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厄咲く箱庭 ― 花巫女と災いの神(5) 参.天上天花

創作長編『厄咲く箱庭 ― 花巫女と災いの神』第三幕部分になります。
※フィクションです。実在する人物、土地、出来事とは関係ありません。

概要

参.天上天花

其々の選択


 身体のどこにたまっていたのか、幾年分の涙を流し続け、ひとしきり泣いた暫し後――アマリは宙を飛んでいた。粉雪に変わった真夜中の宵空を、規則的にゆらり、ふわり、と瑞風――もしくは鳥の背に乗ったように。

「……おさ様、あ、の」
「喋るな。舌噛むぞ」

 心身共にがちがちに固まっているアマリは、すぐ傍……眼前の荊祟ケイスイを顔を見やる。冷え切った身体は彼が着ていた漆黒の羽織に包まれ、そのまま抱き抱えられるような状態で、アマリは狼狽うろたえつつ身を預けていた。
 そんな彼女の心境を他所に、真っ直ぐ前を見据え、木々の枝や屋根を足場にしながら俊敏に、荊祟は我が物顔で空中を駆けて行く。

「歩け、ますから……降ろして、下さいませ」
「力尽きてへたり込んだ奴が何を言う。この方が早い」

 凍てついた空気の中を薄着で飛び出し、まだ回復して間もない身体で花能はなちからを使ったアマリは、泣き切った後、脱力して動けなくなってしまったのだ。

「で、すが……重い、でしょう?」
黎玄れいげんとさして変わらん。軽すぎる位だ。もっと食え」

 『そんなはずないでしょう』と言おうとしたが、速度を更に上げた彼に、口すら開けなかった。
 贄として一族に喰わせるかもしれなかった相手に、『もっと食べろ』と言う。冷えた身体を自分の羽織で温めようとする。額に感じる首筋の微かな温もりは、人族のものと変わらない。
 家族にすらまともに抱かれた記憶の無い彼女にとって、他者で異種族……増して若い男に身を委ねているという、この状況は大事件だった。どうして良いのか判らず錯乱する中、その温もりと肩に感じる大きな手の感触が、どうにか意識を保たせている。
 この飛ぶような感覚にも覚えがあった。厄界の入り口付近で気絶した後、冥土に向かっているのだと思った時に似ている……

 ――あの時も、こうして運んで下さったのね……

 もしかして……と、薄々感づいていたが、その後の荊祟の振る舞いと一致せず、ずっと曖昧にしてきた。だが、今は確信出来る。『生かされた』証だったのだと。

 ――この方は、どうして『厄病神』なのだろう……

 同時にそんな切ない疑問がわき上がり、アマリの心を占めた。


 あっという間に屋敷の瓦屋根に降り立った荊祟は、そのまま屋根づたいに駆け、離れの入り口に着地した。扉の前には、カグヤが立っていた。荊祟に命じられ、ずっと待機していたのだ。
 長に抱えられたアマリを見るなり、彼女は張り詰めた表情を緩ませ、ほっ、とした素振りを見せる。

