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科学にすがるな!立って歩け!

割引あり

先日、佐藤文雄氏の「科学にすがるな!」という本を読んだ。

物理学者というのは物凄く引いた視点からものを見るんだなぁ、と感心した。何か物事が目の前にあった時、自らの五感を使ってしか人はそれを認識できない。人の口腔内は50~60度くらいまでは耐えられるらしい。恐らく多くの人はこのくらいの温度までは「わかる」だろう。「あぁ、あのくらいね」と想像できる。しかしそれを超えた温度はどうだろうか。100度くらいまでなら湯気の具合で漠然とイメージできる、「わかる」かもしれないが、それ以上となると想像できなくて「わから」ないだろう。例えば、タバコの火は700度、ロウソクの火は1400度、コンロの火は1700~1900度、太陽の表面温度は6000度だそうだが、タバコやロウソクの火の熱さとなるともう想像できないし、ましてや太陽の表面温度なんて途方もなく、聞いても口をあんぐり開けることぐらいしかできない。冷たい方でも自分の経験からー2、3度くらいまでは想像できるが、それ以下はできない。北海道やシベリアで氷点下何十度という話をたまに聞くが、私の感覚ではー20度もー60度も変わらない。以前イボの治療でー300の液体窒素の染み込んだ綿棒をあてがわれたことがあるが、もはや痛いだけで冷たさの度合いはてんでわからない。これは照度でも音の強さでも力の強さでも同じことだろう。一定程度以上は認識できない。今挙げた認知できない例の状態の中に放り込まれたら人間は人間の形を保てないわけだが、物理学者の視点で眺めると人間なんて原子の集まりに「過ぎない」のである。したがって、人間が生まれて死ぬのも原子が厳密な法則に則って変化しただけで、その人を構成する原子はその人が生まれる前からあったし、死んだってあり続けるのである。そこに人間が後から生死という線を引いたに過ぎない。同じように、人間はその中ではなお形を保っていられないだろうが、宇宙やそれが誕生してから今に至るまでの過程、この中で原子が生まれたり弾け飛んだりしているわけだが、これも佐藤教授の視野には収まっている。佐藤文雄教授は宇宙物理を研究してきたそうだが、佐藤教授の視野はこれほどまでにグッと引いたものだった。この視点の獲得によってヒトの五感によらない尺度と感覚を獲得している。

あとがきに「world view」という概念が紹介されるが、この視点は私のworld viewと似たものだった。私のworld viewは、「人間いずれ死ぬ。生まれたのだって偶然だし、そこに意味はない。だったら好きに生きよう。」というものだが、結論はともかく認識は似ている。ただし私の場合はただ単に周りの生き物を見たときに、その生死と自分の生死に意味の違いが見つけられなかったから、子供心にそう結論づけたに過ぎない。両親が生物的な本能から生殖して、そのときたまたま母の子宮にあった卵子と、たまたまそこにたどり着いた父の精子の遺伝子が絡み合って私の遺伝子ができ、結果私が誕生したということに過ぎない。まぁ、たまたまが重なった結果というだけ。それ以上ではない。佐藤教授の場合は、物理を研究しているうちに五感を超えて感覚が拡張されていった結果だと想像するが、いずれにせよ人間なんて偶然の結果今まで生きてきた、ただそれだけのものなのだ。

しかしこの先が私と違うところである。私はそのときまだ中学生だったし、出発点が周りの生き物と自分の比較だったので、自分のことしか見えていなかった。それに対して佐藤教授は、宇宙を眺めながら考えてみると、「あっ、あんなところに青い惑星がある、おっ、よく見たらなんか動いてるぞ、ほぉ、これが「ヒト」かぁ」というような、まぁこれは私の勝手な想像だが、こんな感じで人間を見ているようにみえる。すると結論が変わってくるのだ。前者では、「まぁ意味がないならそれでいいや。自分の好きなように生きるか」というなるが、後者では、

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