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「こどもの国」 #9 ‐兵庫

兵庫


この時期から、関西政財界は多仁を中心として大きく回転をはじめる。まずは大阪都構想時代からの同志である中川と改めて環大阪湾経済圏についての考え方を共有した。中川は基本的に合意であるとすぐに賛意を示し、その枠組みに是非神戸も入りたいと言ってくれた。基本的にというのはいくつかの条件付きでということであった。神戸市も大阪と同じく兵庫県と神戸市の間での二重行政に悩み続けている。大阪府と大阪市との関係よりも兵庫県と神戸市の間での力関係は市側が圧倒的に強い。元々兵庫県は播磨・但馬・淡路と、丹波・摂津の一部を加えた5つの国から成り立っている。当然ながら国が違えば文化も違うため同じ兵庫県と言っても、元々摂津の国であった神戸市と、城崎温泉でも有名な日本海側の但馬の国であった地域では風土も歴史も言葉でさえも大きく異なっている。このため、兵庫の県政となると大きく財政基盤を神戸市などの湾岸エリアに頼りつつもそれぞれに違うエリアの発展についても言及が必要なため政策が獏としやすい。中川はこれを機に旧摂津の国エリアを兵庫県から切り離し、まさに多仁のいう環大阪湾経済圏の枠組みで神戸を発展させたいと考えている。
「ただし、」
と中川は言う。
「大阪という冠の下での統合は無理です。」
それが中川が出した条件の最も大きなものであった。大阪に統合されるような形にみえることは神戸市民の感情を考えると不可である。これは先の大阪都構想の際にも一番の足かせとなり当時の中川は市民からの猛反発に苦慮した経験がある。そのことは多仁も経験者だけに理解をしており、
「わかっています。あくまでも大きな枠組みには大阪の名前は使いません。大阪は大阪、神戸は神戸として残しましょう。」
と約束した。その他、細かな条件のすり合わせはあったものの、その問題をクリアした後はスムーズに進んでいった。
「兵庫県知事にはどう話しましょうか?」
難しいところであった。当然話さないわけにはいかなかったし、できれば賛成して欲しかったが、正直難しいだろう。立場的にも兵庫県全体としては賛成ともいいきれない案であったし、何しろ兵庫県知事は国民党の所属であった。
「とりあえず、神戸を切り離すという案はあまりにも刺激的すぎるので、当面ふせて兵庫県全体として相談しましょうか。」
多仁は答えたものの、NOという返事が来ることは分かっていた。ただ、これから淡路を懐柔するにあたり、できればあまり反対意見で騒いでほしくはなかった。
「あの人は狸ですから。」
と中川が言った。

兵庫県知事の佐古敏夫は地元では有名な政治家一族でどちらかというと、但馬、丹波に強い地盤を持ち、敏夫自身も4期目を務めているが、父親の代から数えると、すでに40年以上兵庫県を治めていることになる。特に明確なビジョンを提示するということはなく総花的に「誰もが活躍できる兵庫を!」というようなスローガンを掲げている。父親の代からの国民党ではあるが、一時平和党が政権を握った時にはかなり平和党にすり寄る姿勢も見せている。年齢はすでに70を超えているが意欲的に5期目を狙っているし、恐らく当選するだろう。
息子藤太郎も県議会議員になっており、世代交代にも抜かりがない。彼の第一義は当選することであり、それが代々の支持者を守ることになるという正義でもあった。大阪を中心に勢いを見せる大阪革新会とも表向き対立の姿勢をとっているが大阪に近い、神戸市や尼崎市、西宮市といった地域の選挙民にも配慮し、大阪都構想には反対だが兵庫の発展のためになる改革は進めると言っている。環大阪湾経済圏に関しては、元々が国民党のアイデアだと主張しており、あくまでも環状都市圏という名称を使い兵庫を主体とする計画には賛成している。ただ、多仁に言わせれば選挙のための方便に過ぎず、実行力は無いに等しい。多仁はこの手の輩が心の底から嫌いであったが、政治の世界ではそんな感情はマイナス要素にしかならない。とにかく大いなる敵にさえならなければそれでいいと思っている。
「佐古さんにも来週の連絡会の後、時間をいただいている。私から話しておきます。まぁ、結果はある程度見えてますがね。」
そう言って多仁は席を立った。