「お帰りなさいませ。アマリ様」
「カグヤさん……」

 荊祟の腕から離れ、支えられるように着地したアマリは、いつもと変わらず迎えてくれたカグヤに罪悪感を覚えた。

「申し訳ありません……私……」

 彼女をあざむいて脱走した事に胸がひどく痛む。深く頭を下げ、震える声で詫びた。

「いいえ。ご無事で何よりでございます」

 淡々と、だが穏やかな調子で返すカグヤに、荊祟は口角を僅かに上げ、からかうようにうながした。

「先程、俺に申した事を言わなくていいのか」
「長様!? あれほど内密にと……!!」
「先程……?」

 頬を薄紅に染め、珍しく慌てた様子をあらわにする彼女に驚き、アマリは問いかける。

「……また後程、お話します。今はお身体を休めて下さい。また悪化致しますよ」

 決まり悪そうに、そんな優しい言葉をかけてくれるくノ一を、再び涙がにじみ出た眼で見つめる。『生きていて良かったのだ』と改めて、切に感じた。


 案の定、その日の早朝に発熱してしまったアマリは体調を崩し、再び床につき休養する事になった。が、前回とは色々な事が変わった。
 対面の度に警戒し、互いに探り合っていた荊祟は、時間が出来ると離れにやって来て、様子を見に来るようになった。起きている時は、直接会って体の具合を尋ね、他愛ない事を少しだけ話して本堂に戻る。眠っている時は、カグヤにアマリの状態だけを聞いて去って行くのだという。
 多くて一日に一、二回。丸一日来ない日もあったが、頻度は増えた。カグヤいわく、一つの界で長である彼は、やはり多忙らしい。
 そんな中でも、わざわざ来てくれるようになった事がいまだ不思議だったが、ほのかな嬉しさも感じていた。眠っている時の来訪で顔を合わせられなかった日は、若干残念に思う位に……

 カグヤと摂る食事の時間も、今までより和やかな空気に変化した。粥や膳の品々は、実家と同じく屋敷に仕えている女中が作っている物だと知ったが、食べる時はいつも独りだった。
 しかし、今は違う。務めとはいえ、いつも傍にいてくれて、心から自分を案じてくれる者と一緒だ。それだけで心が和らぎ、口にする味がより美味しく感じる。
 食事を用意してくれる者への感謝の念さえ覚え出す。彼女と共に『いただきます』と手を合わせ、箸をとる瞬間が、アマリにはとうとかった。
 そんな様々な変化に戸惑いつつも、この界での新たな暮らしが、ぎこちなくも始まった。


 熱がようやくひいた頃、自分が脱走した夜、長様に申した事は何だったのか、とアマリはカグヤに恐る恐る尋ねた。

「……『貴女様をお助け下さい』、そして『死なせてはいけない方だ』と申しました」

 少し気恥ずかしそうに口ごもりながら、話し始めた彼女は、驚くアマリに自身の過去を語り始めた。

「アマリ様は、私の母に似ておられるのです」

 元々、カグヤはこの界の農家の生まれだった。生活は貧しく、家族全員が朝から晩まで働いても、兄含め四人食べていくので精一杯だったという。

「貴女様と同じく、自分より私達兄妹や父の事ばかり考え、気遣う人でした」

 だが、やはり無理を重ねていたのか、カグヤが物心ついた頃に体を壊してしまい、医師にかかる事も薬を買う事も出来ず、数年後に亡くなった。
 『何故もっと自分の事を大切にしなかったのか』と、その頃は母の事が理解出来なかった、と切なげに語る。

「今はわかります。私達兄妹を生かす為に、必死だったのでしょうね」

 その後、ますます生活は困窮し、追い詰められた父に、この界の遊郭ゆうかくに泣く泣く売られたのだという。
 幼いながら、持ち前の美貌と才気を見込まれたのか、位の高いくるわに買われた彼女は、楼主ろうしゅに気に入られ、引っ込み新造として売れっの女郎に付き芸事の修行をしていた。しかし数年後、その姉女郎が重い病に倒れ、見捨てられかけた。

「面倒見の良いねえさんでした。母の最期と重なり、思わず楼主に訴えましたが聞き入れてもらえず……刃物を手にして歯向かったのです。大変な騒ぎになりました」
「……!?」

 苦笑しながら、そんな事を淡々と語るカグヤに、アマリは驚愕した。今の彼女からは想像できない姿だ。

「同じ頃、ちょうど成人されたばかりの荊祟様が、家臣の方といらしていたのです。仕置き部屋に入れられかけていた私を目にされ、身請みうけという形で廓から出して頂きました」

 成人し、家督かとくを継いだにもかかわらず、女性に興味を持たない彼を案じた家臣達に、半ば強引に連れて来られたのだという。
 その時は、まさかこの界の長になる者とは知らず、名家の主のめかけにされるのだろうと思っていた。が、荊祟直々に、この屋敷の警護などを担う仕事を勧められ、鍛練を始めたのだという。女の警護人が少なかったので、適性ある者を探していたらしい。

