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崖っぷちの国際公務員@パリ国際機関

一言に転職といっても千差万別&十人十色。前編では安定性抜群の日本大企業から、リスクをとりパリの国際機関に攻めの転職をした事を取り上げた。結局色々とあって赴任開始から数ヵ月後も経たずに、転職活動をする事になるのだが、波瀾万丈なその一部始終をまとめた。


1. 転職2.0

国際機関というのは、よく専門性が問われる世界と言われる。ローテーションで色んなことをやらされる日本企業に対し、国際機関では自分の専門性を深めていくことが、キャリアアップに繋がる。ジェネラリストではなくスペシャリスト(なお、組織の上に行くと、専門性より政治力が問われるようになる)。

そんな世界に足を踏み入れたにも関わらず、自分の専門でもあった環境・エネルギーには関係ないお仕事だった。面接時には私の専門に近い分野でという話だったのだが、契約書を改めて見返すと、「環境」とは書かれていない。まあ結局は契約書がモノを言うということ、専門外の仕事でも文句を言わずにやるつもりだったのだが。。。

※国際機関に転職したそもそもの経緯は下記から

しかし、実際任されたタスクというのが関連ニュースに切りぬき、英文書の邦訳、日系企業とのアポ取りなど。さすがに下らなすぎて配属部署に文句を言ったが聞く耳持たず。だったら人を取るなよと言いたくなったが、どうやら日系企業のアポどりのために私を採ったようだった。ということで早々に国際機関の空席ポストや一般企業に応募を開始。

JPOという外務省の制度に乗っかって国際機関に派遣された場合、外務省になにかと報告を求められる。日本国民の税金で派遣されているのだから当然だろう。国際機関の空席に応募している旨伝達すると、なぜか微妙な反応が帰ってきた。

JPOの趣旨は日本人の国際公務員を増やすこと、JPOとして獲得したポストは日本政府が金だすからといって一時的に作ってもらうかりそめのポストだったりする。なので外務省は、JPO任期中に積極的に空席応募することを強く推奨。しかし外務省としては派遣先の部署との関係もあるらしい。どうやら私の場合、空席応募し出すのが早かったようだ。もう少し今の部署で辛抱強く仕事してみてほしそうな様子。

無論、外務省さんのいうことも一理ある。30代前半とかまだ若ければもうちょっと辛抱強く粘ったかも知れない。しかし、40手前で家族も抱え、呑気に今の部書で2年過ごして、JPO終了後配属先から、はいさよなら、という最悪のシナリオは避けたかった。

ということで関連する空席を見つけては応募しまくったが、当然書類選考で落ちまくる。何百倍、下手すると千倍越えともいわれ、世界中からツワモノ達が応募してくるので当然。そうこうしているとある日、国際エネルギー機関/IEA某課のA3政策アナリストの空席が出る。自分のプロフィールにもドンピシャ、これはどうしても落としたくなかった。

そこで、その課長に直接メールしてみた。IEAと姉妹機関?のOECDにいたので、連絡先一覧から課長のメアドを容易に取得できたのだ。ちょっとお話しを伺いたいお願いしたが返答がなかったので、IEAで働く日本人職員を探しだして話をしに行った。

2. IEAとの出会い

IEAで働く職員は何人かいたが、その大多数が日本の経産省や外務省からの出向、出向者に話を聞いても意味ない(彼らはあくまでローテーションで出向元の人事に行けと言われて来ているだけ)ので、省庁関係者ではない2人を特定。

一人は日本の某大企業から送り込まれたシニアの方。すごく優しく人間のできた人で、直接メールでアポ依頼をだすと快く引き受けてくれた。アポ日当日、IEAの正門前で落合い、事前に押さえてくれていたIEA内の会議室に通された。その際にIEAの構成やどういった部署がどういった仕事をやっているかを教えてもらった。

もう一人は、元々JPOでOECDに派遣されたが専門に関係ない部書に配属され、すったもんだの上でIEAに横滑りした方だった。IEA付近の傍のレストランで食事をしながら話を聞いた。こちらの事情を話すと二つ返事でその課長にコンタクトしてあげるっ!と返答が返ってきた。狙いどおり過ぎて一瞬怖くなったが、国際機関はコネが物を言う世界、コネがない時点でダメなんだろうと思った。

