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「こどもの国」 #1 -日本分邦

<あらすじ>

 その「くに」はかわいそうなほどに小さく、弱々しい。しかも生まれながらにして親から見離されたような孤独を背負っていた。そこに住む人々は、自分たちの「くに」が生き残る方法として、一つの大きな決断をした。
「未来」に全てをかけよう。
「未来」とは「こども」であり、それはその「くに」に生まれたこどもに限らなかった。日本中のなんらかの理由で親から見捨てられたこどもたちを全て受け入れて、この「くに」で育てる。それは彼らにとっての「未来」であり、そのまま、その「くに」がおかれている立場をも現しているようだった。いつか、日本から見離されたこの「くに」が、同じく親から見離されたこどもたちによって輝く日がくることを信じて、「おとな」たちはその人生を捧げる決意をしたのだった。
その「くに」の名は徳島邦(とくしまほう)と言ったが、いつのころからか「こどもの国」と呼ばれるようになっていった。


日本分邦

 
 2026年政体が変わり、極東の小さな島国の中に、いくつかの邦(くに)が生まれた。
その島国は「大日本帝国」から「日本国」へ生まれ変わり早80年を迎えていたが、青年期には世界が驚くような成長をみせた小さな巨人も様々な病を抱えるようになり体力を落とし、それとともに思考も老いてゆき、かつてのような溌溂と未来を目指す明るさは失っていた。そしてついに、自ら崩れるようにして「日本国」は倒れ、のちに「令和の改新」と呼ばれる大改革を経て新たに「日本連邦」として生まれ変わった。
 
80年ぶりに新しく施行された新憲法は、日本の国土をいくつかの邦(ほう)と呼ばれる半独立国家にわけ、それを束ねる上位政府としての連邦政府を作った。様々な制度や法が改められたが、その中でも「日本分邦」と呼ばれるこの大改革は、日本の姿を全く変えることになった。
「日本分邦」は文字通り、日本をいくつかの邦に分けることを意味しているが、それはこれまで「道州制」という名称で議論が繰り広げられていたものとは色合いを別にしている。「道州制」が国から地方への権限の委譲とすれば、「日本分邦」は国から地方へ「責任」の分担と言ったほうがその温度が伝わりやすいかもしれない。
 
「日本分邦」は表向きの理由は地方への大幅な権限移譲によって、国と地方の権力の分散を行い、真の意味での地方自治を推進することで衰退傾向にあった地方を蘇らせるということであったが、実情をいえば、地方を独立させ経済的にも独立採算させることで、国家予算の地方への補助や交付金ををなくし、中央のお金を対外的な債務などにあてる目的があった。つまり、2011年の大震災を一つの目に見える形としての契機とし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な流行を経て、緩やかではあったが着実に日本の財政は破たんへと向い、これ以上は国際的な倒産を意味するデフォルト(債務不履行)に陥るという第2次世界大戦での敗戦以来最大の国家的危機を迎えた日本が経営改善の手段として日本と言う国を分社化し、持ち株会社としての連邦政府と独立採算をとる「邦」という事業会社にわけ、不採算部門を切り分けられるようにしたのが「日本分邦」であった。
 
当然ながら、このことは地方自治体を大いに震撼させたが、当初は各地方自治体は地方の時代がくるとむしろ喜び勇んでいた。地方の首長たちは、この法案を地方分権を強化する「道州制」が実現したと考えて疑わなかったし、政府もそのような意味合いの方を強く推し、本来の意図は意識的にきちんとした説明を避けた。各知事やマスコミが再び「道州制」の議論を復活させ、日本の国をいくつの州に分割すべきか、州都はどこが担うべきかの議論を行っているなか、半ば強引に「日本分邦」を規定した新憲法が可決された。いざ独立という段になると、その独立という真の意味を理解し、急に親から見放された子供のように地方自治体は混乱してしまい、それまでの「道州制」議論などは吹っ飛んでしまった。

「うちの県がつぶれる。」
ほとんどの県の関係者がそう思った。単独で運営できる県などほぼ存在しなかった。これまで全て国からの指示のもと、地方を運営してきた。お金が足りなければ国に陳情にでかけた。これからは自分たちで繁栄の方法を考えろという。税収に関する権限も渡され、所得税、住民税、消費税、法人税を独自に規定、徴収することが可能になったが、結局は中央政府が管轄する東京に人口も主要な企業も集まっている以上、これまで国が面倒をみていた全てを賄うには到底税収が足りなかったし、国家運営費として、地方政府は連邦政府からその規模に見合った金額を徴収されることにもなっている。
必然的に府県での合併が話し合われるようになった。府県と書いたのは、北海道はすでに単独での独立を決めている。東京都は中央政府が直轄する特別邦となったためである。
 
新しい邦の枠組みは、当初、道州制で議論されていた枠組みの中で行われていった。しかし、今回は自分達の生き死にが大きくかかった話だけに、これまでのような仲良くテーブルにつくというわけにもいかず、またプレーヤーも都道府県レベルにはとどまらず、市区町村の単位になっていった。同じ県の中でも袂を分かつという議論は珍しくなかった。
元々同じ県でも文化圏が全く違うことはままあったし、文化圏が近い他県の町の方が同県の文化圏が違う町よりもより濃厚な関係ということは多い。歴史的に考えても明治に入り廃藩置県が行われて以来、300あまりの藩が徐々に現在の47都道府県に収斂されていったという経緯もある。藩とは国である。当然一つの県の中にいくつかの藩、つまり国が組み込まれて現在の都道府県が出来上がっている。同じ県でもよその国という意識は多少残っているのかも知れない。日本中が大騒ぎになった。


「こどもの国」 -徳島|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 -細井守|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐出馬前夜|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐密約|爾今 晴 (note.com)
「こどもの国」 ‐多仁と馬場|爾今 晴 (note.com)
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「こどもの国」 ‐関西エネルギー振興連|爾今 晴 (note.com)


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