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人間はなぜ差ができるのか──『学問のすゝめ』読書感想文

書籍データ


学問のすすめといえば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という冒頭の文章が有名だが、全編読むとその部分の抜き出しはまったく本書の本質を示していないことがわかる。
少なくとも下記までを含めないと本書の意図を伝えられない。

されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。そのしだい甚だ明らかなり。 〜中略〜 されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。

だから表題が『学問のすゝめ』なのだ。
今だって、大切なことは下記が書かれた150年前から何も変わっていないと思う。

ただその大切なる目当ては、この人情(「悪い政治より良い政治を悪く思う人はいない」といった普遍的感情)に基づきて、先ず一身の行いを正し、厚く学に志し博く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政を施すに易く諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得て共に全国の太平を護らんとするの一事のみ、今余輩の勧むる学問も専らこの一事をもって趣旨とせり。

福澤諭吉という人

(ちゃんと深く調べたわけではないのでざっくりでお許しください)
江戸末期に生まれた福澤諭吉は、鎖国中の日本で西洋文化に触れていた稀有な存在。
黒船の来航、明治維新を経て、開国と富国強兵・文明開化のど真ん中にその身を置き、その時代の列強と呼ばれる諸国やその帝国主義の植民地と見做されていた(事実そうだった)国々の様子をその目と耳で直に感じた人だったからこそ、日本の良い面・悪い面が良く見えていたのだろう。

奢るな。しかし卑屈になるな。

今とは比べものにならないほど情報のなかった時代に、今にも十分に通じる「真っ当な」主張が痛快。
「公の力のみを頼るな」「国の法律を重んじよ」「主張に暴力を用いるな」「文明に益することない自死を美徳とするな」。
福澤諭吉が警鐘を鳴らした観点は、いずれも当時の日本にはスタンダードな考え方であり、つまりこの『学問のすすめ』の主張は、現代で受け取るのと比べものにならないほどセンセーショナルなものだったのだと思う。

その考え方の大半が今の時代の「スタンダード」になっているという点で、彼の先見の明はやはり人並みではなかったのだ。
一方で、人の考え方を変えるのは100年以上の時間が必要だという見方もできる。文化を変える、意識を変えるということは、やはり並大抵のことではない。

エリートと利他的思考

この『学問のすすめ』には、著者の一貫した態度がある。
それは、目的が「自分の利」ではないこと。あくまで「国全体の利益」をどう富ませるかであること。

昔は、学問を修めることができるのはごく一部の限られた富裕層、もしくは飛び抜けた英才たちのみだった。彼らエリートは、自分たちが恵まれているという自覚を持っていたし、並々ならない自負があった。だからこそその他の人々を背負う覚悟を持っていたのだろう。その利他的な考え方には、現代人は到底かなわないと思う。

「自分が何をなすべきか」という問いに対し、気ままに自分を主語にしている限りは、考えも人生も豊かにならないのかもな。

正しい独立・自立をせよ

私は「初編」に書かれている下記の文章がとても好きだ。

日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、情合相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に私、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずこともなく誇ることもなく、互いに便利を達し、その幸を祈り、天理人道に従って互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を捨てて国の威光を落さざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

驚くほどにフラットな目線だし、このようにあることができれば良いなと羨望を抱いてしまうほど誇り高き態度だなと思う。
自分の今の有様を正しく認識していれば、そして常に学ぶという謙虚さを持っていれば、足りない部分を足りている他者から学ぶことは決して恥ずかしくないことだし、同時に自分が足りている部分を他者に与えることを惜しんではいけない。

それが本当の意味での「多様性」や「平等」につながる態度だということを、改めて気付かされる。

女性についての言及

本書の中では一章段を使って、儒教の孝の解釈について触れている。

その内容がまた先進的で、わりとスカッとするものが多い。
例えば、妾の制度に対するその当時の見解と反論。

人或いは云く、衆妾を養うもその処置宜きを得れば人情を害することもなしと。 〜中略〜 もしそれ果たして然らば、一婦をして衆夫を養わしめ、これを男妾と名づけて家族第二等親の位に在らしめなば如何ん。

養えるなら妾制度は悪くないと言う主張に対し、じゃあ逆はなんで悪いのかとw
こういう風に真っ当なことを強く言ってくれることに、救われる人がいまだにいるのではないだろうか。