『その気性、あれだけの度胸があるのだから向いている。命を無駄に使うな』

 何故自分を買ったのかと、不可解さをあらわにしたカグヤに、荊祟はそうさとした。
 彼が廓に行った過去に何故か複雑な思いをいだきながら、『無駄死にするな』と、自分に激した荊祟の姿を、アマリは思い出す。

「『カグヤ』は、姐さんが付けてくれた廓での源氏名です。元の名を名乗る事も考えましたが、もう昔の自分には戻れない。なら、新しい名で生きようと決めたのです」

 彼女の生きざまと覚悟に圧倒され続けていたアマリは、ずっと言葉を失っていたが、ようやく口を開く。余計な世話だとわかっていたが、問わずにはいられなかった。

「……戦う事、は怖くないのですか」
「基本的にはこちらの護衛、又は潜入調査ですので、戦にでもならない限り命懸けにはなりません。怖くないと言えば、嘘になりますが……こちらの方が性に合っています。いずれにしろ、あのまま廓に居ても、どうなっていたか分かりませんから」

 毅然とした面持ちで、文字通り異世界の話のような事を語るカグヤに、アマリは茫然としつつ、どこか共感めいたものを覚えた。自分も不可抗力で命懸けの所業をしたが、彼女は自分の意思で動いた経緯もある。

 対称的な人生を歩んできた異種の女性。この出会いは偶然なのか、必然だったのか。幾つもの出来事、選択が重なり、運命は大きく変わる。
 自分が今、この界でこうしているのも、数奇な巡り合わせの果てなのかもしれない……と、何とも言えない思いに包まれた。


一進一退


 一週間弱が経ち、ようやく体調が治まった頃、カグヤから荊祟ケイスイからの伝言を預かったと、アマリは聞いた。近日中に御用達の呉服屋を呼ぶから、着物を仕立てる布地を選べという事だった。

「そんな。置いて頂けるだけでも、十分ありがたいですのに……」
「ずっと客人用のお着物と寝間着でしたからね。此処ここで暮らしていかれるには足りないと、長様も気にされたのでしょう」

 あくまで自分は居候の身だと、遠慮するアマリに、カグヤは苦笑しながら付け足す。

「とは申すもの、尊巫女が献上されたという噂は、界に広まっているので、暫くは迂闊うかつに外に連れてゆけないので申し訳ない、との事です」

 そもそも、この屋敷には女物の着物が一枚も無かった。カグヤ始めくノ一は基本的に忍装束、女中は通いの者ばかりで、男所帯だからだという。荊祟の両親は既におらず、兄弟姉妹もいない為、貸せる物も無いらしい。
 恐れ多すぎて借りるつもりはなかったが、母親の形見も無いのだろうか……と、アマリは少し疑問に思った。彼は人族との混血だ。母は、おそらく尊巫女……自分よりも先に厄界に出され、長の伴侶になった人物。どんな人柄で、どのような異能を持っていたのかが、とても気になる。
 神族、特に長の寿命は長いと聞いていたが、何故、父である先代の長もいないのだろう……

 ――あの方は、どのくらいの年月を、たったお一人で過ごしていらしたのかしら……

 彼にも色々複雑な事情があるのだろうと察していたが、以前の自分の生き方と、どこか重ねてしまう。種族も、環境も、生まれ持った能力も違う。しかも、自分達人族の天敵……
 それなのに、厄病神――荊祟の在り方を、そんな風に捉えている自身に戸惑う。それでも、もっと彼の事を知りたい……と、今のアマリは考えていた。


 二日後。荊祟が貫禄ある年配の男と共に、アマリの部屋までやって来た。彼……呉服屋の主人は、大きな荷物を抱えた従者を連れている。

「長様。この度のお気遣い、誠に感謝いたします」
「気にするな。大した品を与える訳ではない」

 開口一番、丁重に頭を下げ、申し訳なさそうに礼を述べるアマリに、荊祟は素っ気なく返す。晴れ着ではなく普段着用の小袖を数着作るとの事らしいが、それでも十分居たたまれなかった。

