敦

言葉の檻のなかで吼えている獣 中島敦の詩的遍歴 #2「狐憑」

動物の歌

 河馬の歌
うす紅くおほに開ける河馬の口にキャベツ落ち込み行方知らずも
 駱駝
生きものの負はでかなはぬ苦悩(くるしみ)の象徴かもよ駱駝の瘤は
 駝鳥
何処やらの骨董店の店さきで見たることあり此奴の顔を
 ハイエナ
死にし子の死亡届を書かせける代書屋に似たりハイエナの顔は
(「河馬の歌」より)

今回も中島敦の歌からはじめましょう。動物園でも見に行ったのでしょうか。
他にも狸だとか黒豹だとか孔雀だとか縞馬だとか梟だとかいろいろといるわけですが、なかなかの乱暴を働いている歌ですよね。駝鳥をみて、「こいつ骨董屋で見た顔だな……」ですからねえ。かなりお茶目な感じだったのでしょう、敦くんは。

とういう冗談はさておき、僕はこの動物への共感と眼差しにはちょっと思うところがあります。これも李徴が虎になってしまうという話ありきですが、どうも敦は獣どもに「人間」を見ている節がある。詩人の成れの果てが何にふさわしいのか、そういう品定めでもしているような、というのは勘ぐりすぎですが、敦は「山月記」などを書いたあとはあまり人間を書かなくなります。芥川も死ぬ間際に「河童」を書いたように、空想上の生きものを書いていく。中島敦版「西遊記」とも言える「悟浄出世」などはまるきり沙悟浄の話ですから、死を直感すると河童を書く気になるのでしょうか。こういう作家同士の共感はとてもおもしろいですね。

動物をはじめとする獣どもへの共感と、人にあらざるものを書いていく敦。そして、その人にあらざるものに、「人間」を見ようとする。そういう「癖」のようなものを追いかけてみたい。

李徴が虎になったわけ

今回は「狐憑」という作品を読もうとしていましたが、回り道をして「悟浄出世」の一節を読みましょう。

 何故、妖怪(ばけもの)は妖怪であって、人間でないか? 彼等は、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡(つりあい)を絶して、醜い迄に、非人間的な迄に、発達させた不具者だからである。或るものは極度に貪食で、従って口と腹が無闇に大きく、或るものは極度に純潔で、従って頭部を除く凡ての部分がすっかり退化しきっていた。彼等はいずれも自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどという事を知らなかった。他人の考の筋道を辿るには余りに自己の特徴が著しく伸長し過ぎていたからである。(「悟浄出世」)

……これ、李徴のことだよなあ……。なぜ李徴は虎になったのか? と言えば、「自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡を絶して、醜い迄に、非人間的な迄に、発達させた不具者だからである」と。なるほど、「非人間的」なまでの詩への執着が、彼を虎にしたのだなあとあらためて思う。そして袁傪が、「第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠ける所がある」というのは、ああ、「自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどという事を知らなかった」からなのかとも思われてくるわけですね。このあたりは、「山月記」読めば書いてあるわけですけれども、再び同じようなテーマが「悟浄出世」でも出てくるということに敦の「執着」もうかがえるというものです。

ここで先に「悟浄出世」を紹介したことには、それなりに意味がありそうです。何から書き出そうか迷って、いつのまにか「悟浄出世」の話を始めていましたが、どうやらこれから話すことが、どれも「悟浄出世」に収斂していくような気がします。そろそろ能書きはやめて、今回の本題に入っていきましょう。

「狐憑」を読む

それでは、僕たちはこれから紀元前1000年頃まで遡り、古代ペルシャ的な世界観のなか、「狐憑」という作品を読んでいきましょう。

 ネウリ部族のシャクに憑きものがしたという評判である。色々なものが此の男にのり移るのだそうだ。鷹だの狼だの獺だの霊が哀れなシャクにのり移って、不思議な言葉を吐かせるということである。(「狐憑」)

冒頭部分です。このシャクという男が主人公です。よくこんな「ネウリ部族」なんていうものを敦も知っていたなあというところですが、この部族は野獣の襲撃を避けるために湖上に家を建てて住んでいるようです。しかし、あるとき、野獣ではなく北方からの遊牧民ウグリ族が襲撃してきまして、多くの人が命を落としました。それも、頭部と右手を斬りとられて。どうやら頭部は髑髏杯にし、右手はどうするのかわかりませんが、皮を剥いで手袋にするのだそうです。なんとも野蛮な遊牧民だ。

命を落とした「ネウリ部族」のなかに、シャクの弟がいました。頭と右手を失くした弟の屍体を見つめるシャク。しかし、「其の様子が、どうも、弟の死を悼んでいるのとは何処か違うように見えた」そうです(これもなんだかわかる。あらゆる人生の細事も作品に仕立て上げようとする作家や詩人の……おっと、フライングだ)。そして、その後まもなくのことです。シャクは妙なうわごとを言うようになりました。