妻を娶り子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。 〜中略〜 苟も人身を具えたる者なれば、誰か孟子の妄言を信ぜん。 〜中略〜 世界広しといえども未だかかる奇人あるを聞かず、これらは固より空論にて弁解を費やすにも及ばず。人々自らその心に問いて自らこれに答うべきのみ。

このように「我心をもって他人の身を制すべからず」の段はとにかく主張がキレッキレで、気持ちがいい。
(私が共感する部分が特に多いからそう感じたのかもしれません)

*  *  *

一方で、学者のあり方については自省も含んでいるのか自分と近しくよく見える環境だからか手厳しい指摘が続く。
日々の生活を守るだけに生きるのは、何一つ生まれた時から進歩ないとバッサリ。

(小麦の挽き方一つをとっても文明は次第に便利さを増しており)何事もこの通りにて、世の中の有様は次第に進み、昨日便利とせしものも今日は迂遠となり、去年の新工夫も今年は陳腐に属す。

そのスピードは加速度的に速くなっているが、学者はその先鋒を常に務める役割を担うのだと。ストイック。

古の時代より有力の人物、心身を労して世のために事をなすもの少なからず。 〜中略〜 今の学者はこの人物より文明の遺物を受けて、正しく進歩の先鋒に立ちたるものなれば、その進むところ極度あるべからず。

特定の職業に対する攻撃もなきにしもあらずで、ここにぜんぶ書くのは憚れるけれど、言われてみれば確かにそうだよなとうなずかされる部分も多い。

疑うことを忘れない

西洋の文明は我国の右に出ること必ず数等ならんといえども、決して文明の十全なるものに非ず。その欠典を計うれば、枚挙にいとまあらず。彼の風俗悉く美にして信ずべきに非ず。我の習慣悉く醜にして疑うべきに非ず。

逆もまた然りだが、やっぱりフラットに見ることは大事だし、「偉そうに見えるから」「すごそうに見えるから」と全部その情報を鵜呑みにするのは危険だよ、という警鐘はもうだいぶ前から鳴らされていたんだなと。

百疑並び生じて殆ど暗中に物を探るが如し。この雑沓混乱の最中に居て、よく東西の事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つるべきを捨て、信義取捨その宜しきを得んとするはまた難きに非ずや。

正しく目を開け。

さいごに

『学問のすすめ』をはじめて通して読んでみたが、成熟したものの見方を得られた読書だった。福澤さんが平生の思うところを吐き出しているのだろうあまりに痛烈な書きっぷりに、開国当時、日本を世界と肩を並べられる強国にするために……と、国内で協調と対立を繰り返しながらも未来に向けて粉骨砕身する人々の切実さが伝わってくる。

誰もが自分の「才覚」「立場」に応じた振る舞いをせよ。
このようなことが達成できるほど社会と人間が成熟したら、美しい社会主義の理想も夢ではないのだろうと思う。

でも、難しいだろうな。

*   *   *

本書の文章は文語体だが、教育図書であるという性格上意図して易しく書かれていて、読みにくさはまったく感じなかった。が、著者の文章のクセなのか二重否定がめちゃくちゃ多くて回りくどい。
「高尚ならざるべからず」ではなく、「低俗ならざるべし」ではだめなのか。本当に「ざるべからず」地獄だよ。。。
結局、二重否定なので最初の語句を肯定してると捉えればいいと読み慣れるまでは、ここが結構大変だった。

さて、本当に最後に。
この本は儒教的な価値観の否定など、当時の常識を覆すような強烈な内容により、社会的に大きな反響を呼んだ。本書巻末に掲載される、明治七年の論評(批判ではなく比較的冷静なもの)に下記のような一文がある。
自分の情報取得態度を諌められているようで、耳が痛い。

その論駁の目的とする六、七編をも通覧吟味せずして、ただ書中の一章一句につきにわかに評を下すに似たるもの多し。

私も日常的にメディアに意図的に切り取られた情報だけで決定や評を下すことが多いので、何ごとも大元・典拠に当たる必要性を改めて思い知らされるし、痛烈に刺さる。

特に、Wikipedia引用超えてAI引用が台頭してきてしまっているこの時代に。
タイパとか言っている場合じゃないのかも。何か言うなら「全部読んでから」。「他者の知恵をそのまま拝借」方式は、その場しのぎはできても持続性に欠ける。

そして一番の教訓は、
……福澤さんの言うように、ごちゃごちゃ言わずに「やってみろ」ってことかな。がんばります。


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