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厄咲く箱庭 ― 花巫女と災いの神(6) 参. 天上天花

創作小説『厄咲く箱庭 ― 花巫女と災いの神』の第三幕部分になります。(R15未満)
※フィクションです。実在の人物、土地、出来事とは関係ありません。

概要

参. 天上天花

天罰


 その夜の夕餉ゆうげ時。いつものように、部屋でカグヤと食事を摂りながら、ずっと気になっていた事をアマリは相談した。反物の礼に何か出来ないか聞いた時の荊祟ケイスイの返答が腑に落ちなかったのだ。

「……確かに大したお役には立てないでしょうけど…… 女中の皆様の負担を少しでも軽く出来ると思うのです…… 気を遣って下さったのでしょうか……」
「だと、思いますよ。そもそも、貴女様は、長年の疲労が重なってか、お身体が少々弱っていらっしゃいます。初めてこの界にいらした時、長様が医師を呼ばれましたが、そのように診断されています」

 自分が気を失っている間に起きていた事、知らなかった事実にアマリは茫然とした。自分の身体の件より、そんな配慮までしてもらっていた事に驚き、荊祟への感謝の念が再びわき上がる。

「『何故、尊巫女がこんな状態になっているのか』と不思議がっておられました。花能はなぢからの事を知り、納得されたのではないでしょうか。それであのように申されたのでは」

 今日、すずりなどと一緒に持って来てくれた書物を思い出す。花や植物についての書、界で有名な服飾雑誌、この厄界の歴史や風俗関係のものだった。
 異界から来た自分を、彼は本気で自ら治める世界に迎えてくれようとしている。『好きな事を探せ、この界に慣れる為に勉強しろ』……そんな意図が伝わり、アマリは泣きたい位嬉しくなった。

「今は、心身共に養生されてはいかがですか? 何をお礼をされるかは、それから考えてもよろしいでしょう?」

 荊祟が訪れていた時、カグヤは隣の部屋で待機していた。襖一枚と箪笥たんすなどの家具を隔てての会話は、余程大声でない限り聞こえない。だが、くノ一のカグヤには、二人の関係が少しずつ変わっている事に勘づいていた。
 会話が終わり、部屋から出てきた時の荊祟の様子、そして、自分と彼の名が書かれた半紙を大切そうに見つめていたアマリ。互いの心の距離が近づくにつれ、繋がりが生まれ、惹かれ合っているのは明らかだ。
 二人の境遇や過去を知る彼女には喜ばしい事であったが、同時に彼らの辿りゆく未来を考えると、切なく複雑な思いに絞られていた。


 数日後。仕立てたアマリの着物を届けに、以前来訪した呉服屋の遣いが屋敷にやって来た。祝い事関係の注文が殺到して近頃は忙しく、直接行けず申し訳ない、と主人直筆の文が同梱されている。
 出来上がった小袖は、どれも華やかで美しかった。アマリの視界一面に、再び色鮮やかな世界が広がる。カグヤや従者に勧められ、早速、一着に袖を通した。初めて自分で選んだ、薄紅の山茶花模様の着物だ。紫紺しこんの帯を締め、姿見に全身を映すと、見慣れない姿の自分がいる。現実味がなかった。ふわふわして落ち着かない……

 ――『好き』を身に付けるって、不思議……

「折角ですから、外に出して差し上げてはいかがですか? ずっとこの離れにこもっていらしたでしょう?」

 今日は何故か、襖の側に隠れるようにもたれていた荊祟を見やり、カグヤは促す。

「……どこか行きたい所や見たい物はないか? 民が大勢の場所は無理だが」
「え……」

 二人だけで、という状況に緊張と喜び半分な思考の中、精一杯ひねり出す。

「あ、花……花が、見たい、です。少しでも構いません」
「……あるには、あるが」


 口ごもった彼に抱えられ飛んで来たのは、以前、訪れた庭園から更に少し離れた、川沿いだった。所々に水仙が咲いている。今は冬だから花は少ないが、他には見当たらない。

「悪いが、この界自体、花はあまり咲かない」

 毒を含む花や、空気の悪い場所など厳しい環境にも耐えうる花しか咲かないのだと、荊祟は説明する。藤、鈴蘭、蓮、睡蓮、百合、罌粟ケシ夾竹桃キョウチクトウ、彼岸花……

「この厄界ぐらいだ。人族の界の負の部分に共鳴し、他の神界より多く請け負い、その警告として、俺は災い……不幸を返す」

 可憐だが健気な出で立ちの水仙を眺め、独り言のように語る彼を、アマリは何とも言えない思いで見つめる。

「災厄を助長する力について、俺とて思う事はある。どのくらいの害……人族のみならず、生物や土地が破壊され、不幸に見舞われるのかは、こちら側にもわからんのだ」
「……」
「龍神界や稲荷界の長など、天候を操る務めの神は雲や陽の声を受け、値するだけの力を使うが…… 俺などの厄をもたらす神は、そうはいかない」

