【きんぼし】-星にならなかった少年の物語-
小さな村の小さな家に男の子が生まれました。ずっと子どもがほしかったお父さんは大喜びで、「生まれただけで金星だ」と言い、男の子を、きんぼしと名付けました。お父さんは、強い男にしようと幼いころから稽古をつけましたが、きんぼしはすぐに逃げ出してしまいます。すると、お母さんは、「生きるだけで金星よ」と言って、かばってくれました。
ところが、お父さんは、きんぼしが七つのとき、川でおぼれたきんぼしを岸に上げたあと、沈んでしまったのです。お母さんは、なぐさめてくれましたが、きんぼしは、ぼくのせいだと思いました。
やがて、お母さんも流行り病で亡くなり、幼い妹とふたり暮らしになりました。三歳違いの妹は名前をうたと言います。きんぼしは、まだミルクの匂いのするうたが好きでした。うたの額にある小さな赤いあざもかわいいと思いました。産毛の生えた桃の実みたいなうたのほっぺを、ずっと守ろうと思いました。
きんぼしは、からだが大きくて力持ちでしたが、子どもたちから、なんとなしに仲間外れにされていました。みんなが楽しくおしゃべりしていても、きんぼしが話すとなぜだか座がしらけてしまうのです。
村では額にあざのある子どもを「星の子」と呼んで敬っていました。村人がうたのところへ作物をお供えに来たので、ふたりきりでも何とか生きていけました。
きんぼしが十二になったころ、だんだんと川の流れが細くなり、畑や田んぼは干上がってしまいました。 ある晩、きんぼしとうたは、村の集まりに呼ばれました。 「よく来てくれたね」おさはそう言って笑いましたが、細めた目を、きんぼしは、なんだか怖く感じました。
おさは、うたの柔らかな手をなでさすると、「さあ、星になるときがきたよ」と言いました。九つになったばかりのうたが首をかしげると、おさは村の言い伝えを語り始めました。
村は、昔から干ばつに見舞われてきた。その夏はとくにひどく多くの人が飢え死にした。すると、山の神が村をたずねて来て言った。額にあざのある子どもはいないか。それは神の子の印。その子を返すなら雨を降らそうと村人に約束した。山に子どもを連れていくと、雨が降り、たくさんの村人が救われたという話でした。
「山に行った星の子は戻らなかったが、西の空に星がひとつ増えたという。きっと、しあわせに暮らしたあと、お星さまになって、村を守ってくれているのだよ」
「ぼくたち今でもしあわせです」
きんぼしは、言いました。山がどんなにいい所でも、うたは自分といた方がしあわせだと思ったからです。
「山にいけば、うたは、もっと、もっと、しあわせになる。村も救われる」
村人からきびしい目が注がれ、きんぼしは、かあっと顔が赤くなりました。
「うたにしかできない貴い仕事だ。行ってくれるね」
「大好きなお星さまになれるなら」
うたが小さな歯を見せて笑うと、「さすが星の子だ」と村人は、たたえました。
「うたはまだ幼い。共に行く者を選ばねばならないな」
おさの言葉に座はまた静まり返ります。沈黙のあと、おさはきんぼしに言いました。
「きんぼし、お前は力が強い。行ってもらえると助かるが」
きんぼしは、頷きました。大人が来ても、うたと一緒に行くつもりでした。なんだか変だなあと思ったのです。星の子の話をしたとき、おさは目をつむりました。きんぼしは大人が嘘をつくとき目を合わせないことを知っていました。
次の日の朝、ふたりは用意された真っ白な旅装束を着て、食べ物や貢ぎ物が入ったつづらをきんぼしが背負い、村を出ました。しきたり通り、家々の戸はかたく締められ、見送る者はいませんでした。
ふたりは水の枯れた川をさかのぼって、山へ向かいました。川底にはげんこつくらいの石がごろごろして何度も足をくじきそうになります。山のふもとに着いたころには裾は破れ、着物は土色になっていました。
「山の神はてっぺんにいると聞いたよ」
「雲で見えないわ」
きんぼしは、小さな手をにぎると、先に立って登り始めました。 ふたりは、木が繁って昼間でも薄暗い森の中を進みます。きんぼしが振り返ると、さっきまで歩いてきた道は森に飲まれて消えていました。
日が傾くと、きんぼしは、鹿の皮をなめしてつくった雨よけを木の枝に吊るして一晩の宿をつくりました。やがて、夜と自分の境がわからないほど真っ暗になると、小さなランプを灯しました。ふたりの顔がぽっと照らしだされます。
「夏祭りのぼんぼりみたい」
うたに笑顔がもどって、きんぼしも嬉しいのでした。果物や干した肉で夕飯をすませると、すぐに寝床を整え、もぐりこみました。 ほうほうほうほうとふくろうが鳴いて、近くでキューンという声がしました。
「きんぼし、こわい」
「だいじょうぶ。ぼくは起きているから、お眠り」
