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厄咲く箱庭 ― 花巫女と災いの神(1) 壱.両極の能

古の現世の別世。異能ある人族の女は『尊巫女』と呼ばれ、神族との混血である神界の長に嫁ぐ慣習があった。認められれば子孫繁栄の為の伴侶となり、否な場合は贄として一族に喰われるという。
己の生気と引き換えに治癒を与える花を召喚、萌芽促進もする生命再生という稀な力を持つ、アマリという巫女がいた。持て囃される反面、畏れられてもいた彼女は、災厄の元凶である破壊の神――厄病神への贄に出される。
弱体化させるのが目的だったが、察した彼……荊祟はアマリを避け、一旦屋敷の離れに住まわせ軟禁する。忌み嫌われる自身の力と人族を嫌悪していた彼は、監視するうち、一風変わった彼女に興味を持ち始めるが……

あらすじ

“再生と破壊”――両極の能持つ二人が歪に出逢い、恋におちる

※本作に登場する厄病神は、疫病のみをもたらす疫病神とは異なります。災厄、不幸(天変地異は別件)全てを起こす神です。
※フィクションです。実在の人物、土地、出来事とは関係ありません。
※R15未満程度の性表現、残酷表現があります。(該当タイトルに★)
※身分や職業に対して侮蔑的な表現があります。古に実在した名称ですが助長を意図しておりません。

概要

序.尊巫女


 ――これは現世の何処どこか、裏に存在すると伝えられてきた、いにしえことわりが息づく世のはなし

 そこに生きる人族の者は、八百万やおよろずの神々を崇め、妖をおそれる暮らしと共にった。
 その中でも、彼らをまつり、鎮めるやしろつかさどる一族に生まれ、特異な能を持つ人族の女は『尊巫女みことみこ』と呼ばれる。
 彼女達は、十八になると神々の住む神界に向かうという慣わしが、遥か昔からあった。雨ぶ巫女は龍神界、陽をもたらす巫女は稲荷界へ行き、彼らの神力を借りる梯子はしごと成るのが生まれながらの役目、責務である。
 神族と人族の混血である、その地をべる其々それぞれおさに認められれば、子孫繁栄の為の伴侶となる。否な場合は贄となり、その地の一族に喰われて力を吸収されるという、至極、酷な契約だった。

 ――全てを諦め、搾取される事を存在意義に生きていた女は、
 放置という名の歪んだ自由と思慮を得て、自身を知った。

 ――全てを嫌悪し、忌み嫌われる力を虚しく感じていた厄神は、
 少しずつ息を吹き返す花に安らぎを得て、情を知った。

 『再生』『破壊』――両極の能持つ孤独な二人が歪に出逢い、恋におちた先は……

壱.両極の能

アマリ

 生物というもの……特に ヒトは、何かしらの不運や不幸に遭う事、災厄に襲われるのを恐れながら生きている。なるべく避けたい、平穏無事に一生を終えたい、というのが命ある者の本質であり、本能だろう。
 そして、比較的軽い不運が遭った時、遭いたくない時に、古来から言われる決まり文句がある。

『ついてなかったな。疫病神が来た』
『厄日だから、結納は避けなさい』

 ――どこの国でも世でも、それは、変わらない。


「あ……雪……?」

 曇天どんてんの空から、ふわ、と顔に落ちた冷たい華。気づいた一人の巫女装束の少女が、そっ、と嬉しそうに手を伸ばす。
 今年の初雪だ。ひらり、ゆらり、と舞いながら、白く小さな羽根のように、儚く降りて来る。足下の砂利がぶつかり合い、耳障りに鳴るのも構わず、少女はほこらの側を歩き回る。
 美しいけれど、決して掴めない。そんな事実はとっくに知ってはいるけれど、それでも手に取りたくなるのは、十八歳の若さ故の好奇心だろうか。

「アマリ様? 参拝の方……お客様がいらっしゃいました」
「申し訳ございません。今、参ります」

 侍女のたった一つの通知で、初雪と無邪気に戯れる少女は消え、しゃん、と背筋を伸ばし、凛とした面持ちの尊巫女みことみこに変わる。境内の建物に戻っていった彼女には、これから重要な『仕事』があるのだ。

