子どもを育てるということの怖さ
『砂時計』という漫画を、中学生くらいのときに読んでいた。
話の詳細はあまり覚えていなくて。
話の内容自体はおぼろげにしか覚えていなかったけれど。
この部分だけは、おぼろげながらにしっかりと、中学生の頃からずっと、20年近く、胸に抱き続けて生きてきた。
また、読み返したいな。
そう、ずっと思っていた。
ひょんなことから、無料でスマホで『砂時計』を読めるようになった。
1話ずつ、少しずつ読んでいくのではなくて、「今」読む必要がある。
そう感じて、満喫に行って全巻を読んできた。
改めて『砂時計』を読み返して。
当時のわたしには、まだ幼すぎて分からなかったいろんな心の機微や、想いや、「大人になるということ」を、より深く理解できるようになった気がする。
ああ。
この物語は、わたしの人生そのものだな。
そう感じた。
主人公の杏と大悟のような恋愛を、わたし自身が経験した。
杏の中にある心の闇を、弱さを、不安定さを、わたしも抱えて生きてきた。
その弱さが、不安定さが、まわりの人を押しつぶすんじゃないか。
その想いが、可能性が、あまりにも怖くて、重たくて。
大切な人たちを遠ざけたこともある。
そして今も。
わたしはきっと、この心の弱さが、不安定さが、わたしにとって誰よりも大切な人たちを押しつぶしてしまうんじゃないかと怖くてたまらないのだと思う。だから、逃げることを選んでいる。
逃げることは、守ることと同義なのだろうか。
わたしは、逃げるために、逃げているのだろうか。
それとも、守るために、逃げているのだろうか。
そんなことを、この半年間ずっと、問い続けてきた。
小学生の頃、母にそう言われた日のことを、とても鮮明に覚えている。
母は、玄関のところに腰掛けて座っていた。家の中には光はさしていなくて、少し影がかかって暗かった。
わたしは、玄関の前にある庭で花に水をやっていた。太陽の光が暖かくて、眩しい、優しい春の日、もしくは初夏の午前中だったように思う。
光と、影。
わたしと、母。
「一緒に、死のうか」と言った後、母は言葉を発せず、みじろぎもしなかった。それでも、母の放ったその一言は、「こちらにおいで」と影の中から母が手招きをしているように感じられた。母は、膝に頬杖をついて、くたびれた顔をしていたような気がする。正直、あまり母の表情は覚えていない。
ただ。
その母の体温をもった言葉がわたしの鼓膜に届いた瞬間。
世界がスローモーションになった。
光の世界の中にただずんでいた、まだ幼い頃のわたし。
影の中に座っていた母。
わたしには、母しかいなかった。
母がいなくなったら、わたしは独りだった。
ひとり取り残されるくらいならば、せめて、共に。
でも。
スローモーションになった世界が、とても輝いて見えた。
わたしはゆっくり目線を動かした。
目の前を、一匹の蝶が羽ばたいていった。
花は風にそよそよと揺れ、光は優しくキラキラしていて。
世界は、なぜかとても凪いでいて、優しくて、そして平和だった。
この美しい世界に、まださよならをしたくない。
影の中に、落ちていきたくはない。
その想いが、自分の腹の底から湧き上がってきて、わたしは「いやだよ」と言った。いや、もしかしたら、首を振っただけかもしれない。
母は、そんなわたしを見て、どんな表情をしただろうか。
覚えていない。
もしかしたら、少しガッカリしたような、でもホッとしたような顔で、微笑んだのかもしれない。
記憶は曖昧だ。
ただ。
あのときの言葉が。
あの光と影のコントラストが。
目の前を横切った蝶と、世界の美しさが。
鮮明に、記憶に刻まれている。
わたしは、今のわたしを好きだと、言えるだろうか。
数ヶ月前。
「わたしは、今のわたしが好きだ」と思えるようになった時があった。
でも、今また、心は揺らいで、不安定で、足元がおぼつかない。
親が放つ、たったひとつの言葉の重みを、わたしはこの身をもって知っている。だからこそ、自分の子どもに発する言葉に、とても慎重になる。
間違えないことなんて、きっと無理だ。
失敗しないなんてことなんて、きっと無理だ。
子どもの頃、大人はすべてを知っていて、わかっているのだと思っていた。
迷うこと、悩むことは、幼さの象徴なのだと、軽蔑すらしていたこともある。
でも、自分が大人になってみて思う。
いくつになっても、人は迷い、悩み、ときに涙を流し、その時々で選ぶことのできる道を選ぶ努力をしながら、それが最善であることを信じて進むしかないのだ。
子育ても、教育も、「これでいいんだろうか?」という漠然とした不安感の中で、なにを拠り所にしていいのかも分からないまま、それでも自分を信じて進んでいくしかない。
そんなとき。
一人じゃなければいいのにな、と思う自分がいる。
もし。
心から愛する人との間に、この生命を授かっていて。
そうして、二人で、お互いがお互いの拠り所となり、指針となって、ときに背中を押してもらったり、背中を押したりして。そうして、共に、子育てができていたのであれば。
そんなことを、思う。
思ったって、しょうがない。
離婚を選んだのは、わたしだ。
あの人とは、一緒にいたとしても、きっとこんな風に互いを支え合ったり、拠り所となりあったり、指針となりあうことはできなかっただろうから。
悩んでいるのは、わたしだけじゃない。
迷っているのは、わたしだけじゃない。
子を育てる親は、みんな平等に、きっとその程度に差はあれど、悩み、迷い、葛藤し。それでも答えも正解もない道を、その時々に「これが最善だ」と信じることのできる選択を繰り返して、進んでいる。
ひとりじゃない。
そう思うだけで。
少しだけ、救われる気がする。
迷いも、怖さも、はかない、叶うことのない願いも、まだ消えることはないけれど。
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