見出し画像

「こどもの国」 #5 ‐密約

密約


選挙を約1か月後に控えたある日、多仁は細井を大阪の料亭へ呼び出した。一人で来いという。いつもと違う多仁の雰囲気に細井の心は曇っていた。約束の料亭に入り、ひとしきり挨拶と乾杯をすませると、襖が開き一人の人物が入ってきた。
「細井さん、紹介しましょう。関西経済界の取り仕切ってらっしゃる馬場さんです。」
その人物は年のころで言えば60代後半だろうか。服装もいたって地味で絶えず人好きのする笑顔をたたえ、一見しただけでは人の好い好々爺に見える。
「馬場です。一度、細井さんにお会いしたいと思ってました。今日は無理を言うてお忙しい中を大阪くんだりまですいまへん。」
「どうも、始めまして。細井守と申します。多仁知事には大変お世話になっております。」
馬場はどうもどうもと、腰低く握手を求めてきた。細井はその求めに応じ、握手を交わしたが、馬場の力の強さに、これが60過ぎの爺さんの力かと正直驚かされた。
「細井さん、今日、馬場さんをおよびしたのは今後の徳島と関西圏、いや関西州といった方がいいですかね。その関係をきちんとしておこうと思いましてこの会をもうけさせてもらいました。」
多仁は細井が何かを言おうとしているのを遮るように、
「選挙はもう、細井さんの勝ちですよ。問題ありません。あとは、細井さんが変なスキャンダルに巻き込まれないよう、身辺をきれいにしてあと1か月過ごしてもらうだけだ。」
多仁は常にこういうように話の主導権を細井には渡さない。それは、自分との上下関係を明確にしたいのだろうと細井は思っている。
「今日は、細井知事誕生の後のことをきちんとしておかなければ、せっかくの我々の関係がこじれてしまうといけないと思ってるんですよ。」
「しかし、これまでも鳴門原発のことは大小に関わらず、みなさんと相談しながら進めさせてもらってます。」
「まぁ、公の場で話できることはね。細井さん、政治には表と裏があります。いや、政治に関して言えば裏の方が重要だ。」
「裏?」
「裏といっても勘違いしないでいただきたい。何も違法なことを言ってるんじゃないんです。言葉を変えましょう。建前と本音です。」
「はぁ。」
細井はまだその要領を得ない。
「細井さんもそのうちわかります。政治家は公人だ。その発言は全て公式なものとして報道される可能性がある。プライバシーなんて誰も守ってくれませんよ。細井さんも政治家になる以上覚悟しておいた方がいい。政治家に自由なんてないんです。」
多仁は少し間をあけた。これ以上のことを言っても細井には実感としてわかるところが少ないだろう。
「話を戻しましょう。政治家が公の場で発言する内容は9割以上が建前です。しかし、それは嘘ではない。難しいところですが、嘘ではなく建前です。国会議員のほぼ全員は消費税を引き上げざるを得ないと思っている。それは本音だ。だが、今はあげるべきではない、景気刺激策が先だ、それは建前。でも嘘ではない。わかりますか?」
「はぁ。」
細井はそうとしか言えない。
「これは、経済エネルギー振興連の会合のような仲間内の会議でも一緒なんです。僕はあの席で本音はほとんど言ってない。」
細井は徐々に背中のあたりに冷たいものを感じ始めていた。俺は勘違いをしていたのではないだろうか。少しずつではあるがサラリーマンから政治家になってきていると思っていた。少なくとも自分の中の考え方や人との関わり方は180度と言えるほど変えてきたつもりだった。だが、やはり、人種が違う。どうがんばっても人種が違う以上、似てはきてもそのものにはなりきれないのだ。そう思った時、自分で切り開いてきたと思っていた前途が実は大きなテーマパークのようなもので、全て行先もゴールも決められているアトラクションに過ぎなかったのだと己の小ささに絶望せざるを得なくなった。
「本音を話せるのは正にこういう密室に、腹を割って話せる同志とだけになった時しかないんですよ。」
一瞬だろうか、常に笑みをたたえている馬場の顔から笑顔が消えた。その顔は冷たく細井の顔をみて、すぐ元の笑顔になって視線を料理の方へ落とした。多仁は暗にこれから話す内容について絶対他言無用だと念を押している。関西経済界の首領といわれるこの男が同席しているというのは恐らく経済界だけではなく、裏の社会にさえ顔がきくため、何かあった時のためにもここにいるのだろう。当然、そんな話は一切しない。それだけに細井には余計に恐怖を覚えさせられた。
「関西州が無事成立した際、関西には東京に匹敵する大経済圏を創出しようと考えています。大阪湾を真ん中にして、淡路島、神戸港、大阪港、関空、和歌山から再び淡路へ、言うならば、環大阪湾大経済圏です。」
「環大阪湾・・・」
細井は息を飲んだ。安易にはその概要が想像できなかったが、恐らくとてつもない計画なのだろう。
「関西空港から始まり、北回りには岸和田、堺、大阪、尼崎、西宮、神戸、淡路がつながり、南回りには和歌山から淡路島へ渡る紀淡海峡大橋を建設します。これで大阪湾をぐるっと一回りする一大物流網が完成する。そして関西空港を起点として、北回り、南回りにリニアモーターカーでつなぎます。そして淡路島からは鳴門までリニアでつなげば四国もこの巨大経済圏とつながることになります。構想では、関空から大阪まで約20分、鳴門まででも1時間でつなぐことが可能でしょう。そして鳴門には、この大都市の心臓とも言えるエネルギー源を担当してもらう。」
「鳴門へリニアを・・・」
とてつもない。まるで子供の頃にみた21世紀の予想図のようにとほうもない。鳴門に原発を作るということにさえ汲々としている自分にはただただ指をくわえて夢のようなお話をきいているしかないのかもしれない。
