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子どもになにが出来るか、よりも、私が子どもにとってどんな存在か、も大切にしたい

今、私は”大人”として子どもたちに関わっている。
子どもたちから見る私は”大人”。

私は就職するまでずっと”大人”が嫌いだった。
大きな声で怒鳴り、言動や圧で押さえつける。私の意見を述べると、怒られ反発され、否定される。あれはダメ、これもダメ、制限ばかり。親も教師も感情のままぶつかってきて、コントロールしようとする。いつも大人が正しく、子どもは従うものという暗黙のルールがストレスだった。だから大人が嫌いだった。憧れた大人などいなかった。

今になったらわかる。親も教師も私も不完全。だから感情のままに生きることもあるし、怒鳴ってしまうこともある。彼らなりの子どもの育て方として制限をかける言動をとっていたのかもしれない。彼らも今を生きることに必死だったのかもしれない。
でも当時はわからなかった。”大人”になりたくない、と感じていた。

でも、私が心を開き、大好きだった先生がいた。
中学校の保健室の先生は、私の姉がうつ病になったと知り、常に私を気にかけて声掛けて、ケアしてくれていた。私の記憶は曖昧しかないが、親友によると私は保健室に通って、よくその先生に話を聞いてもらっていたらしい。
もう一人は、看護の専門学校時代の担任。私がペースメーカーを挿入するとき、寄り添ってくれて、常に気にかけて、卒業後も手紙をくれたりした。先月10年ぶりに再会したとき「生きててくれてよかった~!」と喜んでくれた私の恩師。
穏やかな感情で、心を開いて、寄り添って、常に気にかけてくれて、弱音も吐ける安心安全の場、というのがこの先生の共通。

そして憧れていた先輩がいた。目立つ不良タイプで、自分の意思をもって、我が道を進み、見た目も自分らしくあり、意見も恐れることなく大人に伝える先輩が輝いて見えた。当時はなぜ憧れているのか、考えたこともなかったけれど、今思い返してみると、自分を表現して自分らしく生きているのが羨ましかったんだと思う。

こんなことを思い返して、今、”大人”の私が、子どもたちにとってどんな存在でありたいか、その答えは学生時代に感じていたことにある。
私は、子どもにとって安心安全の場で、どんなこともジャッチすることなくまずは受け入れて、いつも気にかけてるよって伝わるような関わり方をして、子どもの中にある答えを一緒に見つけていく、そんな存在。そして、自分らしく生きて、自分を表現して、子どもにとって大人になるのが楽しみな存在でありたいと思う。

子どもになにが出来るか、よりも、私が子どもにとってどんな存在か、も大切にしたい。



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