 その度に災い、不幸を呼び起こす。愚かな間違いを犯した者達に気づいて欲しく、罰を下すように。
 だが、終わらない。幾年の時が過ぎても、文明が発展しても、繰り返される。何度も、何度も。犠牲になる者は自分には選べない。皮肉にも、神族として赦されない。命の判断という傲慢と紙一重な選択を、個に委ねてはいけないからだ。
 だから、どうにか生き延びてほしい、罪の無い人族にこそ、強く生きていてほしい。そんな願いを込め、界を荒らし、混乱させる。
 だが、悲しみに暮れる者、泣く者は減らない。何も変わらない。何も救えない。なんて無力で、滑稽で、虚しいのだろう。これでは何もしない方がマシなのではないか。
 世の汚れ、嫌われ役、まさに厄介者なのだ。

「……残酷、ですね」
「そうだ。残酷だ。地獄とは、この世だ。利用されていたお前にだって、解るだろう? 持て囃されていたから信じられないか?」

 返す言葉が見つからない。彼が背負って来たものの痛みは、自分のそれとは違う気がする。

「俺はそんな奴らに振り回されるのは、もううんざりだ。なるべく関わりたくない」

 心底嫌悪しているように眉間を寄せ、珍しく愚痴を吐く彼に、アマリは同情した。

「貴方様だから、です。権力に興じ、利己的に使う主は……苦しまないと思います」

 瞳孔を少し開き、荊祟はアマリを凝視した。何か苛烈な激情が、彼の内から突き出そうとしている。

「……災いや不幸を恐れるが故に、俺を疎み、嫌う人族はまだ理解できる。だが、大金を積むから特定の地に災厄を起こして欲しいと、そんな私怨を申し出てくる輩が……たまにいる。――俺の母が、それの間者だった」
「……!!」

 絶句するアマリだったが、そのような者が存在するという事実は、何故か受け入れられる気がした。だが、自分の母親が関与していたという事を、彼は今、告げようとしている。
 驚きの余りに返答できないのだと思った荊祟は、冷ややかな眼差しを彼女に向け、続ける。

「邪神を憑依させ、精神を操る禁術の異能者という稀な尊巫女として、当時の長だった父に献上された。災厄というのは、自然界のことわりだけでは起こらない。人災というものもある。だから、父は受け入れた……伴侶として。異能だけではない。母に骨抜きにされたのだ」
「……」
「やがて、俺が産まれた。その頃から母は豹変し、高圧的になり間者として父に迫るようになった。術を使い、実家に癒着する組織の為に力を使うよう、巧みに誘導した」

 古の伝奇でも語るような、淡々とした口振りで荊祟は続ける。

「勿論、父は精一杯、抗った。だが、母に惚れ込んでいた弱みがあり、揺らいでいた。そんな企てを察した父の側近らに断罪され、母は処刑された。己を責めた父は、責任をとり自身の力を使い――自害した」

 悲鳴が洩れかけた口元を、アマリは慌てて抑える。

「その後、母と通じていた奴らが、腹いせに我が一族の醜聞を吹聴したらしい」

 母親の形見が一つもない理由を、哀しく察した。おそらく全て燃やされ、処分されたのだろう。胸がひどく痛み、アマリの眼に涙が滲んだ。なんて悲しい、まだ幼い少年だったろう彼には、酷過ぎる出来事……

「そんな奴らに限って、何か遭っても何故かしぶとく生き残る」
「荊祟様……」
「……お前がやって来た時、同じ事が起きるのではと警戒した。尊巫女の献上が母以来だった故……探る為に、きつくあたった。すまなかった」

 哀しげに詫びる、陰った琥珀の瞳を見て、静かに首を振る。彼のせいではない。致し方無い事情だ。

「……それでも、夜……生かして下さったのですね」
「だから、それはだな……」

 再度、弁解しようとした荊祟だったが、アマリの泣き笑いのような慈しみある微笑に、言葉を止めた。
 自分の意に反する行いでも、界の為になるなら治める者としていとわない。そんな彼の魂、生きざまが、アマリには何よりも美しく、気高く見えたのだった。

