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山あり谷あり

一歩も外出しなかったゴールデンウイークが明けて、今日は千葉の房総まで出かける。
気持ちが塞ぎ込んだとき、努めて外出するようにするのが私の持つ少ない処方箋の一つだから。
どうにも気持ちがやりきれないときは靴を履くのも億劫で、玄関に茫然と佇んだりもするけれど、足下に並ぶ子ども達の靴を見て奮起する。
母は強い。
自分にそんな強さがあったのか。感心する底力があることを、私は子を持つまで知らなかった。なにをするにも楽なほうへと流されがちで、たいして努力もしないまま生きてきて、縁があって言葉の通じない外国で子を育てることになった。
まったくそれは楽なことではなく、毎日毎日が怒濤に呑み込まれるような生活であったと言っても過言じゃない。ひとを育てるわけだから、それは当然大変なこともたくさんなことは承知していたつもりでも、やはり子ども達が学校から持ち帰る「おしらせ」の紙ペラ一枚から「なにがかいてあるのかわからない」という環境は、なにがおこっても簡単に「怒濤」を引き起こすことになる。
ひとつひとつの対応に時間と知恵が必要で、いま思えばあれは確かに若さ、という味方がいなくては勤まらなかった。と強く思う。
そして若さも息子達も私の手元を遠く離れてしまったいま。
私は何を見て奮起すれば良いのか。どうやって塞ぎ込んだ自分を奮い立たせれば良いのか。皆目見当もつかず、奈落の底へ落ちて行くような辛さが常に自分の中心を占めていた。
医師の助けもあり、いまはだいぶそんな症状も改善されて、前述したように「千葉へ出かけよう」という気持ちにもなる。
いままで手元にあったものは、自分にとってどれだけありがたい物だったのか。月並みではあるけれど、手放れてはじめて感謝する無念である。
せめてこれから私の手元に置いておける物を、また新たにさがさなくてはならないのだ。日本の平均寿命の数字を見れば、そこになんの嬉しさはなく、恐ろしさしか感じることができない。そんなに長く生きなくても良いけれど、せめてのこった寿命を塞ぎ込んでばかり過ごすのじゃない過ごし方がしたいと切に願う。
今日という日の中で、なにかひとつでも小さなきっかけが見つかればいいと思う。

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