「はは、荊祟殿。こちらは仰天致しましたぞ。久方ぶりのお呼びでございました故、何事かと思いましたら、女の着物をご所望との事。しかも、噂の尊巫女様ではないですか」

 二人のやり取りを見ていた主人に言われ、きまり悪そうに目を反らした彼に、不覚にもアマリの胸は高鳴り、じわり、と喜びがわいた。
 尊巫女の存在をよく思わない者もいると聞いていたが、この男は荊祟からどう聞いていたのか、敵意は感じない。気さくな振る舞いで、従者に荷物をほどき、中身を出すよう指示している。

 間もなくして、深緋こきひ紫紺しこん水縹みはなだ、薄紅梅、花葉はなば色…… 鮮やかな反物の数々にアマリの視界が彩られ、圧倒された。梅、水仙、椿などの旬の花柄が、更に華やかにする。

「さあ、いかがなさいます? 貴女様でしたら……桃色や淡い紫、のお色……瑠璃を基調にしたのやら、花を刺繍した衣が、大変お似合いかと存じます」
「……申し訳ございません。何を選べば良いか……わからないのです……」

 饒舌に品を勧めてくる主人に、アマリは困り果てた。申し訳なさと情けなさで、すっかり小さくなっている。

「それに……本当に似合うでしょうか……」
「合う合わないは気にするな。好む色や柄で良い」
「好む、色……」

 荊祟の言葉に、更に頭の中が真っ白になった。考えられない、浮かばない以前に、思考が停止して動かない。ずっと、正装から日常の衣装、装飾品まで全て、母や侍女の選択に任せ、ゆだねていた。
 自分が何を好むか、どんな趣向かなど、考えた事も気にした事もなかった。そんな自由すら与えられなかったのだ。

「……暫くは、屋敷内でしか着ない代物だ。お前が好きに選べ」

 珍しく、そんな優しい言葉をかけてくれる荊祟に、アマリはますます錯乱して困惑する。色とりどりの反物を、一つ一つ、丁寧に凝視するしかなかった。
 ふと、柔らかなこうじ色の布地に、薄紅の山茶花サザンカが所々、控えめに刺繍されている反物が目にとまった。実家で見る事が叶わなかった、憧れの花……

「これがいのか?」

 じっ、と憑かれたように見入るアマリに気づき、荊祟は尋ねる。我に返り、彼を見て慌てて頷く彼女に、主人と傍にいたカグヤが微笑む。
 その後は、結局、いつまで経っても選べなかったので、荊祟が残り二着分を選んだ。あけぼの色という淡い桃色に、白梅が刺繍された物、葵色と月白の格子柄の物。そして、簡素なくしと手鏡が追加された。


「仕立てに数日かかりますが、なるべく早くお届け致します故、どうかご容赦を」

 そう丁寧に詫びつつ、満足したように帰って行く主人と従者を見送り、部屋に戻った後、荊祟に恐る恐る切り出す。

「あの方……私に敵意を向けられていませんでした。ご商売上という事も、ありますでしょうが……」
「あれとは父の代から付き合いがある。信頼関係のある男だ。これまでの事、お前の人となりを話した所、少なくとも、自ら我らに害をなす事は無いと理解してくれた」

 彼が自分を信用してくれた事がわかり、不意に胸の奥が温まる。だが、他の者はどうだろう。暗に自害を促した彼の側近始め、自分がここに存在する事を懸念する者だって、いておかしくない。

「……お前と話した側近の件はカグヤから聞いた。あの男も父の代から仕えている者だ。俺と界の行く末を案じての言動だろうが……」

 そんなアマリの心境を読んだように、荊祟は苦い顔で続ける。

「いえ。致し方ない事だったと考えております。私がこの界の不安材料な事に変わりはありませんから……」

 から、ずっと複雑な思いでいる。尊巫女……人族としての自分と、彼を始めこの界の者達に救われた自分が、同時に存在している事に戸惑い、混乱していた。
 あの側近の者が言った通り、状況が変わらない事で人族の不信を買い、争いを招いてしまう事が、一番恐ろしい……

