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目に見えない世界の始まり⑥気功

目に見えない世界の始まりシリーズ
始まり① 
始まり② 
始まり⓪ リスタート  
始まり③ 子供編-前世
始まり④ 子供編-正夢
始まり⑤ 子供編-絵

前回の記事はこちら⑤

1.気功編

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必然はそうなるように完璧に出来ている。既にその道筋は用意されていて、後は単純に自分がそう思い込まされて、そう行動するように出来ている。

前回からの続き。人生は完璧に出来ている、そうなる事は既に決まっていたようだった。あの当時、自分の為だと思っていたら、実際の行動には至らなかったに違いない。自分以外のキッカケが在った事で、実際に気功をして貰える場所に行ってみる事になった。

初めて行った場所なのにも関わらず、なぜだか何処かで見た事のある風景だと感じていた。子供の頃に見た景色なのだろうか。それとも、夢の中で見た場所だったのだろうか…。自分がその場所に行く事になると、決まっていたのだから、自分でも分かっていたのかもしれない。もちろん、覚えては無いのだけれど(笑) 

2.子供の頃に描いた絵の話

中から出て来た施術をする先生は女性だった。今まで目に見えない世界を意識した事が無く、実際にそういった場所で初めて不思議な話を聞く機会になった。普段から過去世なども見えたりしている様子で、どうも、自分が頭の中に思い浮かんだイメージが相手に伝わるみたいな印象がした。ただ、自分の守護霊はそれを「見せない」選択をしたらしく、神社等が見えると言われたのだけれども、詳しくは分からない様だった。

その当時、自分以外の自分のイメージを頭の中に持ち合わせていなかったから、何の実感もイメージも湧いたりしなかった。ただ、不思議な話を色々と聞きながら、自分が相手に伝える事にした話は、⑤の記事に書いた子供の頃に書いた絵の話だった。

子供の頃にカタカナの不思議な名前を付けた人物達の絵を描いた話を伝えると、相手にはこの過去世のイメージが見えている様子で、その中の1人が私。と言った。突拍子も無く、惑星が無くなる時に宇宙船で逃げたのよ。逃げられなかった人達も沢山居てね。とその光景が見えているみたいに言うのだ。私ともう一人の男性が先生で、貴方はその生徒だった。と言われた。

自分としては全くもって実感がわかないのだけれど、子供の頃に書いた絵はその時を無意識に描いていたものだったらしい。自分以外の子供達と先生の名前は描いていたのに、どうしたわけか、その絵の中に自分を一緒には描かなかった。今の自分を自分だと思っているからなのだろうか、どうやらその時代の自分の名前は必然ではないらしい。

ただ、子供の頃に描いた絵が、この場所でこの事を伝える為にずっと覚えていた必然だったと思うと不思議でならない。

点だけで見ると全く意味のない事でも、点と点が不思議と繋がって円になって、別のミエカタへと繋がる。意味の無い事なんてきっと無い、まだ気が付いていないだけで、一つ一つを俯瞰して考えた時に新たなミエカタが生まれたりする。

3.カタカムナ

実際に、施術をして貰う事になったのは自分だった。なぜだかは分からないけれど、不思議とここに導かれる事になったのだから、今の自分にとって必要な事なのだろうな。と、頭の中で思ったりしていた。どうやら特殊な施術をして貰えるみたいで、手を右回りに動かしたり、左回りに動かしたりしながら、文字を一緒に読み上げて欲しいと言われた。

読み上げた時は知らない言葉だったのだけれども、後からその言葉がカタカムナと言う言葉だった事を知った。カタカムナの知識は、詳しく本を読んだりした経験が在るわけでは無いのだけれども、言葉にも魂が宿っているって事なのかなって感じたりしている。地球にも魂が宿っているし、全てのモノに同じように…。

4.目を閉じた

文字を読み上げた後、施術を開始すると言われて、ベットの上に座った状態のまま自分の目を閉じた。すると、だんだんと自分が後ろに引っ張られていくような感覚を感じた。自分では引っ張られていると思っているのだが、その思考と同時に、自分の体はその逆で、丸く猫背になっている様子だった。

引っ張られているのに、なぜ前屈みになっていくのだろうと不思議には思っていたが、どうやら自分が苦しんでいて前屈みに倒れていっている様子だった。なぜ、体感ではなく様子だと客観的に書いているのかと言うと、目を瞑っていて実際がどうだったのかが分からないと言う感覚と、実際の自分の思考としては苦しんでいなかったから。と言う表現で書き表すしかない。

頭の思考の中で、別に苦痛さは感じて居なかったし、体の方の感覚をあまり認識していなかったように思う。ただ、体の方は「うー」って声に出して唸っているし、目からは涙も流れていっているのだが、自分側として認識している方は、別にそうは思っていなかったから、なぜ体の方がそういった状態になっているのかが不思議でならなかった。