地獄の花


 まだ立春を迎えたばかりの、日暮は早い。宵に落ちる前にと、荊祟ケイスイはアマリを抱え、宙を舞い飛ぶ。だが、暫く身体を動かしていない彼女を案じ、『少しは体力をつけた方が良い』と、以前も訪れた池囲いの庭園からは、歩いて帰る事にした。
 今では馴染みがある道になったが、暗がりの中を慣れない着物で歩くのは心許ない。おぼつかない足取りで、心無しかゆったりと歩く荊祟の後ろを、転ばないよう必死に付いて行く。

 ――歩調を合わせて下さってるのかしら……?

 いつもならもっと俊敏な動きで振る舞う彼が、気遣ってくれていることが嬉しく、少し息が上がって辛くなってきた状態が言い出せないでいる。
 そんな中、突然、目の前に漆黒の布地が迫った。つんのめり、反射的に見上げる。

「辛いなら遠慮なく言え。止まるから」

 眉や目元は変わらず鋭く、涼やかだが、少し困ったような、それでいて心配そうな眼差しでアマリを見下ろす。彼は自分よりも頭一つ分の背丈がある事に、今頃気づいた。

「も、申し訳ありません。遅れるといけないと思いまして……」
「……あと少しで帰れる。多少暮れてもかまわん」

 躊躇いがちに、ゆっくりと荊祟はアマリの手をとった。自分より一回りは小さな掌に、鳥のように鋭く伸びた爪が触れ、そのまま固まった。アマリも同じように硬直する。
 だが、彼とは違う理由だ。荊祟の口から紡がれた『帰る』という言葉、触れられた手に、異様に意識が集中する。

「……あ、の」
「……腕に掴まれ。足元にだけ注意しろ」

 少し上擦った声で手を離し、今度は左腕を曲げつつ差し出した。視線はアマリから反れている。

「……はい。ありがとうございます」

 動揺した心を抑え、今度は気遣いに甘えた。恐る恐る、彼の二の腕を羽織越しに掴み、身体を軽く預ける。
 その様子を確認した後、荊祟は再び歩き出した。先程よりも、更に速度が落ちる。そんな行動の何もかもに慣れないアマリの心が翻弄する。ふわふわ、と芯から浮いているようで落ち着かない。こんな風に優しくしてもらった事も、誰かと密着する事も、記憶になかった。


 気恥ずかしい沈黙をごまかしたくなり、何か話題を探す。
 ……ふと、彼の年齢を聞いていなかった事を思い出す。確か、先代の尊巫女が献上されたのは、百年近く前だという。その後、彼が産まれ、代替えしたという事は……

「……あの、荊祟様は、おいくつなのですか?」
「神界の長は、尊巫女と契るまで年をとらん。故に成人……代替えした十七のままだ」
「じゅ、十七……!?」

 まさか年下だったという事実に驚愕する。聡明で大人びていて、威厳ある一族の長だ。ずっと年上だと思っていた。
 ずっと前を向いていた荊祟が、少し顔を向け、怪訝そうに返す。

「そんなに可笑しいか」
「いえ! ただ……驚いて……」
「……たかが一つ違いだろう。それに、お前よりも何倍もの年月を生きている」
「そう、ですけど……」

 何が不満なんだと、少し拗ねたような彼に、急に親しみを覚え出してしまう。そんな自分が不思議で、本当に……可笑しかった。それだけではない。

 ――出来るなら、このまま屋敷に着かないでほしい……

 という、自分でも理由のわからない願望を抱き出している。

「……気づいているだろうが、黎玄はもう向かわせていない。何か要望があれば、カグヤに言え」

 明らかに挙動不審なアマリを、ちらり、と不思議そうに一見した後、彼自身も理解できない動揺を秘かに抑えながら、そう告げた。


 その夜は、生まれて初めてと言っても過言ではない、たかぶる想いと喜びに包まれながら、アマリは久方ぶりに安らかな眠りについた。
 だが、翌日から、次第に悪夢を見る回数が増えていった。人族の実家にいた時も見る事はあったが、大抵は疲れ切って沼に沈むように眠るか、逆に情緒が落ち着かず眠れない、という事が多かった。
 夢の内容は様々で、ほとんどが抽象的だった。目覚めた時にはほぼ忘れているが、至極後味の悪い余韻と頭痛が、しっかりと残る。
 何かに襲われ、追いかけられ、罵倒され…… 時には、実際に言われた言葉が何度も頭に鳴り響く。

