「子どもがいる人」=「母親」じゃないよと言われた話
Z世代の仲の良い信頼できる後輩に、子育てについての葛藤を相談した。
自分のメンタルを守るため、なのか最早よくわからなくなっているんだけど、家にいないことも多い。
「家にいない=子どもといる時間が少ない=子供を十分に愛せていない=母親失格」という構図が自分の中で漠然とあって、その背徳感、罪悪感が、どうにも拭えない。
その背徳感、罪悪感には波があって、自分のメンタルが激落ちしてるときは、「仕方ない」「そりゃそーなる」「それがベスト」ってなるんだけど。
メンタルが少し回復傾向になってきた。けど家にいる時間が長くなると疲れてメンタルが落ちそうな気配が見えたタイミングで、先回りして大事をとって離脱する。
こんな感じのときに、背徳感や罪悪感が出てくるみたいだ。
話を聞いた後、その子は、「あのね」と言って話をしてくれた。
「つむさんは、ちゃんとお母さんしてますよ?ていうか、めっっっちゃお母さんです。立派にお母さんをしてます」
「でも家にいないことも多いんだよ?家族に預けちゃってるんだよ?それってお母さんって言えるの?」
「あのね。『子どもがいる=お母さん』じゃないと思うんですよ。『子どもがいる人』がいて『お母さん』の人がいる。そこはね、別枠なんです。同じじゃないです。
今の時代って、子どもを産んだ人と育ててる人が別とか、普通にあるじゃないですか。里親とか、延長での保育園とか、親戚に預かってもらうとか、代理出産とか、色んな家族の形がある時代ですよね?
だからね。『子どもがいる人』と『お母さん』って別だと思うんですよ。言ってみたら、『子どもを産んだ人=お母さん』っていう図式も、もう成り立たなくて。色んな立場のお母さんがたくさんいることだってあるわけで。
家にいること、一緒にいる時間が長いことが『お母さん』なんですか?一緒にいる時間の量が多ければ、より『お母さん』として認定してもらえてハナマルがもらえるんですか?でも、家に一緒にいるけど、育児放棄してる人もいますよね?
一緒にいる時間じゃなくて、どれだけ子どもを愛しているか、想っているかが『お母さん』だと思うんです。子どもの今や未来にとっての最善を考えて、悩んだり、選択したり。時に怒鳴ってしまったとしても、でもそこにいつも愛があったら、それは『お母さん』です。
『子どもがいる人』と『お母さん』を一緒にしてしまうから、苦しくなるんだと思うんです。でも、別枠なんですよ。もう、今の時代って。
だから、安心してください。
つむさんは、こうやって、『わたし、ちゃんとお母さんできてるのかなあ?お母さん失格なんじゃないかな?子育てから逃げてるだけなんじゃないかな?』って悩んで、苦悩して、涙を流してる時点で、ちゃんと立派に『お母さん』です。
子どもちゃんも、つむさんの愛、ちゃんと分かってますよ。だから、大丈夫です」
なんだか、すごく泣けてきて。
そうして、なんとも言えない、心をあたたかい綿で包んでもらったような気持ちになった。
背徳感も罪悪感も、まだ完全に消えたわけじゃない。きっと、これからも悩み続けると思う。
でも、今までにない新しい視点をもらった日だった。
ありがとう。
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