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【ふつうじゃない子】意見まとめ回#1
先日コメントを募集した童話【ふつうじゃない子】にたくさんの意見があつまりました。皆さんありがとうございます。
【ふつうじゃない子】は、私が執筆している未完成の物語です。noteで公開し、コメントいただいた意見や感想を元に再創作をしています。
募集する前は、未完成作を公開することの躊躇とコメントがひとつもいただけないのではという不安がありましたが、吹き飛んで、絶対良い作品に仕上げる意気込みに変わりました。
今回は、集まった意見を自分なりにどう物語にまとめるか整理する回です。コメントいただいた方もそうでない方も、こんな考えもあったのか!と感じてもらえたら嬉しいです。
今後の予定では、再創作を7月末までと区切りました。それまでにあと二回のチャンスをください。
・6月末までに再創作した【ふつうじゃない子】#2を掲載。コメント募集。
・まとめ回#2
・7月中頃までに【ふつうじゃない子】#3を掲載。コメント募集。
・まとめ回#3
・8月1日に最終作品を掲載。
いただいた意見を拝見するといくつか共通する課題が見つかりました。
【テーマについて】‘‘自己犠牲の物話か個性を活かす物語か‘‘
意見を読んでいて、自分で気づかなかったことをたくさん教えていただきました。特にいちばん重要なテーマについてです。問題だったのは、テーマがふたつ入り混じっている点です。
1「ふつうじゃない」=個性 個性が大事という話
2ふつうじゃない子(ふつうではできないことをする子)の自己犠牲の話
この世に生まれた存在は、すべてそれぞれ違った輝きでいいんだという普遍的なもの
このストーリーは読んでいて私は苦しくなりました。それが何故か考えました。「みんな違ってみんないい。弱点は長所にもなる。役立つ時はきっとくる。」テーマは似ていると思います。でも、なにかが違う。なんだろう?
コメントにあるように、内容から1のテーマであると感じられた方がほとんどな印象でした。しろくまさんも何か違う?と書いてくださっていますが、私が描きたかったのは、2の「犠牲とは何か」という部分でした。「ふつうじゃない子」というのは、変わった子ども、個性的な子という意味ではなくて、「自分を犠牲にして誰かを救う子」を表現するつもりでした。ところが自分でもテーマを明確に理解できていなかったせいで、ごちゃごちゃになっていることに気づいたのです。違和感はここにあったと思います。
【改善点】
・当初の意図である「犠牲とは何か」という部分をメインに据える
・メインテーマの中で個性について扱うのかどうか。メインテーマからして「ふつうじゃない子」という表現が適当なのか検討
常々、読者対象は、「人間」にしています。子どもにも大人にも通じるものを目指します。
【説明不足と説明しすぎ問題】「ふつう」「ふつうじゃない」とは何かが不明瞭だった
そして、「ふつうじゃない子」と表現する以上、何が「ふつう」で「ふつうじゃない」のかをしっかり作品中で言及する必要がありました。メインテーマの再考の結果にもよりますが、「ふつう」「ふつうじゃない」を盛り込む場合はしっかり説明します。
「ふつうの赤ん坊がよかったのに」の根拠、つまり「ふつうであること=みんなと同じであること」の居心地の良さ(=同調圧力みたいなもの?)が冒頭に少し書かれているといいのかな
子供の個性を「ふつうじゃない」と表現した事に違和感がある。これだとみんなが「ふつう」でない事になり、それなら「ふつう」とは何かと言う問題ができる。
説明不足な上にミスリードしてしまっているのが、「ふつう」「ふつうじゃない」を見かけの問題とするかのような表現を多くしてしまった点です。多くのアドバイスが集まったところです。ここは本意ではないので大幅に修正します。
「みんな同じような背の高さで、顔が似ていました」のところも、もっと似ている部分(心のあり方とか)を示してもいいのかな
新しい村では、ふつうじゃない子はいらないとなっていますが
古い村から、何か伝わっているから皆そう思うのではないか
世界で1番「かわいい」よりは「いとしい」の方がステキだと思います!
自分の子どもが世界で一番かわいいと思いました。
これを「世界で一番いとおしいと思いました。」とか「自分の家に来てくれた子を大切に大切に育てました。」といった表現にしてはどうでしょう。「かわいい」だと大谷さんにその気がないのがわかっても、何となく見た目を想起してしまう気がして。
説明不足かと思えば説明しすぎな箇所も明らかになりました。そこも削っていきたいと思います。
そもそも↓こういうことも言えますね。
「ふつうじゃない子」「ふつうじゃない子はいらない」この表現を使わずにこれを表すことはできないか?
【ラストシーン】救いはあるのか
当初、私は、「犠牲とは何か」についてリアリズムを追求してぎりぎりの所で童話にしようと考えました。童話は現実世界の厳しさ、教訓を子どもに伝える、という方もいますが、これは私は賛同しません。それなのに、なぜ犠牲について描くのか。犠牲には、失うことと捧げることの意味があります。生きることは他の命を食べる(殺す・奪う)ことにほかなりません。自分から見ると命を失うことが、相手から見ると命を得ることになっている。捧げるというのは、命を失うけど相手の命として生きること・・・犠牲にともなう残酷さを描きますが、そこには、どこか人間のひとにぎりの良心が遺されているのではないか。ちょっと説明ができずくどくどしているのですが、そのへんをもっと突き詰めて書いてみたいのです。
次の意見は、人間の光を感じたコメントです。
自分が変人だとなげやりになる弟に兄が言った言葉です。「そんなに凡人になりたいか?」「凡人には偉業を成し遂げられない」とも言っています。
ただただいいお兄ちゃんだと思いました。
「ただただいいお兄ちゃん」がまたさんに見えました。ひとりの人が信じてくれたら人は無敵ですよね。
またさんもふつうじゃない子も
きっと神さまのお導きで、天国で
また会えて 幸せに笑顔で村の人たちを見ていますね。
またさんはつぶされて亡くなったんじゃあないと思いました。包まれてあたたかくて男の子を誇らしく思い、笑顔で天に召されたんだと思いました。
徹底的にリアリズムで書こうかと考え始めていたとき、上のふたつのコメントで救われる自分がいました。読後感をどうしていくのかの参考にさせてもらいます。
そして、物語全体についてのコメント・・・毒多さんにはnote記事でご意見いただき、紹介されている本や毒多さんの過去記事にも大きなヒントをもらいました。
この世に生まれた存在は、すべてそれぞれ違った輝きでいいんだという普遍的なものが伝わってきます。
なんだかメチャクチャ難しいテーマへのトライだなぁ、、
でも、いったい「ふつう」ってなんだ?ってなことは考えさせてくれる。
決して簡単な、単純なテーマではありませんが、子どもが自分について考えるきっかけになると思います。
難しいテーマですが、普遍的なものを描き出せるように、再創作を進めていきます!
今回のチャレンジで、言い訳と自虐と自己卑下を封印しました。どんな意見をいただいても、自分の書きたい世界を追求します。なので、どしどしご意見いただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。
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