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トイレトレーニングをめぐる親子のかけ引き〜子育ては人材育成・部下育成のヒントがたくさん〜その5〜

私は、新卒でNPO法人に入職し、ボランティアの大学生と青少年向けのいろんな事業・サービスを作りながら、ボランティアの大学生自身の成長に関わる仕事をしています。

息子のトイレトレーニングをめぐっての親子のかけ引き

息子が3歳半になった。
トイレで自分で用を足せるようになってから、早1年ぐらい。

なかなかそれが日常化する、どのタイミングでも行けるようにする。
というのが難しい。

ちゃんとできるスキルはあるんだから、
トイレでしてほしいと思う親。

目の前の楽しいことを中断することが折り合いつけられない息子。

そんな両者のかけ引き?笑

でも、間に合わずに出ちゃったりすると、
・気持ち悪いのと
・できなかったことが悔しい。

みたいな感じで泣いちゃう息子。

じゃあさ、と
・目の前の誘惑と折り合いをつけようよ
・中断しても再開できるからさ。

と無意識に畳み掛けてしまう親サイド。

冷静に考えてみたら

かつては、
・自分でトイレ行きたいと言えて、
・トイレでできるだけで、

日本代表がワールドカップ初出場が決まったときぐらいの、
拍手喝采、狂喜乱舞。

みたいな感じだった親たちが、
「できる」ことを前提・あたりまえに迫ってくる。

失敗して、泣いちゃう理由は、
・親たちが残念な顔したり、
・これはダメだよ。って少し怒るというかアドバイスで畳みかけられたり。

みたいなことも含まれるのかもしれない。

気持ちの折り合いをつけるって難しい

自分たち大人でも、そんな簡単に気持ちの折り合いってつけられない。
息子にしても、
・トイレでしたくないわけではなくて、
・でも、目の前の「いま」がピークで楽しい状況を途中で中断するのも嫌で、ちょっと我慢したくなる。

その葛藤って誰にでも起こるものだな〜と。

私たちも、
「自分の意思」でその葛藤に折り合いをつけようとするからできるのであって、
なかなかそれができないでいる段階で、
その選択はだめ、よくない。ってことを強要されると、
その強要してくる相手は、味方でいてくれていないような感覚になる。

「その味方でいてくれていないような感覚」がさらなる不安を呼ぶ?

そんな不安をもしかしたら息子は感じているのかもしれない。
と、冷静に妻と息子のやりとりをききながら、自分と息子とのやりとりを回想して思ったわけです。

葛藤と戦っている真っ最中。

うまくトイレでできたら、「ちゃんと切り替えられてすごいね。」
できなかったら、「○○(他方の誘惑)が楽しかったんだね。でも、できなくて嫌だったんだね。」

と受け止めてあげればいいのか〜と。

わかっているはずだったのに、
わかっているようで、忘れてしまっていること

そんなことに改めて気付いた週末でもありました。

安心は、「できてあたりまえ」の裏にある

大人からするとたかだかトイレのようなことですが、
ビジネスに置き換えても、「まだできないこと」というのは、私たち大人にも存在します。

同じような配慮が大人に必要かと言われると、そうではありません。

でも、少なくとも、「できないこと」への不安を感じるのは大人も同じ。

味方でいてくれる上司・先輩ががいるなら、
「ちょっとやってみようかな。」と
前向きな気持ちになれるのは、私たち大人も同じかもしれない。


おいしいお酒を飲んで、ニヤニヤしながらまた今日も生きていきたいです!