「災厄を免れたくお前を差し出した者達が、戦という大惨事を自ら引き起こすとは思えん。じきに何かしらの苦言は申してくるだろうがな。奴らが余程の阿呆あほうでなければ、の話だが」

 はっ、とアマリは荊祟を見た。確かにそうだ。怒らせてしまうだろうが、少なくとも最悪の事態は招かず済むなら、まだ救いがある。

「奴には同じ事を言い含めておいた。それでも、少々渋い顔をしていたが……お前が何か仕出かさない限り、ここに居る事は許可するだろう」
「長様…… 本当に色々とありがとうございます。どうお返ししたら良いか……」
「決めたのは俺だ。お前が気に病む必要は無い。……それより」

 深々と頭を下げ、改めて礼を言うアマリに、荊祟は不可解な意を向ける。

「自分の着物一つ選べないのは、相当だな」

 返す言葉が無く、アマリは俯く。自分がとことん情けなくて仕方ない。

「少しずつで構わん。これから訓練したら良い。……自分の意思を持て、と言ったろう」
「……はい。ありがとうございます……」

 言葉は厳しいが、その内には気遣いや優しさが含まれている。その事に気づいてから、アマリは彼といる時間に安堵を抱き始めていた。

「ところで…… 何故、あの色を選んで下さったのですか?」
「特に、意味は無い。お前が選んだ物と色合いが似ていたのと、瞳の色に合わせただけだ」

 途端に視線を反らし、少し上擦った声で、そんな弁解を始める荊祟の姿が、可笑しかった。『忌まわしい力を持つ恐ろしい神』には、とても見えない。

「お前こそ……何故、あの仕様を選んだ? やけに熱心に見ていたではないか」
「えっ、と……あの」

 やり返された気分だ。今度はこっちが狼狽うろたえる。指摘されても仕方ない位、分かりやすく見ていたし、彼にそんな意は無いのだろうが……

「さ、山茶花、好きなんです。実家の庭にあって、毎年、咲くのが楽しみだったので、それで……」
「……そうか。好きな花はあるのだな」

 まさか真の理由が言えるはずもなく、『我ながら、丁度いい塩梅あんばいの言い訳ができた』と、安堵するアマリだった。


荊を往く


「――花といえば、だが」

 ほっとしたのも束の間、荊祟ケイスイは、界のおさとして知らねばならなかった――いや、ずっと知りたかった事を切り出した。

「お前の異能について聞いておきたい」

 核心を突いた、問い。変わらず玲瓏れいろうな落ち着きある声色だが、真剣な眼差しで自分を凝視する彼に、アマリはふすまの側に待機しているカグヤの方を見た。彼女も長の判断に任せるような視線を向けている。
 既にを見られており、ここまでしてもらっている以上、話さないといけないとは考えていた。が、長である荊祟はともかく、彼女にも知られて良いのかわからず、躊躇したのだ。

「構わん。護衛として知っておいてほしい」

 覚悟を決めたアマリは、少しずつ話し始めた。生まれて直ぐに告げられた予言。花や植物の声が聞こえ出した兆し。やがて、治癒をもたらす花を召喚できるようになった事。間もなく、両親始め一族の人間によって、離れに独り閉じ込められ、一部の人族を相手に『施し』の仕事を始めるようになった事。
 本来は『萌芽促進』という生命を再生させる力であり、贄に出されたのは界を破滅させる力を持つ厄神と事実上の相討ちによって、弱体化させる目的だった事――
 終始、茫然とした面持ちでありながら、荊祟は自身を必死に落ち着かせようとしていた。その位、彼女の話は衝撃的だったのだ。

