見出し画像

80年代の若者のトレンド(2) - ポップス

前回の記事

からここへ来ています。

ポップス

1980年代はポップスを抜きにしては語れませんね。
長い歌謡曲の時代に洋楽から吸収した要素を日本独自の解釈で、高い次元で再構築したような時代です。
ポップスは Popular Music を略した Pop の複数形と捉えているのですが、大衆にとって馴染みやすく楽しめる身近な音楽のことを指すと思います。

朝日放送ラジオで「ポップ対歌謡曲」という長寿番組があったのですが、これが始まったのが60年代後半で、70年代は関西では定番の音楽番組でした。
この番組における「ポップ」とは洋楽の流行歌のことを指し「歌謡曲」とは日本の流行歌を指していました。

ちなみに「邦楽」という表現は、当時は雅楽などの日本古来の音楽のことをさしていました。今もNHK-FMで放送されている番組「邦楽のひととき」で紹介されているような音楽ですね。

70年代の共通認識として「洋楽」だったポップスは、80年代に日本の音楽までも取り込み(笑)多くの歌手・シンガーソングライターが登場しました。

もしかしたらJPOPというカテゴリーは、そのようにして80年代に出来た日本のポップスのことを言うようになったのかもしれませんね。記憶によれば、少なくとも70年代には無かったカテゴリーだと思います。

1. 演歌

演歌は明らかにポップスとは違いますが、流行歌でもありますし、ここでは一応、ポップスの中に入れておきます。(ほんとは違いますよ)
演歌も70年代からヒット曲が沢山生まれて、80年代にも数多くの曲がリリースされました。

こちらのサイトを参考にしながら、自分もこれはヒットしたなと思える主な楽曲名を挙げると・・

都はるみ:浪速恋しぐれ、大阪しぐれ/細川たかし:北酒場、矢切の渡し、浪花節だよ人生は/山本譲二:みちのくひとり旅/渥美二郎:釜山港へ帰れ/堀内孝雄:愛しき日々/日野美香:氷雨/松村和子:帰ってこいよ/大川栄策:さざんかの宿/島倉千代子:人生いろいろ/吉幾三:俺ら東京さ行ぐだ、雪国/森進一:冬のリヴィエラ/川中美幸:ふたり酒/竜鉄也:奥飛騨慕情/八代亜紀:雨の慕情/鳥羽一郎:兄弟船

など本当に有名なヒット曲ばかりです。
今思ったのですが、TBSの歌番組「ザ・ベストテン」でよく聴いた歌が多い気がしました。

2. アイドル

アイドルはやめられない」と小泉今日子が歌っていましたが、80年代アイドルの人気はものすごいものがあって、商業ベースに乗りまくりというか、その味をしめたら確かに辞められないだろうなと思います。

1970年代にもアイドル歌手はいましたが、歌の下手な人が多くて(笑)「可愛ければいい」という感じで「歌手」だとは認められていない人もいました。
しかし、80年代は歌だけでなく、踊りも上手い実力派のアイドルも沢山登場しましたね。

これはヒットしたなと思える楽曲を挙げると・・

<女性アイドル>
松田聖子:赤いスイートピー/薬師丸ひろ子:セーラー服と機関銃/小泉今日子:なんてったってアイドル/中森明菜:少女A/松本伊代:センチメンタル・ジャーニー/原田知世:時をかける少女/おニャン子クラブ:セーラー服を脱がさないで/南野陽子:楽園のDoor/工藤静香:MUGO・ん・・・色っぽい/Wink:淋しい熱帯魚/荻野目洋子:ダンシングヒーロー/河合奈保子:スマイル・フォー・ミー/岡田有希子:くちびるNetwork/柏原芳恵:ハロー・グッバイ/本田美奈子:1986年のマリリン

<男性アイドル>
田原俊彦:哀愁でいと/近藤真彦:スニーカーぶるーす/沖田浩之:E気持ち/シブがき隊:NAI・NAI・16/渡辺徹:約束/風見慎吾:僕笑っちゃいます/チェッカーズ:ギザギザハートの子守唄/吉川晃司:モニカ/少年隊:仮面舞踏会

まだまだ居たような気がしますが・・
松田聖子は「聖子ちゃんカット」、薬師丸ひろ子は「カ・イ・カ・ン」など、別の流行も生み出していました。原田知世なども、角川映画の主演になって有名になった感じがあります。
岡田有希子、本田美奈子に関しては本当に残念でしたね・・

3. ニューミュージック

ニューミュージックの時代は70年代から始まっています。

1966年にビートルズが来日して大騒ぎになったわけですが、その音楽に衝撃を受けた人たちがこぞって音楽を作り発表し始めたのが70年代で、いろんな分野に影響があったと思いますが、その中の一つの流れとして「シンガー・ソングライター」というものが70年代までに生まれました。