きんぼしは腕をのばしてうたの手をにぎりました。あっという間にうたから寝息が聞こえてきて、きんぼしもいつしか眠ってしまいました。
きんぼしが風の音でハッと目覚めると、うたはいなくなっていました。
「しまった!まだ床はあたたかい。近くにいるはずだ」
きんぼしが飛び出すと、大人の背丈ほどもある白い狐がうたをくわえて引きずっていくところでした。
「痛い痛い。きんぼし助けて」
うたが泣き叫びました。
「うたを返せ」
追いすがると、狐は尾をひと振りして、きんぼしを吹き飛ばしました。きんぼしは、がむしゃらにしがみつきます。ついに、狐はうたを口から離して言いました。
「しつこいやつめ。何度すがっても、ゆずることはできない。子狐に、こいつを引き裂いて食べさせてやるのだから」
狐の唇からのぞく青いはぐきには、黄色い牙がびっしり生えていました。
「それなら、ぼくの腕を片方あげる。ぼくの腕は太いから、子狐は、お腹いっぱいになるよ」
きつねは、ニイッと笑うときんぼしに襲い掛かり、右の腕を食いちぎって走り去りました。
「きんぼし、ごめん。ごめんね」
うたは泣きながら着物を裂いて、傷口に巻きました。きんぼしは、残った方の手でうたの頭をなでて笑いました。
「手が二本あってよかったよ」
きんぼしはつづらを背負おうとしましたが、しょいこがうまく担げず、重たいつづらは滑り落ちてしまいます。
「わたしも持つ」
いくら言い聞かせても、うたは荷物を分けろと言い張って一歩も動きません。
「じゃあ少しだけ」
きんぼしが荷物を袋に入れてうたの小さな肩に背負わせました。
「ありがとう、うた」
うたは、嬉しそうにうなずきました。うたを助けるつもりだったのに、なんだか逆のことになったなあときんぼしは思いました。
ふたりはさらに川の跡を辿りながら、山のてっぺんを目指して進みました。やがて川は高い崖に突き当たりました。水の枯れた滝つぼが、ほーうほーうと鳴いています。
「さみしいところ」
うたはポツンとつぶやきました。
「崖に水の流れた跡がある。のぼればもう着くかもしれないよ。少し休もう」
きんぼしが、敷物を用意していると、目の前が暗くなり、ばさばさっと羽の音がして、あっという間に、うたは鷹にさらわれてしまいました。大人が両手を広げたより大きなつばさです。空に目を凝らすと、太陽の下に黒い影が見え、うたは、崖の上の巣に連れ込まれてしまいました。
「やあっ」
きんぼしは、夢中で、崖から伸びた枝に縄を結び付けた石を放りました。引っかかった縄をたよりに片腕でからだをささえながら、やっと崖をよじのぼると、鷹がうたにくちばしをかけるところでした。
「おお、おお、いい目をしている」
鷹がするどい爪でうたの顔をつかむと、うたは気を失ってしまいました。
「うたを離せ」
くるりと首だけまわして、きんぼしを見た鷹は、片方の目がつぶれていました。
「片目では正確に獲物を狙えない。だから、この目がほしいのだ」
「うたの代わりにぼくの目玉をひとつあげる。三つ先の村ののろしも見つけるいい目だよ」
鷹は、金色の目でじっときんぼしを見つめました。きんぼしがまばたきもせず見つめ返すと、鷹はばさっと襲い掛かり、するどい爪できんぼしを押さえつけると、片方の目をほじくって、飛び去りました。 きんぼしが洞穴のようになった目に綿をつめていると、うたが、抱きついてきました。
「もうひとつあるから大丈夫さ。ほら、ね」
きんぼしは残った目で、うたの揺れるひとみを覗き込むと、笑ってみせました。
やっと崖を登りきると、急に開けた所に出ました。ざあっと風が吹き、西日を浴びた草原が金色に波立ちました。
「わあっ」
うたが笑顔になって歓声を上げます。きんぼしは、このまま、ずっと、うたと夕日を見ていたいと思いました。
狐の牙や鷹の爪で、きんぼしの着物は破れ、からだ中が傷ついていました。うたは先を歩き、きんぼしが遅れると立ち止まって、追いつくとまた前を歩きました。
「うた、山のてっぺんは見えるかい」
片目になって遠くがかすむようになったきんぼしは、たずねました。
「うん、前よりよく見える。この草原を越えたらきっと」
背の丈ほどもある草の中を進んでいたうたが、きゃっと声をあげて急に見えなくなりました。 きんぼしが草をかき分けると、うたの足をくわえた灰色の狼がうなり声をあげました。狼のからだは牛車ほどもありました。太い足についた真っ黒なひづめが地面をかくと、土がえぐれ、草がぱっと飛び散ります。その足は三本しかありませんでした。
「こいつは、ワナで砕けた足のかわりにもらっていく」
「待て!」
きんぼしは、狼に川の石を浴びせようとしましたが、狼はせせら笑うと、うたを引きずり、三本足で駆け出しました。きんぼしは、必死に追いすがりましたが、瞬く間に狼の姿は小さくなり、見えなくなりました。ずいぶん探し回ったのですが、狼もうたも見つけることはできないまま日が暮れてきました。きんぼしは、がくりと腰を落として河原に座り込むと、ふるえる手で冷えたからだを抱きました。