 彼女――アマリは、やしろつかさどる一族の生まれだが、尊巫女の中でも極めてまれな異能を持っていた。
 陽光が当たると京紫きょうしに透ける濡羽ぬれば色の長い髪。初雪が積もった直後のごとき白い肌。淡い瑠璃るり色に煌めくつぶらなという、誰時たれどきを思わせる風貌。
 その出で立ちは周囲を魅了するが、稀とわれるのは、それだけでは無かった。

「奥様。本日は、いかがなさいました?」

 落ち着きある白檀びゃくだんこうがほのかに漂う、ひのきを基に造られた八畳程の畳屋。中央に火鉢を挟み、自分よりもずっと年長者の依頼人と向かい合い、正座する。
 厳かというよりは温もりと安寧を感じさせる空間の中、しっとりとした澄んだ声で眼前の常連者に語りかけ、みやびやかな微笑をアマリは浮かべた。
 純白と朱の巫女装束に、京紫の羽衣を纏う出で立ちは、正に高貴な生まれの神職者と言った印象だ。彼女の実家がつかさどる、このやしろに訪れる者も、位の高い一族や裕福な者が多い。
 彼女の面談式の『ほどこし』は大変評判が良いが、で頻繁には行えない為、本人の意思とは無関係に、付加価値が付けられ対価が高額になっていたのだ。

 今日の参拝――依頼者は、人族の都の重職に就く男の奥方だ。見合い……政略婚だったが運良く良縁で、仲睦まじい夫婦だったらしい。しかし、長年が経つにつれ熱も情も次第に冷め、すれ違いが生じて思い悩み、体調も崩してきたという。

「やはり、主人と上手くゆかず…… 何を聞いても彼が理解出来ず、こちらの事も理解して貰えずで……苛立ちが抑えられないのでございます」
「……お嫌いになられたのでございますか?」

 ずっと固くなっていた身体が震え、はっ、としたような表情になり、俯いて夫人は静かに首を振った。

「お見受けしたところ、ご主人様の嫌な面ばかり気に障るのではありませんか?」

 ぴくり、と反応した彼女の様子を見た後、アマリは白魚のような右手を掲げ、目を閉じて天に祈りを捧げた。ほのかな虹色の光と共に、一輪の花が現れる。素朴な淡い瑠璃るり色の――亜麻あまの花だ。

花能はなぢからは『あなたの親切が身に沁みる、感謝します』でございます。手に取って、ご主人様にしてもらって嬉しかったこと、お好きな所を思い出して下さい」

 可憐な亜麻の花を手にした夫人は黙り込み、泣き出しそうな面持ちになった。微かに肩が震えている。夫の事をまだ好いているのだろう。だからこそ、仲違いをしては悩み、苦しむのだと考えた。
 そんな彼女の心情をなだめ、癒していくように亜麻の花は、ゆっくりと夫人の掌の中に、朧気に瞬きながら溶けてゆく。幻想的で美しい光景だ。
 アマリが召喚して生み出した花は、花言葉の意味が実現する力――『花能』に変わり、依頼人の心に深く、授かる。

「落ち着かれましたら、今一度、ご主人様と今のお気持ちを話してみて下さい。ちなみに、この花の精油には、滋養に良い成分が含まれております。お身体の疲労は精神にも障ります。ご自愛もなさって下さい」
「アマリ様……!! ありがとうございます……!!」

 両手を合わせながら首部こうべを垂れ、夫人は何度も礼を言った。


 彼女の帰路を見送った後、アマリは絹地の座布団の上に座り込み、ゆったりと足を崩した。額には、僅かな汗が滲んでいる。

「アマリ様。大丈夫ですか?」
「問題ありません。何時いつもの事です。少し疲れただけですよ」

 彼女の能力は、自身の生気を利用し、その力を変換することで発揮される。故に、施しを受ける者は限られている。その事は侍女も承知だった。複雑そうに微笑み、労るように言う。