「――それは……また、興味深い能力ちからだな」

 上擦った声で、荊祟はなんとか返した。花能というのは、一つの神界の長である彼にも、さすがに初耳だったらしく、動揺を隠せないでいる。

「しかし…… 厄神明王などの厄払いの神に差し出さず、俺に寄越したというのが狡猾というべきか……」
「厄神明王……」
「まあ、彼らに献上された尊巫女は、邪気祓いなど陰陽師所縁ゆかりの異能者ばかりだったと聞くから、お前が受け入れられたかどうかわからんが」
「他家のやしろに、その兆しを見せた尊巫女がいると聞いた事があります。ですから、私は外れたのでしょう……」

 荊祟の推測に、改めて哀しくなったアマリは、思い当たる事実を告げる。彼らに受け入れられる確証が無いなら、より効果的に自分を使い、確実に打撃を与えようとした両親始め一族。よほど災厄を鎮めたかったのか、ぎりぎりまで自分を利用しようとした――

「そうか。だが、厄神明王は双子だ。どちらかの伴侶になり得たかもしれん」
「ふ、双子!?」
「知らなかったのか」

 驚愕する彼女に、今度は荊祟が眉を潜め、うかがう。

「いえ。愛染明王様、不動明王様の兄弟お二人で長を務めていらっしゃる珍しい神様だとは知っておりました。ですが、双子というのは初耳です……」
「元々、一体に対の顔を持つ稀な神だったらしい。だが、尊巫女と契り人族の血が混じるようになり、身体も二つに分かれた。後々は、代々、双子として生しているという」
「そう、なのですか……」

 ずっと神界に関わる道を生きてきた自分にも知らない事、聞かされていなかった事がまだまだありそうだと、アマリは茫然とした。

「――母親は?」
「え……」
「何故、今も人族の地で生きている。尊巫女ではないのか」

 久方ぶりに母の顔が過り、少し気落ちしつつも説明する。

「……母様は、やしろに子を成す為に嫁いで来られた方です。神通ある御家の一族だそうですが…… 当時、我が家に女が生まれずだったので、主の父様と婚姻され、私含めた姉妹が産まれました。ですが、異能はお持ちではないのです」
「成る程」


 渋い表情で考え込む彼に、アマリはずっと気がかりだった件を問いかけた。

「あの、長様」
「何だ」
「この界……この御屋敷でも構いません。私がお役に立てる事、何かありませんか?」

 腕組みを解き、視線をやった眼をそのまま荊祟は見開く。相当、驚いたようだ。

「何もせず、このまま衣食住のお世話になるのは、やはり居たたまれないのです」
「……何が出来る?」
「こちらでしたら……読み書き、裁縫、お掃除、炊事も少しなら」

「……例えば、お前がつくろい物や掃除などをすると、今までその仕事を担っていた女中を、一人解雇しなくてはならない。それでもやるか?」
「……!!」

 愕然とした。そんな事は考えもしなかった。自分のせいで誰かが職を無くしては、本末転倒だ。

「人手は足りているし、負担にならぬ程度に、仕事は分配されている」
「そう、ですか…… では、私の異能を使って、何か……」

 なら、自分は何を返したら良いのだろう。実家にいた時のように、花能を使って屋敷やこの界の者に『施し』を行う位しか思いつかない。

「お前の生気と引き換えなのだろう? 本来なら、むやみに使うのは危険な行為だ。屋敷の者に限った内密の所業にしても……やがて噂になるだろう。力の事を知った界の民が、どう出てくるか…… 好意的な目で見る者ばかりではなかろう」

 身体の事を案じ、気遣ってくれる発言に、アマリは不意討ちされた。そんな事は初めて言われた。自分の力は他者の役に立って、惜しみ無く使うのが当然と聞かされてきたし、自身も思い込んでいた。そのせいで体に負担がかかっても、気にしないのが当たり前だったのだ。

「暫くは、こうして俺の話相手をしたら良い。今、この界で人族の血が交じる者は、俺とお前だけだ。人族の様子を聞きたい時、通じる話をしたい時がある。無論、話せる範囲で構わん」
「そん、な……良い、のですか……?」