「ひどくさむい。昨晩食べたきりだから」
きんぼしは、暗くなっていく川底の石をじっと見つめました。それから、こころを奮い立たせると、ぐいっと踏んばり、声を上げました。
「ぼくの足なら一本あげる」
狼は草の影から姿を見せると、血走った目でにらんできました。
「お前はうたのせいで死ぬじゃないか。なぜそこまでする」
「うたのためなら、かまわない」
狼はあざけるような表情をしました。
「まあ、私は足さえ食えればなんでもいいがな」
狼はきんぼしの左足のひざから下を食いちぎり、「行け!」とうたに言いました。
きんぼしを見たうたは、だまってつづらを背負いました。もう一粒も涙をこぼしませんでした。きんぼしは、落ちていた枝を杖代わりにしました。うたは、きんぼしを支えながら歩いてくれましたが、ついに力尽きて倒れてしまいました。うたの頬は、草の葉で傷ついていました。
きんぼしは、たまらず杖を地面に突き立て、空に向かって叫びました。
「山の神さま聞こえますか。うたは、もう一歩も動けません。こんなところへ連れて来いだなんて、あんまりです。ひどすぎます」
すると、奇妙な風が吹き始めました。杖のこっちと向こう側で風が反対に吹いているのです。生暖かい風はどんどん強くなり渦巻になって、ふたりを吹き飛ばし、巻き込まれた川底の石がばらばらとからだに降りかかりました。
「きんぼし、よく連れて来てくれた」
竜巻の中心にいたのは山の神でした。山の神は、狐と鷹と狼を合わせたよりも大きくて、白い布をからだに巻き、ずきんをかぶっていました。そして、うたに歩み寄ると、軽々と抱き上げました。
「村に水を流してやる。うたには、村より豊かな暮らしを約束しよう。お前は安心して帰りなさい」
山の神がそう言うと、きんぼしは急に眠くなりました。
「星の子よ。よく来てくれた。辛いことも苦しいことも、もうお終いだ」
「お願い、きんぼしを助けて。置いていかないで」
「おおお、いい心だ。ぴかぴか光って震えている。なーに、星になればすぐに会えるさ」
「まってくれ」
うたの叫ぶ声で我に返ったきんぼしが見ると、山の神の手や腕は灰色のかたい毛でおおわれて、うたの鼻先にするどい爪が伸びてきました。
「うた、逃げろ!」
山の神は、振り返ると、ずきんの下で、ニイイイイッと青い唇をつりあげました。
「今度は何をくれるんだい」
きんぼしは、山の神をうたから引き離そうと、体を引きずって遠ざかり、耳を片方ナイフでそいで後ろに投げました。
「もっとだ」
山の神は、うたを抱えたまま、きんぼしを追って来ました。きんぼしは残った耳もそいで投げました。
「もっと、もっとだ」
耳を食らいながら山の神はさらに迫って来ます。
「おそろしい。あればあるほど、ほしくなるんだ」
山の神の着物がバサリとはだけて、茶色いつばさが現れ、大きく羽ばたくと、きんぼしに襲いかかろうとしました。
「きんぼし、逃げて!」
耳を失ったきんぼしに、声は届きませんでしたが、うたが山の神の首にかじりつき、真っ赤な目を両手で隠すのが見えました。山の神は怒り狂い、うたを突き飛ばしました。
きんぼしは、やっと杖までたどり着くと、ぐいと引き抜いて、覆いかぶさってきた山の神を突き刺しました。 胸を貫かれた山の神がどっと後ろに倒れると、傷口から水が噴き出したのです。
きんぼしは、うたを抱き寄せました。うたは、ぐったりとして動きません。川は水かさを増して、どうどうと迫ってきます。きんぼしは、うたをそっとつづらに入れて流れにのせてやりました。つづらは、波間に浮かんで、川を下っていきます。きんぼしが、ほうっとしたかおで仰ぐと、濡れた頬をしぶきが洗いました。
「ああ、父さんの声が聞こえる」
***
それから、きんぼしがどうなったのか、誰も知りません。声が枯れるまで語り続けたうたも、もういません。川は、ただ青く、光って流れていきます。
(おしまい)
文・大谷八千代
大谷八千代原作に寄せられた感想を参考に再創作した物語です
コメントを寄せてくださった人
junchanさん・菅野浩二(ライター&編集者)さん・火花さん・KeigoMさん・しろくま*スクールアートセラピストさん・ピルグリムさん・umi no otoさん・あ、はい原田です。さん・横山黎@大学生作家・立山剣さん・coucou@note作家さん・ちえさん・さあらのエトセトラさん・毒多さん・垂直居士さん・soraさん・としべえ@詩小説さん・くーや。さん
きんぼしの物語を見届けてくださった全ての方へ
ありがとうございました
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