「……亜麻の花、美しゅうございました。こんな季節に見られるのも、アマリ様のおかげでございます」

 亜麻は春夏の花だ。紅葉の見頃が終わったばかりの、今の時期には咲かない。

「そう言えば、アマリ様のお名前の由来でもございますね。瞳のお色と合わせて『亜麻璃』……素敵です」
「……ありがとう」

 微笑を浮かべ、丁寧に会釈する。いつか両親にその事は聞いた時は、アマリも嬉しかった。だが、その名には隠された裏の意味がある。その事を下女の噂で知ってしまった時の、裏切られたような絶望感は忘れられない。
 「お茶をおれ致しますね」と、侍女がその場を離れた後、一人きりになったアマリは、ぽつり、と呟いた。

「……殿方との婚姻って、どんな感じなの……?」


 先達者のように説いてはいるが、依頼者の悩みを、アマリが実際に経験した事は無い。相手の心情を感知し、それに合わせた力を授けるだけという、全て異能ありきなのだ。
 どんな形であれ自分には縁の無い、得られない事柄だと言う事は、はっきり判っていた。このやしろを取り巻く以外の世界を、彼女は知らない。知らないまま、間もなく人生の終わりを迎える……
 そんな未来が、時折、何とも言えない無力感、やるせなさを覚えさせる。

「アマリ様。一刻程後、次のお客様がいらっしゃいますので、ご一服下さいませ」

 施しが終わった後、毎回耳にする侍女の同じ言葉。変わらない仕組み。そんな状況でも、今まで通りの一日が繰り返されている。何事もなかったように。これからも無いかのように。
 尊巫女みことみこの中でも、極めて稀な異能を持って生まれた亜麻璃アマリの一生は、十八になったばかりの冬までだと……先日、決まった。

災厄


「アマリ。お前のが決まりました」

 先日のある夜更けの刻。アマリの暮らす離れに、両親が揃って訪ねて来た。最後に顔を合わせたのはいつだったか覚えていない。
 次に会う時は、が来た事を告げられるのだろうと、覚悟していた。幼少は神々や一族の昔話を寝物語として乳母から、物心ついてからは自分の生まれ持った責務と宿命を、礼儀作法や教養の師範に説かれている。
 どこぞの神の伴侶となるか、その一族のにえとなるか。いずれにしろ、二度とこの屋敷、やしろや両親、弟妹達の元には帰って来られない。先に旅立った姉が、そうだった。

「……どちらの神の方の元へ、でしょうか?」

 確か、姉の御相手は、稲荷いなり様だったろうか…… 幾月ぶりにアマリは回想した。姉の婚姻の詳細と結末を、彼女は知らない。あえて知らされなかったのかもしれないが、哀しさを感じつつも、あまり気にならなかった。
 物心がつき、異能の力が強くなった頃、本堂から離れた『施し』を行う一室に一人置かれた。それから十年程、侍女が衣食住の世話に来るだけの暮らしに変わり、親姉弟と疎遠になったからだ。
 他の姉弟妹も家族の関係、情というものが希薄だったが、そんな扱いをされたのは自分だけだった。そんな処遇に戸惑い、疎外感と孤独感にさいなまれていた。

「厄病神です」
「……!?」

 様付けすらしない、神に対する称とは思えない呼び方。両親だけではなかった。この人族の間では、皆、彼の事を似たような概念で見て、呼んでいる。
 そして今、そんな立場に置かれる者に、彼らは自分の娘を差し出そうとしている。長年隔離されていた世間知らずのアマリでも、とんでもない状況だということは判る。
 唖然とした面持ちを隠せない彼女に、今度は父が語った。

