見出し画像

両極を見て、足元をみる。

最近少し体調を崩していた。
ベッドで横になる時間が長くなり、目を瞑ればいつでも眠れるような身体のだるさを感じていたし、実際そうしていた。

習慣を気にする私は、体調と共に習慣が崩れる感覚がすごくストレスに感じていた。
その反面、平穏に暮らしていける有り難さを実感することができた。
当たり前に飲んでいたコーヒーだって飲むことができず、ただただ時間だけが過ぎていった。体調の回復とは反比例して、何かが溢れていっているような喪失感・・・

体調の回復を感じた朝、なんとも言えない幸福感があった。
久しぶりにコーヒーを飲んでみる。ランニングをしてみる。本を開いてみる。
これが私の日常、ここ数日間求めていた時間
当たり前のように過ごしていた日々が簡単に失われ、失ってからその大切さに気づき、戻ってきた時の喜び。

大袈裟に感じるが、少し体調を崩していただけ。
だけど、日常というフラットな時間の流れを感じるには、良くも悪くも変化することを認識しなくてはいけない。

差異を認識してこそ輪郭が現れる。
お金持ちがいるからそうでない人が存在し、男性もいて女性もいる。
頭がいい人がいるし、そうとは言えない人もいる。敏感な人がいるけど、鈍感な人もいる。
人間は結局何か較べる対象がないと自分の立っているところすら認識ができない。というかそこに感情が生まれないのかもしれない。

「苦労は買ってでもしろ」とか言いますが、物事の両極を認識することによって自分の立ち位置や目指すところがより明確に認識できるからだと思う。
経験になる。糧になる。というと少し思考停止な気がしますが、経験の本質は比較なのかもしれない。

経験によって蓄積した知識や思考と比較しながら行動している。

調子が悪いと思ったら、過去の辛かった経験と比較して頑張ろうと奮闘する。
幸せだと感じたら、過去の辛かった時期と比較して一層想いが高まる。

何と比較するかは自分次第

自分の機嫌がいつも保てるような比較のカード(持ち手)をいつも選択していきたいと思う。

今日もいい一日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?