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人いちばん繊細な人の「自分らしさ」の見つけ方

「自分らしさ」ってなんだろうっていつも思っていた。

わたしは人やもののエネルギーにとても敏感だから、SNSで発信している人やnoteの記事、本や映画なんかでも、その "もの" がもっているエネルギーに知らないあいだに溶けこんじゃって一時的に「その人化」してしまうところがあるなあって、ふと気づいた。

これも、HSPだからこその共感性の高さや受容力の高さからくるものなんだろうか。

わからないけれど、自分の目に触れさせる情報には、ちゃんと注意を向けていないとなあって思った。


情報から完全に遮断された状態で残ったものが「自分」なのかなって思ったりもしたけれど。人間関係や社会生活、オンラインや電車の中の広告。歩いているときにすれ違う人。完全に "もの" や情報から自分を断絶させるってムリな話で。

となると、いろいろな「その人化」を経て、自分に心地いいものだけを選別していった先に最終的に残ったもの。「その人化」たちの集合体=自分に合わないものは抜いていった先に残ったものっていうのは、特定の "誰か" のコピーではないはず。

その「その人化」をくりかえし、選別をくりかえした後に「なんか残ったもの」。

それが「自分らしさ」なのかもしれないなあってことを思いました。


そう考えると、「自分らしさ」っていうのは、少なくともとても繊細な人にとっては、いろんな「その人化」を経験したり、やってみたりした先にはじめて見えてくるもので。

時間をかけて、少しずつ手元に残っていったものの集合体なのかもしれない。

だから、別に早い段階で「自分らしさ」なんてわかる必要なくて、むしろわかるはずもなくて。時間をかけて、いろいろなことをやってみたり、経験してみたり、やっぱり違ったなって離れてみたり、時が経ってまた戻ってみたり。

そんなことをくりかえしていく内に、自然と見えてくるものなのかもしれないね。


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