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上ばかり見てると首が凝るから

上を見ていたらキリがない。

そんなことは分かっちゃいるけれど、どうしたって上を見てしまう。
特にSNSがこれだけ生活の一部になった現代の生活の中で、他人様と自分を比較しないで生きられる人なんているんだろうか?

完璧主義で自分は特別な存在なんだと思いたい症候群(厨二病とも言う)をこじらせたまま大人になったわたしは、例に漏れず、SNSで常に他人様と自分を比較していた。それが、自分で自分の首を締め上げる行為だと分かってはいても、止められなかった。

あの人にできて、なんでわたしにはできないんだろう?
あの人はあんなに幸せそうなのに、なんでわたしはこんなに苦しみながら生きているんだろう?
頑張りが足りないのかもしれない。
努力が足りないのかもしれない。
成功における秘伝のタレ的なものを、わたしだけ学校で教わり忘れたのかもしれない。

そんな風に、ずっと他人様の背中を追いかけて、みんなみたいにできない自分を責めて、苦しくて、つらくて、仕方がなかった。

そのつらさがピークに達したとき、わたしは日本最南端の小さな島へと逃避行をした。東京という大都会に、押しつぶされて、ぐちゃぐちゃにされて、殺されそうな恐怖を感じていた。でも、地元に帰っても、つらい現状は変わらないと思った。だから、思いつきで、飛行機のチケットを取って、住民票まで移して、逃避行をしたというわけだ。

そこでは、飲み屋さんに住み込みで働いていた。
給料は、その日の売り上げの半分をメンバーで折半+その日もらったチップ。
500円〜1000円くらいが日給だった。それでも、生きていけた。
文字通り、その日暮らしの生活だった。


その飲み屋さんに毎日のように通ってくれていた常連さんが、ある日わたしにこんなことを言ってきた。

みんなさ、上ばっかり見るじゃん。
上を見て、もっと頑張れってハッパかけてくるじゃん。

でもね。
俺はさ、下を見るんだよ。

そっちの方が、生きていく上で、大切なことだと思うよ。

「上ではなくて、下を見る」

どういうこと?とわたしは問いかけた。

上を見てもキリがないじゃん。

自分よりもっと若くてもっと成功してるやつなんて五万といて。
一般的な成功ってやつを手にしてる人、幸せってやつを満喫してる人。
上を見上げていたら、どこまでも際限がない。
終わりのない追いかけっこに巻き込まれて、一生そのままだよ。
そこと比較し続けてたら、苦しみから抜けるなんて、絶対ムリだよ。

だからさ、俺はあえて、たまに下を見る癖をつけてるの。

上には上がいるように、下には下がいるんだよね。
自分よりも苦しいやつ。自分よりも人間的にヤバいやつ。自分よりも腐ってるやつ。自分よりもダメな大人。
そういうやつを見て、そこと比較して、「ああ、自分は意外とまだマトモだったわ。大丈夫だわ」って安心するの。

なるほど、そういう考え方もあるのか。
でも…

当時のわたしは、内心思った。
そんなんじゃ、結局いつまでも成長も好転もしないんじゃないの?って。

彼は、そんなわたしの心の声を聞いたかのように、こう付け加えてた。

もちろんさ、上を見て頑張ることも大切だよ?
でも、上をみすぎてたら首が凝るじゃない。
だから、ストレッチをかねて、たまには下を見てもいいんだよ。

そうやって、いい塩梅を自分で見つけていったらいいんじゃない。


当時は腑に落ちなかった言葉が、10年の時を経て、わたしの中で何度もリピート再生されるようになった。歳を重ねて、自分の限界値を痛感するようになったからだろうか。


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ちなみに、先日友人と話をしていて、びっくりすることを聞いた。
住み込みで働きはじめたとある女の子が、勤務開始から1週間で、勤務時間中、急に住んでた家の鍵を持ったまま、荷物をまとめてトンズラしたらしい。「あれ?姿が見えなくなったな。トイレかな?」となりつつ、みんな仕事をしていたが、いつまでも帰ってこないので探しにいったら、彼女の家はもぬけの空。そのまま、彼女は帰ってこなかったそうな。

なんだ。

ちゃんと社長や同僚ともミーティングを重ねながら、自分が抜けても後輩が孤立しないように色んな根回しや引き継ぎまでして休職願いを出した自分。

真面目すぎるじゃん。
全然、大丈夫じゃん。
迷惑かけてないし、ちゃんと大人の対応したじゃん。
トン・ズラ子ちゃんに比べたら、わたし全然まともじゃん。
むしろ、めっちゃ社会人じゃん。偉いじゃん。ヤバ(笑)

そのトン・ズラ子ちゃんのエピソードを聞いて、わたしの中に重くのしかかっていた「罪悪感」という黒い雲が、綺麗さっぱり晴れ渡っていった。

やっぱり、上ばっかり見てると首が凝り固まっちゃって、いけないね。
もっと下を見てストレッチしていこう。


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