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外国人になるということ/育児/英語に疲れた/車の運転~アメリカ移住1か月目~

旦那と子供は先にアメリカ移住していて、
数か月後、私もやっと渡米ができた。



1週間目【安堵と幸せ。戸惑い、焦り。英語に疲れた】

1日目:移動日

やっとこの家に来れた!
二人がいれば幸せ。
大きな家、おいしいご飯。
※この数か月、日本で
 リゾートバイト、実家、ホテルを転々としていた私。
 日記にはこう書いている。
「幸せ~。と感じたこと、忘れないこと」

空港で、私を見つけて
とっても嬉しそうにニコニコしていた息子。
「ママ」と書いた紙を持って、
ニコニコ私のもとへ走ってきて、
途中で変なところで曲がっちゃって
ニコニコしたまま私の前を通り過ぎて行ったっけ。
可愛かったなあ。愛しかったなあ。
旦那ちゃんとも久しぶりに会えて、
お互い、お疲れさまでした。

2日目:ママ好き

私といられるのが嬉しいらしく、
息子「ママといる」「パパあっち行ってて」と。

3日目:幸せと焦り

幸せではあるが、
自分にできることが少ないように感じて焦っている。
息子とたくさん一緒にいられて、
「まますきー」と言われて嬉しい。
私といるの幸せでよかった。

4日目:自分の家だと思えない

自分の家じゃないように感じている私に、
夫「〇〇の家だからね」と言ってくれて、
私の荷物を収納するための物を買うことを提案してくれた。
※まだ自分のクレジットカードがなく、
 買い物も不自由だと感じていた。

私の物はアメリカの家に送ってはいたが、
自分のいいように収納はしていなかったので、
余計、自分の家じゃないと感じていたかも。
自分で、自分の家を心地よくすること。

5日目:外国人になるということ

ビザ待ちの期間の長さは
自分はこの国で外国人だということを
痛いほど突き付けてきた。

外国人であれば、国境を越えてしまえば、
家族であっても、離れ離れになる。
自分は外国人なのだと、
この国の人間ではないのだと、
2~4日目に特に感じていた。
※衣食住に満足している一方で。

しなければいけない手続きが
まだ何かあるのではないか、
何か私の言動が間違っていたら、
夫と子供とまた一緒に
いられなくなるのではないか、
と心のどこかで怯えていた。

そして、4日目に感じた、
自分の家ではないという感覚は、
ここが自分の国ではない、
この国にとって私は外国人だ、
という感覚からも来ているように思えた。

少しずつ、
自分の居場所にしていこうと思う。

7日目:英語に疲れた

渡米して1週間が経った。
ふいに、英語が嫌になった。

この1週間、
夫と息子の日本語と英語を聞き、
昨日は英語しか伝わらない
夕食会に参加して、
英語のシャワーを浴びた日だった。

その夕食会では、
一人は日本人がいるのではないかと
わずかに期待していたが、
アジア人風の顔の方々も
全員日本人ではないと知った。

渡米1週間分の緊張感で張り詰めた気持ちと、
自分の中で決めつけていた言葉の壁、
限界みたいな何かを壊したような眩しさが混ざりながら、
その場の高揚感が手伝って、
腹をくくって英語を喋りまくった。
やっと殻を破れたかと思った、その矢先だった。

今日は息子が言う言葉が
何度も聞き取れなくて、
特に、スペルも正確な音も
何もかもが分からない単語が
息子と夫の中で共有されていて、
私だけがそれを分かっていないことで、
私の中で何かがプツンと切れた。
私が「何?」と言っても
もちろん息子は説明できないし、
夫も「ママにはわからない」と。

ここまで、
たくさんの意味不明な言葉を
ノンストップで聞いてきて、
知らない英単語なら調べるなり
語彙力UPしなきゃいけないと思い
我慢してきたが、
これはもう無力感まっくす。

幼稚な言い方をすると、
異国の地で唯一の仲間から
仲間外れにされた気分だった。

一緒にいられなかった時間は、
共通認識にまで影響を及ぼす。

※正確な発音ではなく、
 子供特有のもちゃもちゃした
 しゃべり方か、
 二人の中で共通認識の
 「あれ」だと思う。
 仲良くしている3人グループのうち、
 自分以外が外国の言葉で
 秘密の暗号を作って
 キャッキャと話しているのを
 想像してみてほしい。

ああ、早く、
他にもコミュニティ作らないとな。
とりあえず、また配信を再開するから、
そこで自分の気持ちと日本語を
好きに扱える場にしようと、
配信に逃げ場を作ろうと思った。
家に籠りがちな今、
配信をすることは
ペルソナを増やす手っ取り早い方法だと思う。

ちなみに、

息子は日本語でも英語でも話すし、
日本語でも英語でも、てきとーな
言葉になってない言葉もふざけて話す。
リスニングがすごく大変だ。
耳に神経張らせてるのが
結構神経すり減る。

