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「こどもの国」 #7 ‐大阪新党

大阪新党


多仁と馬場が最初にあってから数カ月経った頃、大きなスキャンダルが関西のメディアを賑わせた。当時大阪府議会の最大与党であった国民党の大物議員による収賄疑惑だった。その額は総額で数億円に上るもので、それに関連していたと思われる地元建設会社の専務が自宅で首をくくり自殺したというものであった。関西のマスコミは連日連夜この事件を取り上げ、全国のニュースでも頻繁に流れるようになった。大阪府議会でも当然ながら野党による徹底追及が繰り広げられ、この議員の秘書が逮捕される事態となった。
「馬場さんが動き出したか。」
多仁は知事室から大阪の街を見下ろしながらそうつぶやいたが、すぐに何かを振り払うように頭を振ると
「いや俺には関係がない。」
と自分に言い聞かせるように背筋を伸ばした。
その後、その大物議員は辞職することなく居座り続けている。しかし、その影響力は全く衰えてしまった。すると、タガが外れるようにして、国民党の議員を中心に続々とスキャンダルが表面化し始めた。ある議員は女性問題であり、ある議員は年金の未納というようなものであった。
「大物には大きな問題、小物にはそれなりか。馬場さんは面白い人だ。」
多仁の仕事は国民党が影響力を落とすごとにやりやすくなっている。この頃、多仁には馬場がなくてはならない存在になっていた。それは決して敵にすべきではなく、味方にすればこれほど力強いものはないという悪魔的なものであったが、それを恐れる様子はなく、毒をくらわば皿までの精神が多仁にはあった。

「そろそろ、次のステージですな。」
馬場と初めて会ってから約1年ほどが経っていた。この一年のうちに多仁の周辺環境は驚くほど変わっている。不採算事業の整理もだいぶ進み始めている。多仁は馬場の言葉を聞き入れて代替事業を発表し、そこには事業中止に追い込まれた事業者が受注できるよう配慮されている。ただ、それは多仁の指示という形はとっておらず、馬場の息のかかった職員と議員連中でうまく操作されている。多仁はそれを追認している形だ。
馬場は今日も額の汗をぬぐいながら多仁の前にいる。相変わらずあまり顔をあげない。
「新党を作りまへんか?」
そう言われた多仁は一瞬驚いたが、すぐにその意図を察した。
「府議会を掌握するということですね。」
とその意味することを理解したことを伝えると馬場は、二度ほどうなずき
「そういうことですわ。候補者はこちらで用意しますさかいに、知事は募集だけしてもらえますか。」
候補者を用意するというところに恐ろしさを感じながらも、多仁はうなずいた。毒は中途半端にあおってはいけない。
「新党の名前はこちらで決めていいんですか?」
とあっけなく多仁が答えると、馬場は笑って手を振りながら
「もちろんですわ、知事の作る新党ですさかい。」
と恐縮したように縮こまった。
「大阪革新会にしましょう。」
「おぉ。ええですな。」

その会はそれで終わった。馬場にとっては政党の名前などはどうでもいい話であった。
しばらくして、川上という男が馬場の紹介状を持って多仁の前に現れた。未だ20台後半の若者であったが礼儀正しくも多仁を前にして堂々と立ち振る舞ういかにも仕事のできそうな男である。多仁がその顔をみると、決して目を合わせるでもなく、少し視線を下げながらも一切瞳を動かすことがない。多仁が好きなタイプの男だった。
大阪の府議会選挙は新党である大阪革新会の圧勝で終わった。国民党は大きく議席を失い、多くを大阪革新会に渡した格好になった。多仁は党首としてあちこちを駆け回り演説をして回ったが、政党の実務を担い大車輪で活躍したのが川上だった。
「使える男でしょう。」
馬場はそう言ってから、続けた。
「これからは党の運営もせないけません。あの男にはそっちをやらせましょ。あと、まぁあいつほどではないですけど、何人か実務の人間は用意しておきました。」
「何もかも世話になります。」
多仁はそう言ってほほ笑んだが、内心では、俺は神輿かと思い、また、いやそれでいい、と思い直した。