5.体の方の自分

思考の方はとってもはっきりと感じ取る事が出来ているのだけれども、体の方の自分も、自分だとは認識しているのに感覚の方は遠くの方で薄っすらと鈍く伝わってきている程度に思えた。どうも、自分の意思で動かしていると言う感覚よりは、勝手に体がそう動いているみたいで、それが思考の方に軽く伝わってくると、思考の方でもそうしていると思い込まされるようになるが近い表現だと感じた。

先生が困ったように自分を落ち着かせようとしているのが頭では分かっては居るのだけれど、体の方ではない思考側の自分としては別に苦しさを感じていないし、だって思考以外の他の何かを感じたりしていないのだから、なぜ体の方がそうなっているのかも分からない。

何とも思っていない。目を閉じているからか暗いのか、それとも目が無いのか。周りには空間も何もない。ただ、思考は普通に働くし、思考を自分だと認識もしている。ここに自分を認識しているだけの自分。もちろん、体の方も自分だと言う認識をしている。声は体の方が聞いているみたいで、耳の遠くの方からぼんやりと聞こえてくるような感じがしていた。

6.思考側の自分

当時は不思議な体験だったぐらいにしか思っていなかったけれど、今、その当時を振り返って表現してみれば、思考の方を自分だと認識していたのだと思う。思考の自分の方には、体が無いし、音も無いし、色も、空間も、痛覚も無ければ、感情も無い、自分の思考そのものだけしか無い世界だった。思考が生まれ続けると言う時の流れは感じたし、思考をするモノを自分だと思う認識そのものが存在していた。

自分と言う認識は永遠と続くのかもしれないけれど、自分以外の要素を感じ取る事が出来なければ新たな体験を生み出す事も出来ない。今までに経験した事の中から色々と考え続けていくにせよ、何か他の要素とのキッカケが無いと何かを思考すると言う要素が発生しない。結局は自分だけしか無いとも、自分だけが在るとも表現出来る状態だったと思う。

人間の体を保ったまま、同じような体験を想像する場合に、何もない真っ暗な空間に入って自我を保てるかって言ったら、誰しもがおかしくなるだろう事は容易に想像が付く。自分が本当に自分なのかすらも分からなくなってしまうかもしれない。

その時の、思考側だと思っている体験には、恐怖も無ければ感情も無い。自分と言う認識を持ち続けるから、死も無いだろう…。既に人間的にはそれを死って呼ぶのかもしれないけれど(笑) 自分と言う認識以外の要素が存在していない。自分だけだった。

果たしてそれが人間的な意味で幸せかどうかって言ったら、人間にしか出来ない事がいっぱいある。何かを感じたり、何かを想ったりするだけでも、それはとても凄い事だと思える。五感を使って何かをそう感じる事が出来ると言う事。当たり前だと思っている日常の中の素晴らしい事。自然に触れる事、動物を撫でたりする事、思考側には苦しみと言う概念が無いが、癒しと言う要素も生まれない。何かを抱きしめると言う温かさや温もり…誰かを想うと言う事。

自分だけしか存在しない世界と表現するか、自分だけで全てが出来ている世界と表現するか、想像上の話になるけれども、人間として何かを想うと言うはそれだけで素晴らしい。もちろん、自分と言う認識も階層が上がっていくほどにどんどんと薄れていく。最終的には全てが全体に溶けると言う道に向かっていくようにそうなるように出来ている。

7.思考と体は別

頭の中では、別に痛く無いし苦しくもないし平気なんだけどな…。どうして、体の方はそうじゃないのだろう?と体と思考のギャップに違和感を感じていながらも、次第に、自分で体を持ち上げる事が出来るようになってきて、状態を起こして座れるようになった。その時は、よく分からないけど不思議な事が起こったのかな。なんだろうなって思っていた。

終わりました。と言われて、目を開けた瞬間。体に戻った。と言う感覚が在った。目を開ける直前まで、普通にずっと自分の体のままで居続けていた。と思い込んでいたのに、意識の方がずっと自分側だったから、半分ぐらいの体の感覚の方が何処かに行っていたらしい。目を開けたら体の方に戻った

催眠術に掛かるとこんな感じになるのかな。なんて想像になるけど、頭でははっきりと認識しているのに、体の方が勝手に動いている。の表現には近い気がする。自分から体の感覚が抜けるみたいな…。体の方から意識が遠のいて、体も自分だって認識をしているのに、体の方は操作をしていない。勝手に動く体が存在していて、そこに意識が重なると自分で動かしているみたいに思う。本来の自分は自分だと認識する意識しか存在していないみたいに…。

なぜか、そうなるって決まっていた必然は、こうやって始まって、その道を辿った。この時に、宇宙や神様の話を聞いた経緯から、次に降ってきたのは古事記だった。次回、古事記編に続く。そんな不思議な世界のおとぎ話。

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