私が息子の言葉を聞いた後に
考える流れは以下の通り。

①言葉が聞こえる
②日本語か英語か判断する
③どちらかで意味が通っている言葉ならOK
④英語っぽいが私が知らない単語or造語
⑤近い発音のものから正解を探す
⑥正解が見当たらないなら、
 詳しく聞くか、指差しで教えてもらうか
⑦どうやっても伝わらない場合、諦めるが
 お互いモヤモヤしたり

息子も英語習得をがんばっている最中で
日本語も英語も言い方が曖昧な時がある。
そして、数か月一緒にいなかった息子が
なんて言いたいのか予測するには、
ここ最近の息子の行動範囲や
新しく覚えたフレーズや癖や
判断材料が乏しすぎて
全く見当がつかないのだ。
そして、息子に何度聞いても
同じフレーズを繰り返すばかりで
スペルもわからないし、
伝わらない息子ももどかしいばかり。

急に子供ができたらこんな感じなのかもしれない。
でも少なくとも、
共に生活してきた時間の方が長くて、
お互いに親子として認識していて、
お互いを大事にしたい気持ちはもちろんある。
がんばろうね。
お互い、二言語学ぶのも
新しい場所への適応も。
※1か月が経ち、そこまで神経を張らなくても
 息子の言葉を聞き取れるようになってきた。
 わからなくても深刻に感じなくなってきた。

ちなみに、夕食会での経験は、
第2言語でみんな頑張って生きていることを知り、
勇気をもらった良い時間となった。
私も頑張ろう、強く生きていこうと思った矢先、
家族内での言語の壁にぶち当たり、
落ち込んでしまったのだろう。

2週間目【子育て:一緒にいなかった時間。】

私が一緒にいなかった間に
息子と旦那のやりとりは確立していた。
いつも食べているもの、
いつもは何をどれくらい許可しているか、
何を禁止しているか、
何を好んで遊んでいるか、などなど、
日本語と英語、どこまで喋れるかなど、
私がいない間に、
たくさんの変化があって戸惑った。
※食事やお菓子、食べ方、
 テレビや遊び、スケジュール、
 シャワーや歯磨きのやり方
 寝る時のルーティーン、スタイル
 英語と日本語

シャワーと歯磨き

歯磨きやシャワーを私が担当すると、
息子はいつもと違うやり方を嫌がった。
パパとは洗う順番が違うとか、
やり方が違うとか。
旦那は息子に、
違うやり方もあることを説明してみたけど、
やっぱり、いつものやり方で定着させることにして、
「ママはやり方がパパと少し違うかもしれないけど、
 こうやってほしいって伝えたらいいよ」
と説明してくれて、少しはよくなった。

なんでもパパに聞く

おのずと、息子に何か尋ねられる度、
私は夫に、いつもどうしていたかを確認するので、
息子も私よりも夫に確認するようになって、
なんだか私は要るのか?ってなったり、
私が息子にダメと言ったことを、
息子が改めてパパに聞きに言ったら
「いいよ」と許可されたり。
私はそれ辞めた方がいいと思ってダメと言ったのに、
これを先にやらせたほうがいいと思ったのになどと
モヤモヤしたりした。

何か月間分のズレが、
成長が著しい時期には
とても大きかった。

なんとなく、息子は、
「パパに聞けばいい」
という雰囲気になっていた。
お菓子についてルールが緩いのもパパだし、
最近の息子を一番理解していて、
ここ最近ずっと一緒にいたパパだからだろう。

旦那はワンオペの間大変だったり、
お菓子を許していた可能性もあるし、
アメリカのランチセットにはチップスがついたり、
こちらの保育園ではお昼ご飯に
ピーナッツバター&クラッカーとりんご、
が出たりするので、
お菓子を食べやすい環境だった影響があるかも。
パパは「ママのいうこと聞いて」と言ってくれた。
ここらへんにはもう、
私の渡米1週間目に言っていた、
息子の「ままがいい」はなくなって、
些細なことにも
「ぱぱ」「ぱぱ」と連呼するようになっていて、
気が滅入った。
あと1、2週間後には旦那は出張に行ってしまうのだ。
やっていけるのだろうか。

※たま~に、ままと遊ぶのが楽しくて、
「まま、すき」と言ってくれたり、
喜んでくれることはあったが。

3週間目【運転や住まいに慣れた】

左ハンドル運転

3週間かけて、運転に慣れてきた。
旦那を助手席に乗せて練習を重ね、
旦那と息子の送迎ができるようになった。
息子は私が無事に運転できると、
”You did it!"と言ってくれるので嬉しい。

日本では車道が狭く、
運転は怖いと感じていた私。
ペーパードライバーのままアメリカに来て、
左ハンドルとは言え、
この広い道で正式に運転デビューできるのは
幸運かつ安全性が高いと思う。

