。


博士と出会ってからの10年あまりの思い出は

『私』とルートの心の中には、80分ではなく永遠に記憶に残るのだと感じずにはいられない。


最後まで読んでくださってありがとうございました。

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