奈良・京都だけじゃない! 古代大阪にあった難波京をご存じですか? #大阪歴史博物館コラボ企画
あの大化の改新で遷都した! 大阪市街地の地下に眠る、古代大阪で繁栄した「難波宮・難波京」について大阪歴史博物館の情報とともにご紹介します。
「何と(710)見事な平城京」「泣くよ(794)うぐいす平安京」……嗚呼、懐かしい、遠い学生時代の覚えた年号語呂合わせ。みなさまこんにちは、ミュージアム部のmitu.です。古代の「京」と聞いて思いつくのは、奈良の平城京・京都の平安京ではないでしょうか?
しかし! そのさらに昔、大阪にも「京」があったということをご存じでしょうか? 関西に住む私たちも意外と知らない(?)大阪の京「難波京」について、本日は、大阪の歴史を知るならここ! 大阪歴史博物館のご紹介とともにご紹介したいと思います。
場所は未だ諸説あり・古墳時代
古代の主要交通路だった瀬戸内海の東端に位置する難波には、古くから倭国王の王宮が営まれ、古墳時代、仁徳天皇が難波に宮(天皇が住み政治を行う場所:難波高津宮)を置いたと伝えられています。
この高津宮跡の場所は諸説あり、現在はまだ確定されていませんが、古墳時代中期(5世紀)に建てられた大型倉庫群が、法円坂遺跡として発掘されています。
大阪博物館南側公園には古墳時代の大型倉庫(法円坂遺跡)が復元されており、そのサイズを体感することができます。
大化の改新による遷都 前期難波宮・飛鳥時代
そして、6世紀末に奈良・飛鳥を本拠地とする蘇我氏が、推古天皇を豊浦宮に即位させて以来、飛鳥の地に次々と宮が営まれます。しかし、そんな奈良盆地中心だった飛鳥時代にも、一時期大阪・難波の地に遷都(天皇の宮城を正式に移すこと)されました。
その一時期こそが、日本歴史の中で1・2を争う有名な政治改革、蒸し米炊いて……6(む)4(し)5(ご)年「大化の改新」です。中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我氏を滅ぼした「乙巳の変」の後、同じく彼らの計画によって飛鳥から難波へ遷都されました。
乙巳の変によって、天皇の位は皇極天皇から孝徳天皇に代わり、奈良の飛鳥板蓋宮から、大阪の難波へ遷都します。この時、本格的に造営された宮殿を、難波長柄豊碕宮と言います。前期難波宮は、その遺跡と考えられています。
654年孝徳天皇の没後、斉明天皇(第35代天皇・皇極天皇が再び第37代天皇として即位)になると、再び奈良の飛鳥板蓋宮に戻ってしまいます。その後、683年天武天皇が複都制の詔により、飛鳥とともに難波を都としましたが、686年の火事で前期難波宮の建物は全焼してしまいました。
聖武天皇による遷都 後期難波宮・奈良時代
694年、中国にならった最初の都城・藤原京(現在の奈良県橿原市)へ遷都。さらに710年、みなさまご存じ平城京へ遷都。そこから784年に長岡京へ移るまでの74年間、都として繁栄した平城京ですが、実は聖武天皇の時代、約6年ほど平城京から都を転々としていました。
740年藤原広嗣の乱のさなか、聖武天皇は現在の三重、岐阜、滋賀に行幸し、現在の京都市木津市の恭仁京へと遷都します。大極殿を平城京から移築し、宮殿を造営……が、都としては完成しないまま743年造営中止(←!)さらに、聖武天皇は動きます!
686年の火事で焼失していた大阪・前期難波宮の跡地に、726年から宮殿を再び造営。744年2月恭仁京から遷都してきます。この宮殿が後期難波宮です。
しかし! 聖武天皇、さらに動きます!
恭仁京の造営と並行して742年から現在の滋賀県甲賀市に近江紫香楽宮を造営していた聖武天皇。2月に難波京への遷都した同じ年の11月には、紫香楽宮へと遷ってしまいます。そして、その翌年の745年5月、平城京へと戻ったのでした。
天皇がいなくなっても関係ない!? 副都としてたくましく栄えた難波京
天皇がいた期間だけ見れば、前期難波宮が孝徳天皇時代の650~654年の約5年、後期難波宮は744年2月~11月の約9ヵ月のみ。しかし、天皇がいなくっても大丈夫! 遣唐使や海運の港として外交や物流の主要都市として、難波宮は栄え続けました。
税制の整備(教科書でおなじみの租庸調!)も進み、各地から様々な物産品が集まりました。発掘された遺物からは、工房や古代寺院が営まれていたこともわかっています。
そんな古代に栄えた難波京ですが、大阪の市街地に埋もれて地表にほとんど痕跡を残しておらず、戦前には幻の都と言われていました。しかし、戦後から数十年にわたり続く発掘調査によって、徐々にその姿が明らかになりつつあります!
難波宮の情報を知るなら大阪歴史博物館へ
大阪歴史博物館の10階・古代フロアでは、発掘調査で出土した資料はもちろん、前期・後期の難波宮の模型などを見ることができます。
また、後期難波宮大極殿の空間がほぼ原寸大に復元されています! 直径70センチもある朱塗りの円柱が立ち並び、官人たちが整列。
上部スクリーンには、744年、聖武天皇による遷都の勅令を左大臣橘諸兄が宣言する宮廷儀式の様子を映し出します。
まさにこの日、大極殿の中にいるかのように体験することができるのです!これには、訪問したミュージアム部一同が感動しました!
また、大阪歴史博物館そのものが、難波宮の上(難波宮中心部より北西方向「内裏西方官衙」)に建っているので、地下には難波宮の遺構が保存されています。
文字通り歴史の上に建つ歴史博物館……かっこいい! 現在、倉庫やそれらを管理した管理棟、石組水路など、遺構見学ツアーは中止されていますが、ロビーの床から一部遺構を見ることができます。※最新の情報は公式HPでご確認ください。
さらに難波宮のサイズを体感するなら難波宮跡公園へ!
大阪歴史博物館のすぐそば「難波宮跡公園」は、前期・後期難波宮の中心部とされる約9万平方メートル余りの範囲を国定史跡公園として整備が進められた場所です。
大阪歴史博物館の10階から見た難波宮跡公園
ほぼ同じ場所に造営された2期の宮殿なので、史跡は2種類の方法で区別して示されています。まず、地表面より一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱位置を示しているのが前期難波宮(難波長柄豊碕宮)。
そして、地表面より一段高くして、石造りで基壇を示すものが後期難波宮となっています。
大極殿跡には、高さ約2mの基壇も再現されています。
この上に大極殿が建てられ、天皇が座る高御座も置かれました。天皇が立っただろう場所に、あなたも……立てます!
公園から大阪歴史博物館をのぞむ
ぜひ、みなさまも、大阪歴史博物館&難波宮跡公園へ行って、「知識」と「体感」で難波京を味わってください。
【速報】祝☆20周年 大阪歴史博物館とフェリシモミュージアム部がコラボします!
今回、ご紹介した大阪歴史博物館は、2021年11月3日で開館20周年!
そんなおめでたい年を記念して、フェリシモミュージアム部がコラボしてコラボグッズを企画することになりました! パチパチパチー☆
発売は11月19日(金)! 大阪歴史博物館ミュージアムショップ・大阪歴史博物館オンラインショップ・フェリシモミュージアム部ウェブサイトでの発売予定。詳しい情報は、11月19日(金)までお待ちください!
11月19日追記▼
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