それまでの日本の歌謡界は、作詞家作曲家歌手の三者によって楽曲が作られ歌われていましたが、シンガー・ソングライターは、個人が自分のメッセージを込めて歌を作って歌うというビートルズと同じスタイルで、自作自演だったのです。
それが当時の若者に強く支持されていきました。

シンガー・ソングライターはフォークロックの分野に多く存在していたと思います。それぞれのアーチスト(ミュージシャン)は自分で作詞・作曲をして歌ったり、歌手に提供したり、CM・ドラマ・映画などとタイアップして有名になりました。

70年代後半には、フォークやロックのミュージシャンが、洋楽ポップスの要素を取り入れながら新しい音楽を作る流れが一般的になり、80年代にかけてヒットチャートを賑わせた音楽が、いわゆる「ニューミュージック」と呼ばれるものでした。

ニューミュージックと呼ばれたミュージシャンに関しては諸説ありますが、僕の感覚の中での代表的なミュージシャンは、オフコース(小田和正など)、さだまさし松任谷由実(荒井由実)、サザンオールスターズ(桑田佳祐など)など、今では大御所と呼ばれる人たちのことを指していると考えています。

その前段階として70年代の「フォーク」の隆盛があるわけですが、その中の代表的ミュージシャンとしては、吉田拓郎井上陽水などがいて、アリス(谷村新司・堀内孝雄など)がいて、かぐや姫(南こうせつ・伊勢正三など)がいたわけです。
さだまさし、ユーミン、小田和正もその辺りに入っていたのですが、時代の変化にうまく乗っかって今日まで第一線で活躍しているというような状況なのですよね。
山下達郎もユーミンなどと交流があったわけで、ニューミュージックのイメージは個人的には薄いけど、一応、その界隈で活躍していたミュージシャンです。
サザンは最初からロックなので、フォークのグループとは一線を画していました。佐野元春などもその辺りですね。

上記の人たちは、誰が先輩とか後輩とかイメージは色々ありますが、デビュー年を確認すると大体1970年から75年ぐらいまでの間なので、そんなに開きは無いのです。同じ頃に活躍していた人たちです。

PS. 実は「フォーク」というのはもっと前(60年代)があるのです。

4. シティポップ

シティポップが今のように再評価されるなんて、思ってもみませんでした。
正直なところ、当時、シティポップというのを明確に意識したことはなかった気もします。
ただ、歌謡曲にも、ニューミュージック(シンガーソングライター)にも、分類しにくい音楽カテゴリがあったことは確かです。

実際にはそれらは、あるアーチストは歌謡曲として、あるアーチストはニューミュージックとしてカテゴライズされていた感はあります。
例えば八神純子は、僕の認識では歌謡曲でした。ハイファイセットもそうです。山下達郎はニューミュージックだったのかな(?)

どちらかというと、都会の大人のライフスタイルを反映したようなおしゃれ感のある音楽を作っていた人たちが居たということです。決してメジャーではないアーチストも沢山いました。
そういう人たちのプロモーションの段階で、シティポップという言葉を付けたんじゃないでしょうか。特徴づけて売るために。

シティポップの「シティ」とは、単に「都市」ではなくて「東京」または「横浜」だったのだと思います。大阪や名古屋や広島や福岡を拠点とするミュージシャンは、いくら都会的で大人の歌を歌ってもシティポップとは呼ばれなかったと思います。
その中で、上田正樹はちょっと異色の扱いだったのかもしれないですね。BOROはどうかな??

東京的なライフスタイルの延長上に、リゾートというものがありました。東京の近郊では「湘南」「軽井沢」、日本のリゾート「沖縄」、海外に飛んで「ハワイ」「西海岸」「ニューヨーク」など。
そのような場所を舞台にして「都会的な大人の感覚で」ストーリーが作られた楽曲もシティポップの範疇に入っていると思います。

スキーブームの時にホイチョイ・プロダクションズの「極楽スキー」にも書かれていた記憶がありますが、東京の人は田舎にも東京を持ち込むのですね。(笑)実際のその場所はだいぶ違うのに、東京的な感覚でイメージを作り上げてしまうのですね。

最後に80年代の代表的なシティポップ系アーチストをちょっと挙げて、ポップスについては終わりにしたいと思います。(Google参考)
僕の感覚で「そうだな」と納得できる人だけにしました。

山下達郎/竹内まりや/大瀧詠一/大貫妙子/杏里/角松敏生/EPO/オメガトライブ(杉山清貴・カルロストシキ)/南佳孝/八神純子/大橋純子/ハイファイセット/ブレッド&バター/稲垣潤一/山本達彦

次の記事

実はポップスはまだ沢山ありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?