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物質的に豊かであれば精神も豊かになる

リアルにモノが目の前にあることほど、安心できるものはありません。
「いつでも〇〇できる」という認識は、心の余裕を生みます。

1970年代の高度経済成長の折に、精神の堕落についてずいぶん叫ばれました。便利になると確かにそういう面もあります。
あの頃は公害がものすごくて、物質的に豊かになってもみんなが病気になったらどうしようもない、というような考え方もありました。
農村から人がいなくなり、都市の長屋のようなビルに人が寿司詰めになりました。
悩ましい時代でした。

成長の結果としての1980年代は、物質的に恵まれた年代でした。
70年代の混沌を引きずっている面も持ちながら、新しい価値観が生まれた年代です。
芸術文化は、かなり高度になりました。
個人的には、音楽は1980〜90年代が最高だったと思います。90年代は最も洗練されていたと感じています。

1980〜90年代は、アナログ技術が最高峰にありました。
あの頃に出てきたデジタル機器は、レベルが低く、アナログを越えられませんでしたが、便利で確実で安価だということで、受け入れられていきました。

「金持ち喧嘩せず」と言いますが、豊かな国は戦争をしません。戦争を仕掛けません。物質や豊かさが失われるのが怖いからです。
貧富の差など、ジレンマを抱えている国が、戦争を仕掛けます。

現在も豊かといえば豊か

日本の現在も、豊かといえば豊かです。
クオリティの高いものが安く手に入って、なんでも安く楽しめるというのも、豊かさのうちのような気がします。
情報はふんだんにあり、容易に手に入れられます。

逆にあらゆるもののボーダーがなくなって「価値」というものがよくわからなくなったと言えるかもしれません。
「価値あるもの」という固定的なイメージが無くなったから。

また、二次元や論理で表現されることが多くなり、モノはあっても手に取れないとか、理屈の上だけで成立する概念のようなものがあります。
生身の人間は、まだその扱いに慣れておらず、戸惑っているのが今の時代ではないかなと思っています。

リアルに目の前にある、触れられるということの安心感が少ない時代かもしれません。

モノが要らない・人に頼る必要ない

という気持ちが生じるのは、コンピュータがあるおかげです。

  • モノが無くてもあるように見せてくれる

  • 人に頼らなくても多くのことが解決する

物質が無くても精神が豊かになるという、初めての時代かもしれません。
考えただけで、可視化される時代。

でも何か、虚ろなものは感じるのではないでしょうか。
過去何千年も、モノやヒトによって幸せを感じてきた人間が、始めてそうじゃないもので幸せを感じようとしているから。

どこでもドア

毎日、どこでもドアを通して世界を見ている。

簡単なドアに見えて、実は最先端の技術と叡智が注ぎ込まれたドア。
人間が自然の材料を集めて手作りできるレベルの代物ではないドア。
原始人には絶対作れないドア。

そして最先端の技術で生み出された電気という変幻自在なエネルギーがそれを動かしている。

目で見て触れられる物質は、ドアだけになってしまったけれど、それだけで満足できてしまうという、不思議な時代になったのです。

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