ただ、車体のサイズの把握が難しかったり、
赤信号のルールになかなか慣れず、
助手席の旦那をひやひやさせながらの
運転練習だったのは申し訳ない。

練習内容

近所の広い駐車場まで
夫が車を走らせ、
そこで私にバトンタッチ。

正真正銘のペーパードライバーなので、
基本的な確認も含めて練習。
日にちは空きましたが、
駐車場での練習を3回程度、
あとは送迎に使う道を
実際に運転しました。

●座席の位置、ミラーの角度調整
 左右のミラーは車体がギリギリ映るぐらいが
 他の物きちんと映るのでよいとのこと。
●足元の右:アクセル、左:ブレーキ
●P:パーキング、R:リバース
 N:ニュートラル、D:ドライブの確認。
●駐車場内をぐるぐる前進
●駐車の練習
●バックの練習
●バックでの駐車練習
●左右や前後の距離感把握のために、
 ときどき降りて確認。
●死角の確認
 夫が車の周りを一周しながら、
 死角になる位置で立ち止まり、
 私が見えない部分を確認。
👉車を動かしたりバックするときに
 目視で注意して見るべき部分。
●交通ルールの確認
私はググって上位に出てきた
ここら辺を読みました👇👇

迷いやすい・間違えやすい「アメリカの交通ルール」を15個まとめてみた(1) | junglecity.com

在住者が教える!日本と違うアメリカの交通ルール【車運転前に必読】 (tyuuzuma-oyu.com)

日本人が迷いやすいアメリカの交通ルールまとめ【写真付き解説】 - Mamemiso diary (hatenablog.com)

そして、路上へ。
駐車場から近くの駐車場まで往復。
短距離なのでがんばれました!

●駐車場に到着後、駐車
●駐車した場所からバックで出る練習
●準備出来次第、もとの駐車場へ戻る。
これを繰り返し、
2つの駐車場を行き来した。

路上に出ると不明瞭な部分が出てきたので、
黄色い矢印の信号など、
よくわかっていないルールがあったので、
ググって解決。

最後は、自宅まで運転!!

駐車も徐々にうまくなり、
短い距離でも
自宅まで自力で帰れて
少し自信がつきました。

注意点

※ペーパードライバーです。
●曲がる際にウインカーを出すこと!
●道路の状況はすぐに変わるから、
 すぐに行動。
●半分くらい曲がったら加速する。
●急にブレーキをかけない。
 曲がる際にブレーキかける3秒前には
 ウインカーつける。
●バックするとき、ハンドルを先に回す。

アメリカならではなのは、
●曲がった後、右車線に入ること
●右折の際は、基本的には
 一時停止後、安全なら右折してOK
※NO TURN ON RED(赤信号での右折禁止)
 と書いてある信号では赤信号で停止。
これが難しい。
運転に夢中で信号しか見ておらず、
信号横のこのフレーズをパッと読めるほど
慣れていなかったので
右折しかけて危ない時がしばしば⚡
そして、左折は赤信号で停止。
慣れると大丈夫!

赤信号でも基本右折はできるので、
赤信号に対する認識が
頭の中で混乱しているので注意。
「今、この赤信号で止まるんだっけ?
 …左折したいから止まらなきゃだ!」
てな具合に、考えてました。
慣れたら考えなくてもできるのですが。
左折の信号機に👇こんな文字があったり。
“left turn yield on green”
👉Microsoft Bingによる回答
「左折時には緑色の信号で譲る」という標識は、左折レーンのドライバーが、対向車両に譲ってから、緑色の信号で左折することができることを意味します。 緑色の矢印が通常の緑色の信号に変わると、左折レーンはもはや優先権を持ちません。

少しずつできること増えてます!
自信もって!🚙🚗✨

広い田舎、最高

渡米の初日から感じていたことだが、
家の中や道路、お店など、
広くて過ごしやすい。
もう一度言う。
広いと本当に過ごしやすい。

ここは田舎なので、
今のところ電車に乗ったこともない。
日本の満員電車や道などの狭さを
こちらでまだ一度も感じていない。 
狭くない、スペースが十分にあること、
人とぶつからないこと、
精神衛生上とても良い!!

そして、田舎なので自然が豊か。
ウサギやリスはしょっちゅう見れる。
一度だけ、鹿も見れた!!

細かいことが気にならない

国籍や〇〇人か等、
大きい所が違うのだから、
細かい違いは大して気にならない。
第一言語が英語の方もいるだろうが、
第二言語の英語をアメリカの地で使いながら
それぞれベストを尽くしながら生きている人たちばかり。

私もこの地で強く生きるぞと思わせられる。
まだこの新しい世界に少し怯えているが。

お通じが良くなる

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