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【読書】ザ・先人の知恵/「学問のすすめ」から

近代日本の啓蒙思想家福沢諭吉。1万円札のお陰で、彼の顔は日本に住む大多数の人の知るところ、そして彼の著書と言えばまず出てくるのが「学問のすすめ」と市民平等という考え方。その本をさくっとまとめてみた。

記事要約

  • 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の名言から始まる本書

  • 人は生まれた時点で貴賤や貧富に区別はなく、寧ろどこまで努力してしっかりと学問を修めたかが重要

  • 明治初期に書かれた一冊なのに、2024年を生きる私のような人間にも刺さる言葉や考え方が満載




1.本の紹介

本のタイトルは「現代語訳 学問のすすめ」(2009年刊行)。日本帰国時に本屋に立ちよった際目に入り、即買いした一冊。

オリジナルの著者は無論、1万円札の福沢諭吉先生(1835ー1901)で、幕末&明治の啓蒙思想家。大分出身で子供の頃は悪童だったがふと勉強に目覚め力をつけ始める。その後何度も欧米に渡ったことは知らなかった。そして慶應大学を設立。

その本を見事に読みやすい現代語訳にしてくれたのが教育学者の齋藤孝さん。超助かる。

福沢諭吉(1891年頃)

2.本の概要

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の名言から始まる本書。西欧近世以降発達してきた啓蒙思想と人権(生存権や財産権)、政府と人民の社会契約という概念を福沢諭吉的に表現した格言。ただ本人は、あらゆる人々が生まれや育ち、立場に関わらず平等であるべきとする共産的な思想家であったかと言えばそうではない。

福沢諭吉は、人は生まれた時点で貴賤や貧富に区別はなく、寧ろどこまで努力してしっかりと学問を修めたかが重要、その結果現実には社会的地位の高い人と低い人には雲泥の差があるという。

学問と言っても色々あるが、著者は実学(例: 地理、法学、経済学等)を重視、そしてしっかりと本を読むべきだが、それだけが学問ではないことは留意が必要。「論語読みの論語知らず」になってはいけないという。読書は学問の技術で不可欠だが十分ではない。経験が必須。

そして学問をなすに当たっては自分の背負った義務を知るべきだという。でないと天が与えた道理でもある自由と、各個人のわがままをはき違え、学問を修めず回りに迷惑をかけるような人間になってしまう。

これからは、日本中ひとりひとりに生まれつきの身分などと言ったものはない。ただその人の才能や人間性や社会的役割によって、その位というものが決まるのだ。

p16

学問のない国民ほどあわれで憎むべきなもノはない。おろかな国民はおろかな政府を生み出す。その逆もしかり。ある国の暴力的政府は無知な国民にあり。今すぐ学問に志して自分を高めるべきとする。そしてそれは国民個人ひとりひとりの義務である。それらが集合して国の気風というものを作るから。

人は衣食住を確保するのに奔走するが、それはなにも人間に限ったことでなく、他の動物達もやっていること。衣食住を確保できたからと言って満足しててはダメでそれでは蟻と同じ。社会的動物として、「今日この世の中にいて、我々の生きた証を残して、これを長く後世の子孫に伝える」役割があるという。

他、各種名言

  • 税金は気持ちよく払え

  • 民間こそが手本になる

  • 人望がないひとはなにもできない。人望は知性や正直な心という徳を持って積み上げていくもの。

  • 日本語は不便、英語は便利というバカものがいるがそれは日本語が下手なヤツの言い分。

  • 見た目や表情は大事。人の表情は家の玄関、来訪者が気持ち良いよう整えるべし。

  • いろんな人と交際すべし。そのためにはいろんなことに興味を持つこと。

  • 他割愛

3.感想

今更ながら、1万円の表紙になるだけのことはあるなあと思った。誰が決めたのか知らないが、札の表紙に福沢諭吉を提案した人はセンスある。

明治初期に書かれた一冊なのに、2024年を生きる私のような人間にも刺さる言葉や考え方が満載、何回も読み返せる内容となっている。人生指南書としてもビジネス書としても教育学や社会学的にも一級品という感じを受けた。

故郷に学校を作るに当たってなぜ学問をすべきなのかを示そうとして書いたもの。書いたら書いたで故郷の人だけにみせるだけじゃあもったいないということで慶應義塾でも見せることに。

基本的に実力/能力主義者。不断の努力により学術を修めたしかるべき人間が国を治めるべき出し、途中で投げ出す輩はけしからんという感じ。国民全体がしっかりと人間の本分をわきまえて志し高く生きていけば国は良くなる、だから皆学問しよう的な発想。現代人にとっても痛いところを突いてくる。

その考え自体は私の心に響くところもあるが、理想論を掲げているようにも聞こえてしまう。そもそも遺伝子的にも頑張れる人頑張れない人、頭がいい人、それほどでもない人がいるのだから。

また、この本全般で感じたことは、孔子/儒教に対する批判。頭でっかちで形式に縛られた儒学者が嫌いということが、文章の節々から感じられる。

斎藤孝さんの現代語訳も秀逸。すらすら読めてしまう。

最期、一番感じたのは自分に対する羞恥の念。博士号取得とか国際機関があーだこーだと高学歴ぶっている?割に、40過ぎてもこういった本をつい最近まで読んでいなかった自分を恥じるばかり(学問のすすめを読んでみるきっかけを作ってくれたとなった下記の記事と執筆者さんささんに感謝。)

最後に一言

なお本記事は、あくまで私がポイントだなと思った部分のみ書き出しまとめているだけです。この概要記事がきっかけとなり、この本に興味を持っていただけたら幸いに思います。


あわせて他の記事もご覧いただけたら幸いに思います。


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