「この役目は、お前にしか果たせない。アマリ。頼む。」
「解って頂戴。これは貴女の宿命です。」

 幼い頃と変わらず、形式的な言葉でしか語らない父と、神妙な形相で迫るように乞う母。自分も姉と同じ道をゆく事を予期はしていたが、さすがに両親の意図がせず、困惑した。

「父様、母様…… ですが…… 何故……?」

 尊巫女みことみことしての威厳を忘れ、無意識に声が震えていた。その神の元にゆく事は、伴侶にされる道は絶たれるという、酷な事実を意味していたからだ。

 厄病神――『禍神まががみ』の類とされ、他の神々とは異なる立ち位置にいた。その名の通り、人族の地に神出鬼没に現れ、あらゆる災厄を起こす力を持つ。その度に多くの人族や生物が滅し、不幸になるため、当然、人族から忌み嫌われ、死神並みに恐れられていた。
 とはいえ、妖怪に値する存在ではないので、神々の間でも扱いに困り、煙たがっていたのだ。同じ種族には、疫病神、貧乏神などがいる。恐ろしい疫病を流行らせたり、獲物ターゲットの金品財産を奪い、徐々に貧困に陥れる力を持つ。
 それでも神の名が付く族にいるのは、彼らの能が脅威的であり、一理でまかり通るからなのだ。しかし、その非情で傍若無人な所業から、『人族を伴侶にするなど有り得ない』『そんな奇異な者に太刀打ちできる巫女などいない』と見られ、今までどこのやしろも、なかなか尊巫女を出さなかったのだ。

「あの一族に対抗できる尊巫女は、他におらんのだ」
「贄となり、貴女が鎮めて頂戴。この為に力を使いこなし、鍛えてきたのです」

 父母の説得は、解るようで解らない。自分の異能は、そんな破壊的な力に対抗できるとは、とても思えなかった。

「そんな…… 私には、無理です……!」
「今まで人族の方々の治癒の為に使って来ましたが、本来、貴女の力は、生命萌芽ほうが……自然再生なのです。逆風となり相殺され、彼らの力を少なからず抑え込む事ができるでしょう」
「……!!」

 知らずにいた真実に、アマリは絶句した。ならば、何故、今まで一人きりで隔離されていたのだろう。最初から贄となり死ぬしか無い宿命だったなら、それまで両親や弟妹と過ごしたかった。
 例え希薄な間柄でも、独りきりで離れに籠り、『仕事』や教養、芸事の稽古にばかり費やして暮らすよりは、ずっと良かった。少し位なら、日々の楽しみも得られたかもしれない……


 茫然自失状態になり、目を臥せて黙り込んでしまったアマリを見て、父母はいつも通り彼女が従い、受け入れたと思ったらしかった。

「神界への『輿こし入れ』は、次の新月の夜になります。支度はこちらで進めますから、貴女は通り……頼みますね。――アマリ」

 駄々っ子をなだめるような口調の最後に、言い聞かせるよう念を込めた母の言葉が、普段動かない彼女の心をえぐった。
 完全に固まってしまった娘を満足げに見やりながら、父母が離れのふすまから出て行く。後を追いかけ、問いかける気力は……湧かなかった。
 『アマリ』は『甘利』とも書く。利益を甘んじる、最上位にするという意味の名だ。彼女が産まれた時、祈祷師が重々しい口振りで、こう予言したらしい。

『このわらべはやがて尊巫女となり得るが、極めて稀な力を宿している。有り余る富をもたらすか、手に余る災いをもたらすかは……貴殿方次第でございましょう』

 それを聞いた両親や親戚は、喜ぶ一方、畏怖いふを覚えたという。そこで決まったのが、娘を上手く飼い慣らし、一族の為に利用する事だった。
 その事実を、屋敷に仕える下女の立ち話で偶然聞いたのが、僅か数年前。それまでの違和感や絡まりが一気にほどけ、そのまま崖下に引き落とされ――それまでの全てが、壊れた。


 ……どのくらいの時が経ったかわからないまま、ふらり、とアマリは離れの庭園に出た。深夜の初冬の空。この小さな庭が、彼女の唯一の外の世界だ。
 『施し』の仕事を始める時、依頼者にどんなに乞われても絶対に叶えてはいけない、叶えられない事柄を、厳しく教えられた。