 隠密のような密告の真似もしなくて良い。そんな都合の良い、厚待遇を受けて良いのだろうか。耳を疑い、ぱくぱく、と唇を微かに動かすしか出来なくなっていた。二人の会話をずっと聞いていたカグヤも、少し驚いた素振りを見せている。
 話を切り上げるように立ち上がり、荊祟は告げた。彼の言動は、良くも悪くも心臓に悪い……と、改めて痛感する。

「――早速だが。再び、近日参ろう」


 翌々日。絹の風呂敷包みを抱え、荊祟は本当にやって来た。

「それは……?」
「何冊かの書物と…… あと、黎玄れいげんの字面を知りたがっていただろう」

 包みを解き、箱の中身を取り出す。すずり、筆、半紙などの筆記具の登場に、多忙だろうに自分の何気ない疑問を覚えていてくれたのだと、予想外の彼の配慮にアマリは驚き、感動さえ覚えた。

「『レイゲン』は、こう書く」

 硯にった墨に筆をつけ、さらり、と軽やかに『黎玄』と書いた。達筆な文字に、隣に正座したままアマリは見入る。

「黎玄…… 黎明れいめいの意ですね。素敵な名……」
「字は書けると言ったな。お前は? 今更だが……名は何という?」

 少し躊躇った後、細筆をとり『亜麻璃』とゆるやかに書いた。心の中で、裏の意味は伏せる。出来るなら、もう……忘れたい裏名。

「――アマリ、か?」

 彼に初めて呼び捨てにされ、心臓が跳ねる。何故それだけでこんなに……と、自身の気持ちが解らず、更に動揺する。

「は、い」
「瞳の色か」

 じっ、と顔を見つめられ、ますます錯乱したアマリは、こくり、と頷いた後、半紙に視線を戻した。

「……ケイスイ様は、何と書かれるのですか?」
「……」

 流れ上、尋ねられる事を予期はしていたが、彼も少し躊躇う。覚られないよう、同じく『荊祟』と、ゆるやかに書いた。

「いばら……」
「我が界では罪人の仕置きにも使用する棘……『イバラ』に、『たたり』だ。我ながら似合い過ぎるな」

 不敵な笑みを浮かべているが、どこか自嘲的にも見える眼差しの彼を、アマリは何とも言えない思いで見やる。輿入れの夜、自分に無体を行おうとした、河の番人達を思い出す。彼らもそんな罰を受けたのだろうか。
 そして、そんな意を持つ自身の名を、彼はどう思っているのだろう。少なくとも、誇らしそうには見えない。だが……

「――いばらにも、花能はなぢから……が、あります」

 予測外なアマリの言葉に、今度は荊祟の方が驚き、琥珀こはくの眼を彼女に向け、見開いた。珍しく揺れ動き、未知のものへの複雑な感情を見え隠れさせている。

「――『不幸中の幸い』、です」

 更に口元も僅かに開き、茫然とした彼を見つめ、ふわり、とアマリはゆるく目を細め、微笑わらった。ずっと抱いていた感謝の意、そして、自身でもどう捉えれば良いかわからないでいるを、今、どうにか伝えたかった。

「……貴方様は……本当に、私の不幸の中の、幸い――救いです」

 ほんの、数秒。彼はそのままの状態で固まっていた。次第に、頬が微かに薄紅に染まる。

「……そうか。なら……良い」

 荊祟は書かれた字に視線を戻した。丸窓から差し込む淡い冬の陽光に透けたアマリの髪……朝ぼらけの薄京紫、瑠璃色の小さな反射光が、ずっと紙面に映っているのに気づいていた。
 それらの側に今、彼の瞳の琥珀も瞬き、微かに揺らいでいるのだが、目に入っていない。そんな厄神のすぐ隣で、切なくも温かな想いに包まれていたアマリだけが、その理由を知っていた。


↓次話


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