本は楽しむもの
はじめまして
この一文から始めさせていただきます。
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本を読んで育ちたかった
自分にとって本を読む、物語を読むというのは勉強の一環でしかなかった。楽しむためのものではなかったのだ。勉強が特段嫌いだったわけではない。比較的勉強も出来ていたし、新しいことを知るのは好きだった。しかし、大量の漫画に囲まれて育った私にとって活字というものは、教科書で触れるものであり、堅苦しく苦手意識があった。
本そのものは嫌いではなかった。家には壁が埋め尽くされるくらいに漫画が置かれている。そのため、本という物質性やインテリア的には好きなのだ。そのため図書館や本屋はもちろん好きだった。それでも幼い頃に手を出していたのは図鑑や科学の漫画ばかりだった。子供のころに絵本や活字の本を読んだ記憶はほとんどない。かろうじて記憶にあるのは学年で大流行した「マジック・ツリーハウス」というシリーズ作品くらいだ。
休学してからそれなりに本を読むようになった。啓発本や建築の本といった、THE勉強というものはあまり読めていない。しかし、エッセイや小説は読むようになった。とても読書好きとはいえない量の読書量だが、かつて絶交レベルで本を避けていた私にとっては大きな進歩なのだ。
読書好きの芸能人や作家の記事などを読むとその感性や語彙力に魅了される。同じ世界で暮らしているはずなのに、私の数倍色鮮やかに世界が見えているのが羨ましくてたまらない。それは羨望から嫉妬に、嫉妬から自己嫌悪に陥ることさえある。幼い頃にもっと絵本を読んでいれば、本好きになって、もっと豊かな人間になれていたのではないか、などとほぼ毎日のように思う。無類の本好きだったら逆に今の自分になれていないだろう、と考えてなんとか自分を無理やり納得させている。
「おとな小学生」というエッセイを読んだ。益田ミリという著者の本は好きで読んでいる。この人の感性は私とは全く異なるもの(同じ感性なんてそうそういないが)で、その感覚が大好きなのだ。この本は子供の時に読んだ絵本とそれに結び付く原体験を何個も書き著したものだ。
自分は完全にませていた。というより、想像を膨らませる能力がそこまでないのだろう。科学で説明できることや目の前の事象しか信じられない人間なのだ。これは幼いころからそうである。知らないことが多い分、幼少期は色んな発想ができることが多いが、私は完全に知識がないだけのガキだった。今になって絵本やその作家の本、絵本に触れた人の感性に触れることで、どこまでも現実的な人間なんだと分かってきた。
益田ミリの感性には毎度驚かされる。幼い頃考えていたこととして、今は失ったみたいな書き方をされているが、記憶にある時点で確実にまだ残っている感覚なのだ。こんな柔和な発想を持ち続けられるのは本が好きだったからだろうか。
著書のなかで、国語の教科書の物語にアタリハズレがあると書いていた。私にとっては教科書という時点でハズレなのだが、この人にとっては読書体験であり、楽しいことの一環なのだ。この事実は私に大きな衝撃を与えた。
私が今から絵本や本に触れて変われるだろうか。そんなことを思いながら今日も本に触れている。
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手の届く範囲にいるあなたが
幸せでいることを願います
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