マガジンのカバー画像

一遍上人をたずねて。

14
一遍上人の踊り念仏について、調べたことや思ったこと、考えたことなんかを気ままに綴っています。
運営しているクリエイター

#時宗

一遍上人をたずねて⑫

一遍上人をたずねて⑫

 一遍上人は32歳から51歳まで遊行と呼ばれる行脚の旅に出ていたわけだが、そこで気になるのが費用についてである。これについては全くもってどうしていたかはわからない。しかし、時代は中世鎌倉期、僧と言うだけで各地で施しを受けていたのかも知れない。ただ、資金があったという可能性も捨て難い。

 徒然草の中に、しろうるりという、仁和寺真乗院の盛親僧都がある法師につけた渾名の話がある。この法師は、師匠が亡く

もっとみる
一遍上人をたずねて⑩

一遍上人をたずねて⑩

 丹後を遊行していた一遍上人はある干ばつに苦しむ村に到着した。見かねた一遍上人が念仏を唱えたところ、海から大きな龍が現れ、雨を降らして村を救ったという話が「一遍聖絵」に描かれている。

 鎌倉期に新仏教の宗祖となる僧が6人出たが、そのような伝説が残されているのは一遍上人だけである。これは一体何を意味するのだろうか。龍にどのような意味があるのだろう。

日本におけるワニ

 私は龍について調べてみた

もっとみる
一遍上人をたずねて⑧

一遍上人をたずねて⑧

 遊女は、時代によって扱われ方が全く違う。元々は白拍子など、天皇や貴族に仕えた専属の踊り子であり、夜の夜伽もした。鎌倉期には随分と落ちぶれ、遊郭などで体を売るものや乞食(こつじき)のようなものになって全国を旅をしながら歌や踊りといった芸を売って暮らすものもいた。

 ひょっとして、一遍上人は遊女と合流してともに旅をし、彼女たちを躍らせて、自分は賦算を行なっていたのではないか?という妄想に取り憑かれ

もっとみる
一遍上人をたずねて⑥

一遍上人をたずねて⑥

 一遍上人は各地で踊り念仏を広めていく。というのが定説になっているが、一体どのように広めたのか。という疑問を解消するため、まずは一遍上人の移動距離について整理することにした。

 伊予(愛媛)で生まれた一遍上人は、九州太宰府で修行しており、一番北は岩手県となっている。これを文明の力を用いて距離をまとめることにした。グーグルマップである。

 長島尚道、砂川博、岡本貞雄、長澤昌幸、高野修各氏による共

もっとみる
一遍上人をたずねて⑤

一遍上人をたずねて⑤

 一遍上人によって流行したとされる踊り念仏は、のちの盆踊りや伝統芸能に影響を与えた。

 と、するのが一般的な紹介である。しかしながら、どうも私には違和感しかない。この違和感は一体なんなのだろう?

「一遍上人の踊り念仏」というならば、その踊り方の手順や音楽について、取り扱い説明書的なものがあってもよさそうだが、どうもそういったものは一切ない。私は元々西洋音楽を学んだ人間で西洋音楽にとって楽譜は

もっとみる
一遍上人をたずねて①

一遍上人をたずねて①

 ひょんなことから一遍上人について調べることになり、ここ一年ほど彼について調べている。

 鎌倉期の僧で、踊り念仏を広め、のちの盆踊りや日本の伝統芸能に影響を与えた時宗の開祖。というのが一般的な一遍上人の説明だろう。

 彼の生涯を表した「一遍聖絵」などをみると、数十人の僧が櫓の上で踊る形で踊り念仏は表されている。これ見て私は今で言うところのクラブなのではないか?と思い、不思議な興味とともに一遍上

もっとみる