「ついては、細井さんには鳴門市を手放していただきたい。」
「は?」
多仁の話はいつでも唐突すぎて、細井は自分のリズムで物事を考えることができない。常に主導権を握られるのはもうさすがに慣れてはきたが、このまま何か巨大なものに飲み込まれていくような気がして恐ろしさだけが細井には残っている。
「まだ、話がつかめないのですが。」
「もちろん、直ちにという話じゃないですよ。まだ関西州構想自体が海のものとも山のものともわからない状態です。ただ、我々は10年、20年、いや100年先を見ていく必要がある。そうじゃないですか?細井さん。」
「はあ。」
「ひとまずは、鳴門に原発を作ることですよ。そして、その土地は関西電力と大阪府が共同で借り受けます。実質は同じことなんですけどね。」
細井は頭が鈍いわけではない。ただ、多仁とはそのリズムと波長が違うためなかなかかみ合わないし、理解まで時間がかかる。だが、徐々に今回までの一連の動きの全貌を細井の頭の中に描き出すことができはじめた。つまりは多仁は最初から鳴門の土地を狙っていたのだ。関西圏から淡路島を間にはさみ、陸路でもつながり、しかも海を隔てて原発設置について関西圏の支持者からの反対を受けない土地を。
細井自身も鳴門原発自体には賛成していた。ただ、それはあくまでも徳島のコントロールの元で進んでいくように思っていた。俺は甘い。なんて甘い考えだったのだろう。が、何もかも全て遅い。すでにレールは全て敷かれてしまい後は汽車が走るのを待つだけになってしまっている。
その絶望に近い感情は恐らく多仁に見られてしまっていただろう。
「細井さんにはこれまで何億という先行投資をさせてもらってます。こちらの馬場さんにも随分協力をいただきました。」
馬場は黙々と料理に手をつけていた。全てを知っている。そんな様子だった。
「我々は同志なんですよ。一緒に関西州を実現しましょう。」
そう言って多仁は右手を差し出した。表情はやわらかだが視線はじっと細井を指している。細井はうなだれるように首をたれたまま、動けなかった。この握手の意味は細井をして、鳴門を売るという返事をするのと同様であった。
しかし、それをこの状況で覆せるのか?いや覆せやしない。俺は既に舞台の上にあげられていて意図していなかったセリフを言わざるを得ない状況に立たされている。共演者も観客も細井のそのセリフを息を飲んで待っている。それを今この状況で覆せるはずがない。
俺は故郷を売る人間になる。
そう思った時これまでの人生と決別して、一度死ぬんだと、決して大げさではなく思えた。同時に徳島を離れ随分とたち、人生の半分以上を東京で過ごした自分の中に故郷というものがこれほどまでに大きな存在としてあることに改めて驚かされた。
俺は、純粋に徳島のことを思っていた。それは紛れもなく事実だと自分に誓える。エネルギー源を握ることで、関西州の中で一種特異な存在の徳島が確固たる地位を築けると思っていた。ただ、その結果は徳島の一部を切り売りすることで、関西経済界の一員にしてもらうだけのことだった。
俺は、こんなことをするために生まれてきたのか。そう自問するときふと涙が溢れそうになる。それを無理に押さえつけると胃の底から何かつきあげられるような感覚に陥った。
「すいません。少し気分が優れなくて。」
そう言って、トイレへたとうとしたが、それさえも馬場に遮られた。
「細井さんは、我々関西経済界の希望の星ですわ。」
相変わらず、染み入るような笑顔で細井に話しかけた。
「関西だけやおまへん。徳島の経済にとってもめちゃくちゃ大きい話ですわ。鳴門と関空が1時間でつながれたら、徳島は世界への翼を得るんも同じや。徳島には優秀なメーカーさんがようけあるさかいに、今以上に物流がつながったらお互いにいろんな協力ができるはずですわ。我々も徳島の経済界発展に微力ながら力を尽くそう思うてます。」
「徳島の未来は細井さんの双肩にかかってますね。これからもどうぞよろしく。」
多仁はそう言うと強引に細井の手をとり、両手で強く握った。
「あ、トイレはでて左手ですよ。」
これで話は終わりだということだろう。細井を部屋から追うようにトイレを促した。密約は成立した。いや成立させられた。今の細井にこれ以上何ができるだろうか。



「こどもの国」 -日本分邦|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 -徳島|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 -細井守|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐出馬前夜|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐密約|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐多仁と馬場|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐大阪新党|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐環大阪湾経済圏|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐兵庫|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐関西エネルギー振興連|爾今 晴 (note.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?