多仁の率いる大阪革命会は大躍進を遂げ、大阪府議会以外にも核となる各市の首長選挙にも勝利していった。多仁は大阪のほとんどを手に入れたといっていい。そんな多仁でもうまくいかなかったことがある。大阪府と大阪市の二重行政解消を目的にした大阪都構想である。大阪府が握る予算と大阪市が握る予算、投下すべき事柄は多くが重複するのにそれぞれが主導権を主張して譲らない。結果同じような役割の箱ものが二つできたりする。
経営を学んだ多仁にとって、その無駄は許せるものではなかったがこれに関してはなかなか馬場も協力的にはなりきれないところがあるようだった。よくはわからないが馬場の影響下でも様々な利害がぶつかり合っているようであった。
多仁は府知事として最も勢いがあった就任4年目に住民投票を行いその是非を問うたが、結果は反対多数で否決された。世論調査では賛成が完全に反対を上回っていた。まさか、と多仁も驚きを隠せなかったが、隣にいた馬場の表情は動かないままだった。
「大阪という土地はややこしい。」
そんな思いはこの頃から多仁が持ち続けている。
「言わば、大きな田舎だ。」
大阪も東京も両方を知る多仁にはそのように大阪を理解した。大阪の土地には古くから長く住み続けている人間が多い。土着して離れようとしない。その分その土地に愛があるし、しきたりのようなものが多く残されていて土地に生きるための不文律がはっきりとしている。大阪の人間はその剽軽な性格や笑いというものに対して可笑しいほどに尊ぶ姿に他所者に対して優しく映ることもあるが、実際はそのコミュニティに入り込むのはなかなかに難しい。多仁の子供のころもそうだったが、圧倒的な実力を見せつけるか、あるいはそのルールに完全に同化する必要がある。東京でも下町の方ではそのような雰囲気があるが、その規模が途轍もなく大きい。その代わり、そのコミュニティの一員にいれてもらえれば一生懸命に守ってくれる義理堅さを持っている。東京を田舎者の集まりと呼ぶ人間もあるが、確かにその一面は否定しがたく大阪、いや関西はその意味では千年以上の昔から世界の中心に居続ける貴族そのものかもしれなかった。そんな人たちがこの頃は元気がない。日本の中心を東京に奪われてから、多くの企業は東京にその本社を移すとともに、人材を奪い取ってしまった。大阪の地盤沈下は続き、政治のまずさも手伝って大阪はかつての反映を忘れてしまっている。その魂まで奪われてしまったのではないか。少なくても経済は大阪を中心とした関西に取り戻すべきだ。多仁が率いる大阪革新会の大きな意義は経済を大阪に取り戻すことにある。
「大阪にこだわっていてはダメだ。」
多仁が関西経済圏の立て直しを図り、環大阪湾経済圏という大構想を始めたのはこの頃からだった。
「大阪の人の本音は変わりたくないんだ。」
なんとなくだが、そんな風に大阪を捉えなおし、大阪自体を大きく変えることはやめた。その代わり、大阪の立ち位置を変える。単なる道府県の一つから、関西経済圏の中心都市に、その関西経済圏を日本の中心と世界に認めさせることで大阪を実際の首都のような立ち位置に変えてやる。例えばニューヨークだ。中心都市はなにも首都である必要はない。
そう考え始めてからの多仁は早かった。
「まずは神戸を抑える。」
幸いにして、神戸市長を務める中川は大阪都構想にも賛成しており、大阪都が実現した際には神戸市も都の一部の特別区として入る構想までを持っていた。
多仁は中川と会談し、大阪湾経済圏について話した。
「めちゃくちゃ、面白いです。私としては是非その枠組みに入りたいと思います。協力できることがあればおっしゃってください。」
との言質を得た。
「神戸を抑えればあとはどうとでもなる。」
多仁は一気にマスメディアに向けて、環大阪湾経済圏構想をぶちまけた。それと同時に党名を関西革新会に変更し、一大阪の地方政党ではないことを内外に示した。
その途方もない構想は中央政界をも大いに驚かせたとともに、その他の大都市を預かる首長を大いに刺激した。また、東京にある中央政界を驚かしたことは大阪、ひいては関西圏の人間を大いに喜ばせたのだった。



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