 『死者の生還』『他者の心を操る』『金品財宝などの富を与える』

 どれも倫理に反していて、アマリへの負荷も多大で、命に関わるからだと聞いた。その時は、これは親の愛情なのかと嬉しくなったが、今では、それすらも信じられない……


 庭の生け垣に、ちらほらと紅白の花が咲いている。世話は庭師が行っているが、季節の花を観賞する事は、限られた中の趣味の一つでもあった。
 今は山茶花サザンカが見頃で、多く植えられていた。宵闇の中、赤と白に浮き上がるように咲く、雅やかで艶やかな姿がアマリは好きだった。

 ――せめて、一度だけでも、薄紅色が観たかったわ……

 山茶花には桃のような薄紅色もあるが、此処ここは紅白のみだ。植えてもらえないかと庭師に申し出てみたが、尊巫女としてのイメージの為、巫女装束に使われる紅と白だけ植えるよう、奥方様に頼まれているから……と申し訳なさそうに言われた。
 薄紅色の山茶花の花能はなぢからは……『永遠の愛』。時折、特に女性の依頼者に望まれるが、アマリの異能では叶えられない事だ。

 ――そうだったわね。かなわない、のよね。何もかも。
 ――『愛』が何かもわからないまま、死ぬのだから……

 闇夜に浮き出る紅白の花の前で、れ切っていた瑠璃のを、独り滲ませた。

輿入れ


 憂鬱な事柄が待ち受けていると、時が進むのが早いというが、の多忙な暮らしを送っていたアマリには、感傷に浸る余裕すら無いまま日々が過ぎてゆく。

「アマリ様。おめでとうございます」
「尊巫女様。誠に有難うございます……!!」

 『輿こし入れ』が決まってから、参拝者始め、屋敷に仕える侍女や下女に至るまで、顔を合わせる度、あらゆる人間に礼を言われ続ける。ある者からは泣かれながら、ある者からはうやうやしく頭を下げられながら……
 いつも世話をしてくれる侍女は、少し複雑そうな眼差しで彼女を見つつも、普段通りの態度で接していた。

 ――もう、何も考えない。考えられない。考えたくない…… これが、私の生きる理由、運命、宿命……

 自身に呪文をかけるように、何度も何度も、同じ言葉を繰り返し、言い聞かせる。


 この数年、年替わりに天変地異を始め、疫病の蔓延、火災、飢饉、治安の悪化という様々な災厄が、人族の地を襲っている。原因はともかく、恐怖と絶望に陥った人々が、何かの救いを求めたがるのは無理も無いと思った。
 自分がその元凶の一つを少しでも鎮められるのなら、これが自分の役目で存在意義なのだと、改めて自分にさとした。
 拒否した時の彼らを想像すると、罪悪感で痛ましくもなる。自分の命や人生の事など、少しでも気にしたら、自身のが狂ってしまいそうだった。
 す術が無いという以前に、そんな考えすら持つ事自体、決して赦されないのだと、生まれた瞬間から暗にされ命じられている。微かな疑問さえ滅するしか、無い……


 瞬く間に、いよいよ明日が『輿入れ』の夜となった。さすがに前夜は、処刑を待つような心境になるだろう……と予測していたが、心身共に疲れ切っていたアマリは、無気力……虚脱に陥っている。
 この離れに連れて来られてから、一人で夜を過ごすのは当たり前だった。寂しさと心細さで泣いても、来てくれる者は誰もいない。時に、悪夢による恐怖で助けを呼んでも『騒がしい。眠れない』と、咎められた。
 舞などの稽古けいこ中、厳しさに思わず涙すると師範に注意され、その後、母にきつく叱咤された。そんな日々が過ぎてゆく中、一つ、また一つと何かを諦め、気づいた時には、てていた。

 ――厄病神やくびょうがみ…… せめて、完全に殺してから、贄にして下さらないかしら……
 ――あ……だけど、彼にとって、私は毒なのよね…… 本来なら夫になる立場の方に奇襲するなんて……嫌われてしまうわね……

 朦朧もうろうとしたまとまりの無い脳裏に、『人族の力になって役に立つ』『神族との梯子になって支える』という、尊巫女の誇りと義務感が揺らいでは、浮かぶ。少しでも気を緩めると、いびつに壊れてしまいそうな心境の中、婚礼前夜が過ぎていった。