佐古兵庫県知事との会談に向かう多仁の足取りは重い。どうにも佐古は多仁にとって苦手であり、それ以上に同じ政治家としては正反対のタイプであると思っており、本来ならば批判したいことは山ほどあったが、それを押し殺しながらあくまでも穏やかな顔を作ろうとする自分と対峙するのが嫌でたまらない。こちらはあくまでも喧嘩はできない立場であり、どんな対応を取られようとそれを感情に出すことはできない。そのことは老練な狸にはわかりきったことであり、常に立場は狸側に分があった。多仁は佐古がいる知事室の前に立つと深呼吸をした。そしてかすかに宙をみあげ知事室のドアの上をみる。何を見ているわけではなかったが、その光景は常に薄い黄色がかった色味にみえる。そしてもう一度ゆっくりと息を吐いた。
「多仁です。失礼いたします。」
とノックの後に呼びかけた。その声は自分でも妙に高く聞こえ、そのことも多仁の気持ちを陰鬱なものにした。
「どうぞ。」
とドアを開けてくれたのは秘書の山下である。常に瞳の中に何も映さないようにしているような目で多仁のことをみてくる。多仁は山下には目礼をするようにしてできるだけ顔をみないようにしている。
「おぉ。多仁君。」
佐古は多仁の事を君付けで呼ぶ。多仁が府知事に就任あいさつの際からそうであり、そのことについても多仁は特に何も言わなかった。多仁は佐古のことをあえて、
「お時間をいただきありがとうございます。“先生”。」
と呼んだ。こちらが上手にでれない以上は徹底して下手にでる。これが多仁にできる精神を保つための手段であった。
「また、大阪都がどうのとかかね。」
佐古は眼鏡を拭きながら言った。まだ多仁は立ったままだった。
「いえ、今回は兵庫県にとってもいいお話だと思っております。」
多仁は精一杯の笑顔で言った。佐古は少し顔をあげるとしばらく多仁の顔を見ていた。多仁は笑顔を崩さず、ただ視線は外さずにいた。
(まるで動物の喧嘩だな。目を外した方が負けだ。)
どれくらいの時間だろうか、多仁には恐ろしく長い時間のようにも思えたが、ほんの数秒のことかもしれない。佐古の方が視線を外すと、
「まぁ、どうぞ。」
とソファへと案内してくれた。ありがとうございます、と多仁は礼をしソファに座り、また結構な時間が経った。まだ佐古は知事席で眼鏡を拭いていた。秘書の山下がお茶を出してくれたが、相変わらず無表情のままだ。多仁もどうもと会釈をしつつも目はあわせなかった。
ようやく佐古がソファへやってきた。
「大阪は、あれかね。関西は大阪のものだとでも思っているのかね。」
ソファへ座るなり、嫌みを言ってきた。
「いえ、そんなつもりは全く。」
「最近は神戸市長とも仲良くやっとるようじゃないか。」
「おかげさまで。」
多仁は笑みを作ったままでいる。
「まぁええわい。で、要件は?」
「環大阪湾経済圏、いや、国民党では環状都市圏でしたか。これを推進するためのお力をお貸しいただけないかというお願いにまいりました。」
佐古の目が再び多仁に向いた。先ほどまでとはまるで違う目だった。正直多仁は恐ろしさを感じていた。
「なぜわざわざ大阪湾などという名前をつけるんじゃ。」
多仁は少し心配になった。俺の笑顔は引きつってないだろうか。
「純粋に大阪湾を中心にした経済圏というだけです。他意はありません。」
「そういうところを言っとるんじゃ。大阪が関西の中心とでも勘違いしとるからそんな馬鹿な名前をつけるんじゃ。環状都市圏で何が悪い。お前らが大阪で聞こえがええようにつけただけじゃろ。」
これには多仁は言い返せなかった。確かに他県に対しては配慮がたりなかったかもしれない。
「お前たちはいつもそうなんじゃ。大阪都?お前らが勝手にやる分にはええが、兵庫のもんを巻き込むな。巻き込むなら大阪都なんて名前つけるなよ。」
多仁は答えない。少し作り笑顔を傾けて若干困ったような顔をつくっただけだった。
「まぁ、ええわい。環状都市圏おおいに結構。わしはそれについては昔から推進派じゃよ。」
多仁は少し息を吸い込み、笑みをほどき真剣な顔になって言った。
「それにつきまして、兵庫、大阪、和歌山の三県が連合して国に対してまずは紀淡海峡大橋の建設、そしてこの淡路から神戸ポートピアアイランド、大阪港、関空を通り、和歌山から淡路に渡る環状高速鉄道の建設を要請したいと思います。」
「なにぃ!」
と佐古が言いかけるのを制し、
「さらに、この枠組みは将来的には道州制における関西州として、首都圏に勝る一大経済圏を現実にしたいと考えています。経済規模の目標は200兆円。」
「馬鹿な。」
と佐古は首を振った。
「お前は、大阪の経済規模を知っとるのか?」
「私の知る限りではありますが、大阪で約40兆円規模、兵庫、和歌山を足しても60兆あたりかと。対して東京で115兆、東京、千葉、神奈川、埼玉で約200兆円規模になると思います。」
「馬鹿馬鹿しい。お前はいつも大きな夢ばかり語って人民を惑わせてばかりおる。地に足をつけた政治というものがまるでない。」
そう言って、話を終わらせようとした佐古を無視して多仁は続けた。
「そうでしょうか。この関西州、まぁ今は大阪、兵庫、和歌山の頭文字をとって大兵和連合とでも呼びましょうか。ここには関空があります。これは首都圏における成田です。兵庫県が世界に誇る良港、神戸は首都圏における横浜です。これらを環状の高速鉄道で結ぶようなインフラは首都圏にありません。さらに、アジアとの交易を考えた場合、成田よりも関空を選ぶメリットは多くあります。まず、アジア各国へは約30分~1時間程度フライト時間を短くできます。たかが30分です。しかし、航空燃料が高騰する中この30分の積み重ねはかなり大きい。そしてキャパシティです。成田は24時間空港をうたってはいますが、その実深夜は稼働できません。つまり、深夜の数時間の発着分のキャパシティは単純に関空に分があります。そして横田基地問題。首都圏の空域には通れない箇所がある。これは航空会社にとってはかなりのネックになります。アメリカ各地からアジアにむけてのハブ空港としては関空はかなりのメリットを提案可能です。そして世界ブランドである京都を抱えている。外国人から見た日本をイメージさせるのは関西の方が得意なのではないですか?」
多仁は話続ける。佐古に間をあたえないように。
「そして、この計画のもう一つの肝は神戸港の復活にあります。かつて世界一の貨物量を誇っていたはずの神戸港が凋落してしまった原因は何でしょうか?当然複数あると思いますが、全てが古くなってしまっていませんか?世界は常に一分一秒を争う時代になっています。港で貨物が何日も待たされるなんてことは許されません。税関のシステムを再構築するとともに設備を入れ替え最新鋭の港に生まれ変わらせる。当然金がかかる。兵庫県だけでは難しいでしょう。国は今、そこまで集中して神戸にだけ投資をしてくれますか?関西州という枠組みを作って資本を集中して必要な設備投資を行う。その最優先が神戸港だと考えています。」
多仁はようやく一息ついて、佐古をみた。先ほどまでの睨むような眼はもうなかった。佐古はしきりに鼻を触っている。一つの癖らしかった。

