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有吉佐和子『女二人のニューギニア』(毎日読書メモ(521))

年明け、友達のやっているバーに飲みに行って、最近読んで面白かった本の話をしていてテンション上がる。その時友達が面白かった、と言っていたのが有吉佐和子『女二人のニューギニア』(河出文庫)。河出文庫から刊行されたのは昨年1月(その前は1985年に朝日文庫から刊行されていたらしい。元々が「週刊朝日」の連載で、単行本が1969年に朝日新聞社から刊行されている)。有吉佐和子は今なんとなくブームなので(『青い壺』(文春文庫)が多くの書店で平積みされている)、手に入りにくかったこの本も復刊の運びとなった模様。単行本時から使われていた宮田武彦のイラストが、表紙にも、本文内の挿画にも用いられている。

有吉佐和子、文化人類学者畑中幸子、共に1930年度、和歌山県生まれ。元々ポリネシア研究で名をはせた畑中が、第五福竜丸が被爆した、南太平洋の水爆実験で、フィールドワークを続けるのが難しくなり、『南太平洋の環礁にて』(岩波新書)の印税を原資にニューギニアに移り、森林の奥深く住むシシミン族の風習の調査にいそしんでいる。ポリネシアからニューギニアに移り、その後一旦日本に帰国していた際に、元々交流のあった有吉と久々に会い、「ニューギニアは、ほんまにええとこやで、有吉さん、私は好きやなぁ」「そう、そんなにニューギニアっていいところ?」「うん、あんたも来て見ない? 歓迎するわよ」(p.15)という会話をいとぐちに、有吉がニューギニアに向かったのが1968年春。前年に『華岡青洲の妻』がベストセラーとなり、仕事しまくっていた有吉が、自作の取材もかねてインドネシアに行ったついでに、「地図で見ればほんの五センチほどの距離だから」と、畑中がフィールドワークをしている、ヨリアピに向かうことに。

p.4の地図。読みながら何回も参照。

畑中がフィールドワークを行っていたヨリアピは、今Googlemap見ても、出てない(オクサプミンとその向こうのテレフォーミンは出ている。地図をどんなに拡大しても、道路とかない…ここはどんな場所?)。
ニューギニアの西半分(インドネシア領)で西イリアン問題が発生していたため、ジャカルタからまっすぐニューギニアに飛ぶことは出来ず、有吉は一旦オーストラリアに渡り、シドニーからポートモレスビー、そこからラエ、ラエからマダン、マダンからウイワック、と飛行機乗り継ぎ。ウイワックまで畑中が迎えに来ていて、そこからオクサプミンまではキリスト教ミッションの飛行機。そしてオクサプミンからヨリアピまでは徒歩で2日。1日11時間歩いて2日で着く、と言われたので、3日かけさせて、と頼みこむ。そして1週間位いたら帰ろうと思っていた有吉の計画は、あっという間に瓦解する。
歩いても歩いてもヨリアピに着かず、ネイティブに手を引かれ、川の中を進み、ガイドにおぶわれ、最後は豚の丸焼きみたいに棒にくくりつけられ、何人かの男にしょわれて畑中の家にたどり着く。
脚も足の裏もぼろぼろで、また同じ道を帰れるまで体力が復活するのにどれだけかかるかわからない状態。

畑中が調査しているシシミン族は1965年に発見されたばかりの狩猟民族で、定住地を持たず、政府ですら人口も習俗も把握していない。気が向いたときに畑中の元にあらわれ、通訳を介して、族の風習を聞き取り調査する。時々訪問調査も。

ワイルドな環境で、川から汲んできた真っ黒な水で煮炊きする。畑でトマトを育てて、毎日トマトとコンビーフの食卓。時々狩猟の成果を貰ったのと格闘。マッパで動き回るネイティブたちに、布を裁ってざくざく縫ったパンツを与えると、気持ちが文明化した男たちは、畑中の手先として仕事をすることを拒否するようになる。文明化って何?、という謎状態。
考えたこともなかった世界が、1968年のニューギニアにあった。言いたい放題の畑中と有吉の会話が可笑しい。
調査研究内容を面白半分に紹介することは出来ない、と思っている有吉は、畑中、そして警護してくれるポリスや下働きのネイティブたちとの人間模様を中心に描くだけだが、コミュニケーションとは何なのか、ということを考えさせられる。共通認識の通用しないコミュニケーション。

日本に置いてきた娘(有吉玉青だ)から「はやくかえってきてね、まま」という手紙を受け取り、涙するが、はがれた爪はいっかな復活しない。

そんな有吉のヨリアピ脱出の経緯は小説より奇なりというべき「転」だったし、帰国後の後遺症もまた、そこまでニューギニアを引きずるか、という数奇さ、そしてそれが日本の医学に貢献するという不思議なオチも。

有吉佐和子といえば、その最晩年に「笑っていいとも!」のテレホンショッキングで、番組を1時間近く占拠して喋り続けたことが有名だが、これは有吉の独断ではなく、番組の演出であったということが後日明らかにされている。たまたま、「笑っていいとも!」出演から2ヶ月で急死したため、奇行(実際は演出だったのに)のエピソードだけが独り歩きしてしまったが、実際は真面目て誠実な人だったらしい(プロデューサーの要請に真面目にこたえた結果)。
亡くなったとき、まだ53歳だった。もっと長生きして、もっと色んな小説が書きたかったことと思う。
ちなみに畑中幸子さんは、今もご存命。シシミン族の調査は、『ニューギニアから石斧が消えていく日 人類学者の回想録』に記録が残っている模様。

わたしは有吉佐和子のそんなにいい読者ではないが、一昨年、『真砂屋お峰』を数十年ぶりに読んだら面白かったし、この『女ふたりのニューギニア』も興味深かった。機会を見て少しずつ読みたいな、と思う。

【追記】畑中幸子さんの本も読んだよ!
『南太平洋の環礁にて』(岩波新書)

https://amzn.to/42oYlcd

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