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20 勉強って何のためにするの?

学びとは、人生の可能性を広げること。
学びによって、人生はいくらでも豊かになる。

勉強って何のためにするの?
こんなの学んで将来役に立つの?

小学校や中学校、高校などで、そう思ったことのある人は少なくないのではないでしょうか。
教員になったら子どもに必ず尋ねられることの一つでもあると思います。

さて、何で学校では色々な教科を勉強するのでしょうね。
国語で字を読んだり書いたりできるようになるのが大事なのは何となく分かるし、社会も公民は世の中のことを知るのに必要…?
でも算数なんて四則演算だけでよくない?
微分積分なんて将来使わないし…。
理科も学んでも生きていくのに必要なくない?
そう言っている人、周りにいませんでしたか?

私は、勉強は、しなければならないものだとは思いません。ただ、自分の人生をより彩り豊かなものにするには、勉強は必要だと思っています。

どういうことでしょうか。
順番に、話していこうと思います。

学校でなぜ学ぶのか。

まずは学校でなぜ、国語や算数などを学ぶのかから話そうと思います。
お読みになる前に承知しておいていただきたいことは、私は、必ずしも学びの場が学校である必要はないと思います。
私は、学校で学ばないと駄目、と言いたいわけではありませんので、それをご理解いただいたうえで読んでいただければと思います。

学校で、なぜみんなが国語や算数、理科、社会などを学ぶのか。
その理由には例えば、文章を正しく読み取る力、科学的なものの見方や考え方、日常生活を営むうえで最低限必要になる知識の習得、抽象的な物事についても思考できるようになることなど、各教科の目標として据えられるものがあると思っています。

ならば、こうも考えられるでしょう。
例えば、科学的なものの見方や考え方を養うために理科を学ぶのなら、もし仮に、それを理科を学ばずとも養えるのであれば、理科を学ぶ必要はないのでは?

しかし、私は、義務教育段階で理科を必修として学ぶ必要はあると思います。
それは、学校での学びは、各学問への入り口に子どもたちを導く役割があると思うからです。

学校教育によって子どもたちは、国語なら文学、理科なら自然科学と、各学問への入り口に導かれます。その後、その扉を叩くかは子どもたちの自由です。いくつもの扉の前に立ち、自分の興味のある分野の扉を叩く。そのための案内人が、学校教育だと思っています。

数学や理科なんて学んでなんの役に立つの?
そう思っている方の思考は正しくは、私には役に立ちそうもない、だと思います。
実際、多くの人が日常生活の中で自然科学から恩恵を受けています。
あなたが今お使いになっているパソコン、もしくはスマートフォンも、自然科学の産物ですよね。
私たちが今こうしたものの恩恵を受けることができているのは、その分野に興味を持った人がいたからです。
学校教育は、その"興味を持つ人"を生み出す役割も担っていると思います。
なので、あなた自身が興味を持てなくても、別にそれはそれで良いのです。
学校で理科に出会って、技術者の道に進んだ。
そういう人も、必ずいるからです。

学びが人生を豊かにするとは?

ここからは、学校の学びに限った話ではありません。
単純に、知っていることが多いほど、また知るための力があるほど、人生における選択肢が増える、というだけの話です。

昨日のnoteにスマートフォンが脳に与える影響の記事を貼りましたが、これも知っているか知らないかで、もしかしたら今後の人生が変わってくるかもしれません。
私自身も自分の生活を反省して、脳を鍛える、若返らせることについて書かれた本を読んでいます。
学校での勉強ではありませんが、これも立派な学びです。
そしてその本に数多く登場する専門用語…笑
おそらく読み飛ばしても構わないものではありますが、これらの言葉の波にアレルギーを発症せずに本を読み進められるのも、これまでたくさんのことを学ぶ中で培われた力によるものだと思っています笑

学びとは、人生の可能性を広げること。
学びによって、人生はいくらでも豊かになる。

私はそう、思っています。

お読みいただきありがとうございました。
素敵な一日になりますように。

ちなみに、今回のnoteのトップ画像に使用したのは、私が大学で物理を学んでいる際に作ったノートの写真です笑

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