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MMM2009-2018++

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茨城県ひたちなか市那珂湊地区の芸術祭「みなとメディアミュージアム」が10周年を迎えます。そこで創設者の田島悠史が、各年の一枚と一日を通して、MMMを振り返りました。2019年から…
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#那珂湊

「みなとメディアミュージアム」という分かりにくい名称について

「みなとメディアミュージアム」という分かりにくい名称について

11回目のMMM(みなとメディアミュージアム)が無事に終わって、はや3ヶ月。今年はとても良い年で、3年目を迎える実行委員も2年目を迎える実行委員もとても元気。

さて現在は色々と議論をしている。来年のMMM2020は現在のフレームワークを活かして開催するものの、MMM2021(仮)は大きく変えることになっている。その一つに「"みなとメディアミュージアム"という名称が分かりにくい。わかりやすい"那珂

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MMM2009-2018:ハッピーエンドは、まだ早い(MMM2017)

MMM2009-2018:ハッピーエンドは、まだ早い(MMM2017)

2017年は、ぼくの身辺変化から話した方が良いだろう。

まず職場(宝塚大学)で大きな変化があった。
自分の管轄の映像領域を廃止し、入試委員長(IR推進委員長兼務)になった。8年間定員を大幅に下回る状況は問題があると思い、学部全体とターゲットがズレている映像領域に固執するよりも、学部全体をなんとかしたいと思ったからだ。ここから、外部のコンサルティング団体と毎回、喧嘩しながら、毎日数字とにらめっこし

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MMM2009-2018:見守るしごと(MMM2014)

MMM2009-2018:見守るしごと(MMM2014)

MMM2013をもって出展することと、プロデューサーをやめた。今回は、心機一転の2014年の話。

2014年というのは、ぼくにとって転機で、宝塚大学の専任講師として働き出した年でもあり、下北沢での生活を始めた年でもあった。また、当時執筆していた博士論文も大詰めを迎えていた。MMMは現在も続いている、中村(やす)さんをプロデューサー、橋口(静思)さんがチーフキュレーターという体制になった。必然的に

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MMM2009-2018:話すことと、作り続けること(MMM2013)

MMM2009-2018:話すことと、作り続けること(MMM2013)

誰にも見せる予定のない、2013年5月5日の非公開の日記に、こういう一文を書いていた。

今だってMMMがあるじゃないかって思うかもしれないけど、僕はMMMで腐っている。「作家」としてではなく「プロデューサー」として期待されている。人はどんどん来るけど、彼らと話したいと思えない時がある。

MMM2012はとても順調だった。上手くいくと、色々なことをやりたくなるし、後押しも生まれる。ぼくはMMM2

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MMM2009-2018:盛れた年(MMM2012)

MMM2009-2018:盛れた年(MMM2012)

人生、生きていれば、まあ1枚ぐらいは「盛れた写真」というものがあるはずだ。

ということで、この年の1枚は個人的には「田島史上最大に盛れた写真」の一つ、と認識している。陰影が彫りを深くしてくれているし、左下に学生がいて、右下に田島がやや強面で立ちはだかる、という対立構図も良いし、真顔にピコピコハンマーを持つという、少し抜けたコントラストも良い。

撮られた時期は確か、2012年の秋。MMM2012

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MMM2009-2018:29歳変動説(MMM2011)

MMM2009-2018:29歳変動説(MMM2011)

29歳ってのは転機となる年だ、ブッダも親鸞も出家したのは29歳だ、って世界史の参考書かなんかで読んだことがある。ちょっと調べてみると、田口ランディが「29歳変動説」というのを唱えていて、村上春樹が小説家デビューしたのも29歳という。例によって、ぼくは身の丈を知らない人間なので、おこがましくも「ぼくも何かあったらなあ」とか考えていた。

で、結論から言うと2011年はぼくにとって、とても大きな一年だ

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MMM2009-2018:定点観測(MMM2010)

MMM2009-2018:定点観測(MMM2010)

「最も大変だった年」は2009年、「最も辛かった年」は2011年とすると、2010年は「最も人生に絶望していた年」だったなあ、と振り返ると思う。

絶望と言ってもそんなネガティブなものではない。要するに昨年度の「高い意識」が、MMM2009と博士課程のフォーマル発表終了の反動で消え、のんびり作家活動と非常勤講師業で細々と生きていければいいかな、なんてナメたことを考えていた。

まあ振り返れば、仕

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MMM2009-2018:MMMが始まった瞬間(MMM2009)

MMM2009-2018:MMMが始まった瞬間(MMM2009)

まさか10年続くとは、あの時は思ってなかった。

慶應SFCの後期博士課程に再入学すると、なぜか授業を取らされる。ぼくは全く触ったことがなかったけど、なぜか気になっていた、清木康先生のデータベースの授業を履修することにしていた。だけど、その日は自分だけではやる気が出なかったので、後輩の緒方(伊久磨)くんを勝手に巻き込み授業を受けていた。授業が終わり、後輩の加藤さんと合流し、ぼくの車で一緒に帰ること

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