「昨晩は眠れず、ひどくお疲れだったようで仮眠をされていたようです。異変を察し、こちらに来た時には、ひどくうなされておいでで…… 恐ろしい夢でも見ておられるのでしょうか……」

 まだ日は明るい中、どうにか寝かせた敷き布団に横たわり、「う、あ……」と、苦しそうにうめくアマリを心配そうに見ながら、訪れた荊祟にカグヤは告げる。側の畳には、以前、荊祟が渡した書物が開かれたままになっていた。

「先程から何度もお声掛けしたのですが、お目覚めにならないのです」
「……いや。もう、嫌なの……誰か……」

 掠れた声でうわごとを口にし、苦痛に耐えるように、うつ伏せのままアマリは敷き布を握りしめる。
 そんな彼女を哀しげに見ていた荊祟は、少し躊躇ためらった後、そっ、とその手をとり、恐る恐る、数本の長い指で握った。鋭い爪で彼女の柔らかな掌を傷つけないように、優しく包む。
 ぴくん、とアマリの身体が震え、うめき声は少し静まった。自分の掌を包んでくれている少し固く、温かなにすがるように、力なくも握り返す。

「長様……」
「……こうするだけなら、問題無いのだろう?」

 荊祟の心境を改めて感じたくノ一は、複雑そうに、声を掛ける。彼の眼差しには哀しみと労りが含んでいる。だが、その瞳の奥には、戸惑いと共に、やわらかな熱も帯びていた。いずれ苦しみを伴う、兆しの想いが……


 外が宵に落ちた頃。アマリはようやっと目を覚ました。

「……?」

 まだ痛みの残る脳裏に、昔の自室と今の部屋の記憶が交差する。虚ろげに眼球を回すと、暗がりの中、行灯に灯る温かな光が映り、少し安堵した。此処は『ここ』だと認識する。

「アマリ様。大丈夫ですか?」

 聞き慣れた凛とした穏やかな声に、更に気がゆるみ、張り詰めた心がほどけた。

「カ、グヤさん……」
「昼過ぎからお眠りになっていて、随分と魘されておいでだったので、隣から参りました」

 ずっと看ていてくれたのだろうか。確か、自分は読書をしていた。寝不足で睡魔が襲ってきて、それから……
 カグヤに背中を支えられながら、重い身体をゆっくりと起こす。ふと、枕元に菓子折らしき包みと小箱、一通の文が置かれているのに気づいた。

「……これ、は……?」
「夕刻、長様がいらしまして…… 貴女様に渡すよう頼まれました。気が滅入った時などに良ければ食べるよう、との事です」

 藤色の綺麗な紙箱を開けると、色とりどりの可愛らしい和菓子が詰められていた。驚きでを見開くアマリに、苦笑しながらカグヤが付け足す。

「最近の若い女が何を好むかわからないから、密かに調べてくれと言われました。こんな任務は初めてでしたよ」

 虚ろな陰を落としていた瑠璃の瞳に、微かな光が灯った。続けて小箱の方をそっ、と開ける。
 中身は薄紙に包まれた、鼈甲べっこう製の土台に、紅白の山茶花をつまみ細工でかたどったくし形のかんざしだった。所々に真珠がちりばめられた美しい仕様だ。
 目を疑ったアマリは、急いで文の方を開く。見覚えのある達筆な文字で、たった一文が記されていた。

 『花をあまり見せてやれなかった詫びだ。遠慮なく受け取れ』

「詫び、なんて……! こんな高価なお品……!!」

 悲鳴のような感想が洩れた。何故、彼はこんなに優しくしてくれるのだろう。自分は何も出来ないのに。返せないのに。

「後日、ご自分で渡された方が良いのではと申し上げたのですが…… 早い方が良いと仰いまして」
「荊、祟様……」

 思わず文を抱きしめたアマリの瞳に、再び涙が滲む。弱り切った心に沁みた素っ気ない思いやりは、あまりに不意討ち過ぎて、温か過ぎて、甘過ぎた。
 悪夢に襲われていた最中、覚えのあるぬくもりが意識を包み、ふわり、と開花した事を思い出す。あの時の感覚は、ちょうど今、感じている想いに似ていた。

蓮華灯籠



【※事情により、途中投稿しております】

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