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有吉佐和子『真砂屋お峰』(毎日読書メモ(334))

先日、小佐野彈『車軸』(集英社)を読んだ時(感想ここ)、自分で稼いだわけではないお金をホストクラブにばんばん使ってしまう登場人物の姿を見て、有吉佐和子『真砂屋お峰』(中公文庫)を思い起こしたのだが、いかんせん、『真砂屋お峰』を読んで45年近くたっているので(当時住んでいた家の棚に挿してあった『真砂屋お峰』の単行本の姿がイメージで甦る)、あまりに見当はずれなイメージなら是正した方がいいな、と思って、読み返してみることにした。

図書館から借りてきた中公文庫は昭和51年刊行。字の細かさに驚く。最近は本も新聞も活字がすごく大きくなっていて、昔の読み物は同じサイズなら情報量が何割か増しだったのでは、と思う。そして、この細かい活字は現在の老眼の状況だと、コンタクトレンズで矯正した視力だとかなり手元から遠ざけないと読めない(ルビなんて絶望的)。少しでも薄暗いと判別困難。

と、よれよれと読み始めたが、物語の筋自体かなりうろ覚えであったことをすぐに認識。新鮮な気持ちで読む。浅草・花川戸の材木商真砂屋は現在八代目、息子を亡くし、息子の一人娘お峰に婿を取ろうと縁談を重ねているところ、眼鏡にかなったのが石屋の次男で大工奉公に出ていた甚三郎。縁談を渋る甚三郎を見合いの席に連れて行くまでが一つの山。
真砂屋が200年にわたって、堅実な商売を続けてきたことが、丁寧に描かれる。酒煙草御法度、杉や檜は扱わず(つまり大名屋敷などの普請には絡まない)、目立たないように良心的な価格で材木を卸し、大火で家の焼けた人たちには仮住まい出来る寮を提供する。帳簿は店主すらちょろまかせないように二重三重に管理され、当主も娘も木綿以外の服は着ない。
なんか読んでいて感嘆。凄腕のコンサルでもつけていたのか、と思っちゃうくらいの隙のなさ。
お峰と甚三郎が簡素な祝言をあげ、じきに祖父、八代目七郎兵衛が亡くなり、甚三郎が九代目七郎兵衛に。また、甚三郎の実家も火事で焼け、係累が殆どいなくなる。残ったのは釘屋に嫁に行っているお峰の伯母のお米だけ。これが絵に描いたような性悪で、真砂屋の財産を狙って虎視眈々。そして、ラブラブな甚三郎お峰夫婦にはいつになっても子どもが出来ない。
お米がお峰を芝居見物に誘い、真砂屋からはお金が出ないので婆やのへそくりで作ってもらった絹物着て出かけるシーン。昔は役者の名前も知らずに読んでいたのだが、お米の評論家ぶった物言いや、芝居小屋での役者遊びに改めて驚く。そして、お峰を罠に陥れる。

そこで一気に場が転換し、質素堅実に育てられたおぼこな御新造さんのお峰が、突如パラダイムシフト。シフトのきっかけが子どもが授からなかったこと、というのが切ないが、大火続きで材木業全体がこれまでの真砂屋のやり方では通らなくなっていたこともあり、お峰がした決断。それは夫には内緒の決断だったが、甚三郎もまたお峰の様子を見てひとり肚を決める。
後半は、お峰の贅沢三昧の物語。小気味よく、それまでの大人しさは猫かぶりだったのか、と思う位のきっぷのよさと他者に対する冷静で手厳しい評価。ありとあらゆる調度品に金蒔絵をほどこし、自分自身は木綿を着ているふりをして結城紬を身にまとい、木綿の帯の帯芯に金襴緞子の帯(これは終章で笑える伏線回収もある)。
乳兄弟の新助の働く呉服屋で御法度すれすれの着物をじゃんじゃん作り、焼け出された人の住む寮で蒔絵職人と話し、ありとあらゆるものに蒔絵細工を頼む。
そして、蒔絵をほどこした長持2つに着物を詰めて、京都旅行。中山道を歩いての旅行の様子は山本志乃『団体旅行の文化史 旅の大衆化とその系譜』を読んだ後だったので、実に興味深い。そして、京都での衣装合戦、嵐山の花見の様子など、京都の人に負けまいという江戸っ子の意地を顕示。花見の席で食べた弁当につけた割り箸が下流に流れてきたら、もう捨てる以外どうしようもない割り箸の一本一本に蒔絵細工がほどこされていた、という部分がすごく印象的で40年以上記憶に残っていたのだが、そこ以外も見どころ沢山。
お峰がこうして京都で大評判を起こし、その噂が一足先に江戸に戻ったことで、真砂屋の名が大名たちの間にも知れ渡り、七郎兵衛は大名たちからの借金の要請を次々と受けることになる。その対応のリスクヘッジぶりも、最後まで読むと驚きしかない。自分の物でない巨大な財産をこのようにうまくさばく、若夫婦の頭の良さが気味悪いくらいである。
江戸に戻ったお峰は、最後に大奥のトップである上臈、姉小路様に挑戦状を叩きつける。そしてカタストロフィ。中学生だったわたしには「勿体ない」としか読めなかったそのカタストロフィは実に胸のすくものではないか、と、五十代のわたしは思う。大店の看板などない方が、好き合っている若夫婦には幸せなんだ、という、ハッピーエンド。

小佐野さんも「『親ガチャ』大当たり」を自称する裕福な家庭の出身であり、自分の身についていないバックグランドを、なんらかの形で発散する、という部分が、予想以上に『真砂屋お峰』に近かったではないか、と、読み終わってみて感じた。

予想以上に爽快な読書体験であった。


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