「そして、もう一つの肝は淡路島です。」
「あわじ。」
と佐古がつぶやいた。意外な言葉のようだった。
「先ほども申し上げたように、淡路島へもう一つの橋を架けます。紀淡海峡大橋です。これで淡路島は兵庫、和歌山、そして徳島と3県と結ばれることになります。そして、神戸港、関空からそれぞれ1時間以内で結ばれるイメージです。ここを経済特区として外国資本を一気に迎え入れる。当然税制優遇などかなりの飴を用意することになります。しかし、彼らが本気になってくれれば大規模な開発を彼らが行ってくれるでしょう。幸いにしてまだ空いている土地が数多くある。この淡路島をシンガポールのような国際都市に生まれ変わらせることができるんじゃないかと思ってます。そして淡路島が心臓の役割となって、環大阪湾、あ、いや環状都市圏へ経済という血液を流し込む。これが関西州構想になります。」
佐古はふぅと息を吐いた。鼻を少し触るとそばにあった眼鏡をかけて改めて多仁をみた。
「兵庫は何も神戸や淡路だけではない。丹波も但馬も全て兵庫だ。わしは兵庫全体のことを考える必要がある。」
「当然です。関西州が潤うということは当然ながら丹波や但馬へ使えるお金も増えます。経済効果は当然ながら波及していきます。」
「夢物語だ。」
そういうと、ゆっくりと佐古は席をたった。
「“先生”は反対ですか?」
その後ろ姿に多仁が問いかけると、しばらく間をおいて佐古が答えた。
「ワシの立場では賛成はしかねる。」
と振り返らずに答えた。
「それで充分です。」
多仁は答えた。
「丹波や但馬はどうしようと考えておる。」
多仁は少し考えてから
「そこは“先生”には私は適いません。関西州が成っても兵庫は“先生”に任せたいと思っています。是非お知恵をお貸しいただければと思います。」
「そうか。」
そういって、佐古は自分の席について、手を振った。秘書の山下が、
「時間です。」
と無表情で言った。



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