一週間後、応募先の課長から連絡があった。あって話を聞きたいから、近くのカフェに来てくれと。取りあえず幸先は悪くはなさそうだった。

5月下旬の約束の日の朝、快晴ではあったが少し肌寒かった。自分の事務所からエッフェル塔の方面へ向かって歩いて約30分弱、約束の時間より少し早めにカフェへと足を運ぶ。

道中姿を現す初夏のエッフェル塔

道中、どういった形で話を持っていこうかと戦略を立てた。正直、新しい仕事にありつけるかもというワクワクもあったが、それ以上にこの話をしくじってしまったらどうしようという恐怖心の方が強かった。今考えれば、こういうチキンなところというか最悪のケースばかりを想像してしまう自分の思考回路そのものが、不安定さが付きまとう国際公務員という仕事に向いていなかったのではないかと思う。

約束のカフェの前で黒いロングコートに身を包んだ一人の女性が佇んでいた。見た感じ50代前半と言ったところ。綺麗に結い上げた金髪の髪が、朝日に照らされて美しかった。彼女を横目にカフェに足を踏み入れ、少し緊張気味に周りを見渡すが、写真でみた課長の姿は見当たらなかったので、入り口近辺のロングテーブルに腰かけて彼を待つことに。

IEA近くのカフェ・ロスコ

以前に用意したいくつかの答弁を頭の中で反復していると、少しふっくらとした体型のスーツ姿の男性が私の方へ向かってあるいてきた。課長だった。写真では少し丸顔で柔和な感じだったが、目の前の本人は眼光が鋭く、それ以上に何かしら強いオーラを感じた。間違いなく仕事ができそうな感じだ。彼の横には、先ほどカフェの前で佇んでいた女性がいた。彼の課で働くシニア・プログラム・オフィサーとのことだ。

その会合は約30分程度、なぜうちの課に興味があるんだ?など想定内の質問には単刀直入にポジティブに答えていく。終始和やかな雰囲気ではあったが、先方から私の話し方や素振り、そこから垣間見えるだろう人間性を吟味されている感触があった。そして何より彼の英語の聞き取りに手こずった。ネイティブなのだが訛りが強く、早口&もごもごいうタイプ、純ジャパの私の耳ではすべての音声を聞き取れない。

その後先方から課での仕事の説明があった。特に近々大きなプロジェクトが立ち上がるので人を探しているとか。ただ、あくまで試験を突破できたらの話、特別扱いはできないし、するつもりもない。実力で勝ち上がってこい、と釘も刺された。なんかの映画やドラマで出てくるようなセリフ。かっこいい。裏口入学や横滑りを多少期待していた(国連やOECDではよく聞く話)が、そんなものはIEAにはないらしい。実力がすべて。多少残念ではあったが、IEAも課長も全うな組織・人で心地は良かった。

3. プランB

IEA課長との手応えがあったのかなかったのかわからない面接が終わった後、もしこの話がポシャったらどうしようと不安に刈られるようになる。どこまでチキンなんだよ、と今考えれば思ってしまうが、当時の自分は半ば人間不信に陥っていた。そもそもIEAと言えば、空席への切符を虎視眈々と狙っているツワモノ達が世界中にウジャウジャいる世界。楽観視できない。

そこでIEA試験突破の他、もう一手が必要だった。そこで組織図をもう一度見直し、面白そうな課に目を付ける。当時勤めていたOECDに環境部署があり、さらにそこに各国の環境政策レビューをやっている部署があった。そこの課長にコンタクト、構内のカフェで話を聞く。

すごく気さくな人でJPO/日本の紐付きといったら快く仕事内容を説明してくれた。ちょうど人も予算も足らないということで、welcomeだとも(ただの労働力なので喉から手が出るほどほしかったのだろう)。あまりにスムーズすぎたのでこの時点でちょっと怖くなった。実力で試験突破してこいというIEAの切れ者課長に対して、大手を広げて是非来てくれというOECD環境部の環境政策レビュー課。どう考えても前者が魅力的。なのでこの時点で、IEAをプランAとし、あくまでそれがダメだったときの代替案/プランBとして環境部をキープすることに。

終わりに

というわけでいろんな働きかけをしていて、仕事どころではなかった。なので派遣先部署との関係も徐々に悪化しだし、背水の陣となっていく(他の部署に応募することを正直に言ってしまった私が悪いのだが、当時は前もって知らせるものだと思い込んでいた)。プランAかプランBのどっちかで決める必要があった。

その後何とかIEA空席ポストの書類選考が通り、ネットの筆記&インタビュー試験を受けることに。これがまた地獄のような試験だったのだが、これは次回にて説明。


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