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宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』(毎日読書メモ(534))

複数の紹介記事で見かけて心惹かれた、宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』(朝日新聞出版)を読んだ。予想以上に、物語に心を残してしまう、これまで読んだどんな物語とも似ていない、不思議な物語だった。それは近代史のおさらいでもあり、先進IT国家となったエストニアの生存戦略のガイドブックでもあり、犯罪のないミステリでもあり、青春小説でもあった。

印象の淡い表紙(金子幸代装画)は、物語の中盤まで来た時に、一旦小休止で本を閉じた際に、わたしの心に迫ってきた。物語の重要な構成要素の2人の少年と、1人の少女。

ラウリ・クースクは、1977年にエストニアの郊外の村で生まれた。当時のエストニアは、今のような独立国ではなく、ソビエト連邦の構成要素である15の共和国の一つだった(勿論ラトビア、リトアニアも)。読み始めてすぐから、ラウリ・クースクの生涯が、ペレストロイカ~ソビエト連邦の崩壊の先駆けとなるバルト3国の独立に大きく翻弄されることが予感される。

この小説はラウリ・クースクの伝記である。「序」で、伝記の作者はこう書く。

おそらく、このように問われることは避けられないだろう。
「とどのつまり、彼は何をなしたのか? 歴史のどの位置に彼はいて、どういう役回りをはたしたのか? ラウリという人物は、我々人間存在の何を照射するのか?」
これに対して、わたしは「何もない」と答えるよりない。
ラウリ・クースクは何もなさなかった。
なるほど歴史は動いたが、そのなかでラウリは戦うことはせず、、また逃げることもしなかった。もう少し言うならば、疎外された。
ラウリは戦って歴史を動かした人間ではなく、逆に、歴史とともに生きることを許されなかった人間である。ある意味、、わたしたちと同じように。

pp.5-6

この書き手は一体何をどのように取材して、こんなにも克明なラウリの物語を書くことが出来たのか? エストニア語の出来ない作者は、エストニア人のガイド兼通訳を雇い、ラウリの生涯を知る人たちへの取材をする経緯を、物語の途中で少しずつ差しはさむ。
数字をひたすら書きつけることに夢中になった幼児時代、父が職場からこっそり持ち帰ったコンピュータで、プログラムが作れることを学び、BASICのプログラムを一つまた一つと設計していく。
学校では、友達とうまくやって行くことが出来ず、居場所のない思いをして過ごすが、情報教育のモデル校になったことで、学校でコンピュータが使えるようになり、次々とプログラムを作り、その完成度の高さに周囲を驚かせる。全ソビエトのプログラミングコンテストで入賞し、そのコンテストの優勝者のロシア人少年のプログラムに驚嘆するが、その少年イヴァンがモスクワからわざわざラウリに会いに来て、エストニア第2の都市タルトゥで中等教育を受けると聞くと、自分もロシアからエストニアにやってきて、ラウリと同じ学校に入る(イヴァンの両親は共産党員で、一種の特権階級として、イヴァンの希望をかなえてくれた)。
絵の上手な同級生の少女カーテャと親しくなり、ラウリとイヴァンとカーテャは一緒に行動することが多くなる。3人の学生生活と友情のシーンは、表紙のイメージ、美しい水の流れを手に受けるような心地。イヴァンもラウリも新しいプログラムを開発しては全ソのプログラミングコンテストで最優秀の座を競い合う。
そんな中で、世情は不安定になっていく。エストニアのソビエト連邦併合からずっと「森の兄弟」と呼ばれるパルチザンたちの抵抗運動があり、それに代わるようにエストニア人民戦線等によるエストニア解放運動が激しくなってく。1991年、リトアニアでの「血の日曜日」事件をきっかけに、ソ連軍がエストニアにも侵攻してくるという話が出てくる。イヴァンは両親によりロシアに呼び戻される。中学校は親ロ派、エストニア解放派、日和見派に分かれ(どちらに転ぶかわからない情勢なので日和見派が一番多いのだが)、カーテャはエストニア解放運動に身を投じ、逆にイヴァンとの再会の為にモスクワの大学への進学を願うラウリは親ロ派につくが、対立の激化により、ラウリもカーテャも大きく傷つく。ラウリはプログラミングから手を引き、タリンの紡績工場で働くようになる。
自由化が進む中、うまく浮かび上がる人、逆に闇に飲み込まれていく人、ラウリはITの世界に戻ってくるよう誘いを受けても「僕には成功する資格はないんだよ」と紡績工場の仕事を続ける。
しかし次のうねりが来て、そこからラウリの消息は途絶える。

エストニアの現代史に翻弄され、消えていったラウリの足あとを追う外国人の伝記作者。その正体は、関係者へのインタビューの途中で明かされる。何故、その人はラウリの伝記が書きたいのか、その理由に向けて突き進む第三部は、そこまでの沈鬱でネガティブな筆致とはがらっと変わる。それは、序文にあった「歴史とともに歩くことを許されなかった」という、切ない否定への、いい意味でのアンチテーゼだった。

宮内悠介はまた新しい世界を見せてくれた。
前に読んだ『かくして彼女は宴で語る』は明治時代の文化人がミステリに挑戦するペダンティックなミステリだったし、初めて宮内作品に触れた『盤上の夜』はボードゲームSF、『あとは野となれ大和撫子』は中東の架空の国のクーデタとそれに絡む少女たちの冒険譚。くるくると舞台をかえ、固定されたイメージを持たない持たせない、不思議な小説家だと思う。
『ラウリ・クースクを探して』は直木賞候補になったが、受賞するにはちょっと淡く、とらえどころがない印象だったのかな(何しろこの回の受賞作は河崎秋子『ともぐい』と万城目学『八月の御所グラウンド』という濃さだ)。でも、第11回高校生直木賞を受賞している! つい昨日発表されたらしい。おめでとうございます!

巻末の参考文献には、エストニア史のみならず、バルト三国の概要を書いた本が色々出ているが、その中に畑中幸子『リトアニアー小国はいかに生き抜いたか』(日本放送出版協会)があった。あの、ニューギニアで有吉佐和子を迎えた畑中さんです! これも読んでみたい!

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