 翌日。ほとんど眠れなかったアマリは、朝から始まった『輿入れ』の支度にも、されるがままだった。まずはやしろの地下水を沸かした湯で体を清め、長い濡羽髪を結い上げ、白粉おしろいを施し、紅を差す。
 この役目を代々任されてきた侍女達によって全て行われ、慣れた手つきで、彼女達は順序良く事を進めていく。仕上げに白無垢……花嫁衣装をまとった時には、淡い瑠璃の瞳が白一色の姿に一層映え、神秘的な美しさを醸した姿になっていた。

 ――……私……死ぬのよね……? これから……

 出来上がりを姿見すがたみに映され、『お美しゅうございます』『素晴らしい出来映えです』と絶賛される。そんな状況が、当人のアマリは不可思議……滑稽な思いでいた。
 相手が神族とはいえ、いつかは花嫁衣装を着るという未来は憧れだったが、上質な白無垢も丁寧に施された化粧も、今となってはく為の死装束にしか見えない。
 それなのに……と、ぼんやりした脳内の中が、改めて空虚感で埋まる。が、今更な事だ……とも同時に思う。今までずっと、当たり前のように当人の意思や疑問は無視され、あらゆる事柄が進められていった。止めるすべも止められる者も無い。
 全て始めから、見知らぬによって決められていた出来事……人族の為に犠牲となる尊き巫女の清く潔い姿を、民に見せつける儀式……祭典の一環なのだと、改めて思い知らされる。

 すっかり宵のとばりが落ちた、新月の夜更けの刻。真冬の夜空からは、ちらほら、と粉雪が降って来ていた。そんな凍てついた気温の中でもやしろの屋敷の入口付近には、周辺に住む人族の民が、今夜『輿入れ』する尊巫女を一目見ようと集まっている。彼女のは、既に人族の間に知れ渡っていたのだ。
 自分達の為に、あえて厄病神の元へ……何と気高く、慈悲深い尊巫女様だと、手を合わせながら崇め、たてまつり、中には憐れみを含んだ眼差しを向ける者もいる。
 皆、この婚姻は尊巫女が厄神の贄となり、忌まわしい力を抑える為の儀式であり、『花嫁の死』によって終わると知っていた。昼間の明るい青天の下ではなく、宵闇に紛れながら目立たず婚儀を行う理由も、暗に了解しているので誰も不平不満を言わない。が主に日暮れ後に現れ、決して手放しで祝福できない婚姻……それが、亜麻璃アマリという尊巫女、一人の女性の宿命という事も……

 屋敷全体の入口である、立派な門構えの近くに、一人用の駕篭かごたずさえた、社に仕える二人の従者が待っていた。浅い烏帽子えぼしを被り、上質な袴姿という高貴な印象の出で立ち。暖をとる為でもある、炎の灯った松明たいまつを手にしてはいるが、漆黒や鉄紺を基調にした羽織を纏い、顔の下半分を布で隠した姿は、あの世への案内人のようにも見えた。
 門から少し離れた場所を取り囲むように、人族の民が傍観する中、侍女に付き添われた白無垢姿のアマリが現れた。暗がりの中、綿帽子を深めに被り、目を伏せている彼女の表情は見えない。それでも全身から放つ、清楚で雅やかな気は隠せないでいる。
 そんなしとやかな出で立ちに、民も待機していた従者達も、ほうっ……と密やかに感嘆のため息をついた。

「尊巫女様。こちらへ」

 従者の一人が、アマリに駕篭かごに乗るよう、うやうやしく促す。無言のまま静かに会釈した後、アマリは引き込まれるように、そろり……そろり……と壇を踏み、華奢な身体を中へ押入れる。
 純白の花嫁を乗せた駕篭は、そのまま屈強な従者二人にようやっと担がれ、雪舞う道へ進み、やがて闇夜に溶け、消え入った。


↓話一覧


 #創作大賞2023  #恋愛小説部門 

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