 今迄にも憑きものをした男や女はあったが、斯んなに種々雑多なものが一人の人間にのり移った例はない。或時は、此の部落の下の湖を泳ぎ廻る鯉がシャクの口を仮りて、鱗族(いろくず)達の生活の哀しさと楽しさとを語った。或時は、トオラス山の隼が、湖と草原と山脈と、又その向うの鏡の如き湖との雄大な眺望について語った。草原の牝狼が、白けた冬の月の下で飢に悩みながら一晩中凍てた土の上を歩き廻る辛さを語ることもある。(「狐憑」)

村人たちは弟デックの魂がのりうつったのではないかと思うようになりましたが、おもしろがって聴いていると、だんだんとこうした動物の話をはじめるので、これはシャクが考えてしゃべっているのではないかと思うようになりました(なるほど、だからあれほど動物の歌を書いていたのか)。ここでシャクが何をしているのか、ということについてはもう言うまでもありません。

斯うして次から次へと故知らず生み出されて来る言葉共を後々迄伝えるべき文字という道具があってもいい筈だということに、彼は未だ思い到らない。今、自分の演じている役割が、後世どんな名前で呼ばれるかということも、勿論知る筈がない。(「狐憑」)

それは「詩」であり、「文学」である。となれば、このシャクの物語というのは、詩人が辿る運命を描いたものに他ならないわけですね。続きを読みましょう。

詩人は喰われる運命

聴衆はどんどんと増えていき、シャクは次々に語る。森の夜の怪物や、草原の若い牡牛の話などを。すると、若い村人たちは話に聞き惚れて、仕事を怠るようになりました。(これもわかりますねえ。「詩」や「文学」に心をとらわれたことのある人ならば、何よりもこの愉楽に身を投げたくなるものです。なぜ、この書物を読まずに、こんな仕事をしているのか……。)となれば、このシャクという存在を疎ましく思う勢力も出てくるわけです。それは部族の長老たちに他なりません。(会社のお偉いさんは文学に熱中するあなたをあまりよくは思ってはいないはずだ。)

シャクの話は、だんだんと人間社会の話をするようになってきます。動物の話では聴衆たちは満足できなくなったからです。美しく若い男女の物語、吝嗇で嫉妬深い老婆の話、禿鷹のような頭の老人が若い者と張り合って美しい娘を得ようとして敗れた話……。もはやこれはゴシップですね。これもよく、わかり、ますね。「消費」されると、大衆的になり、そのニーズに合わせていけば……という、言ってみればありきたりな世のならいです。中島敦は、同時代にこんな仮想敵のようなものがいたのでしょうか。

さて、そんなゴシップの元ネタであると自覚する長老は、シャクを疎むようになり、奸計をめぐらせました。そこで、シャクが話ばかりして、「村の仕事をしないこと」に村人たちの注意を向けようとしました。釣りもしない、馬の世話もしない、森の木を伐らない、獺の皮を剥がない、誰かシャクが仕事をするのを見たことがあるか? すると、村人たちはたしかにそうだと思い、シャクを野に出して働かせました。すると、みるみるシャクは憑き物が落ちたように何も話せなくなっていきます。かといって、働く意欲もわかないので、シャクは何もできなくなっていきます。……書いていて悲しくなってきましたので、もうあとは、原文を引用しましょう。というか、はじめから全文引用したかったくらいだ。

丁度雷雨季がやって来た。彼等は雷鳴を最も忌み恐れる。それは、天なる一眼の巨人の怒れる呪いの声である。一度此の声が轟くと、彼等は一切の仕事を止めて謹慎し、悪しき気を祓わねばならぬ。奸譎な老人は、占卜者を牛角杯二箇で以て買收し、不吉なシャクの存在と、最近の頻繁な雷鳴とを結び付けることに成功した。人々は次の様に決めた。某日、太陽が湖心の真上を過ぎてから西岸の山毛欅(ぶな)の大樹の梢にかかる迄の間に、三度以上雷鳴が轟いたなら、シャクは、翌日、祖先伝来のしきたりに従って処分されるであろう。
 其の日の午後、或者は四度雷鳴を聞いた。或者は五度聞いたと言った。
 次の日の夕方、湖畔の焚火を囲んで盛んな饗宴が開かれた。大鍋の中では、羊や馬の肉に交って、哀れなシャクの肉もふつふつ煮えていた。食物の余り豊かでない此の地方の住民にとつて、病気で斃れた者の外、凡ての新しい屍体は当然食用に供せられるのである。シャクの最も熱心な聴手だった縮れっ毛の青年が、焚火に顏を火照らせながらシャクの肩の肉を頬張った。例の長老が、憎い仇の大腿骨を右手に、骨に付いた肉を旨そうにしゃぶった。しゃぶり終ってから骨を遠くへ抛ると、水音がし、骨は湖に沈んで行った。(「狐憑」)

ああ……、食べられてしまった。オルフェウス神話でも最期に八つ裂きにされてしまうわけですが、藝術の神とは、かくなる運命をたどるのか。

ホメロスと呼ばれた盲人のマエオニデュスが、あの美しい歌どもを唱い出すよりもずっと以前に、斯うして一人の詩人が喰われて了ったことを、誰も知らない。(「狐憑」)

このシャクという人物は、まさに「詩人」でした。弟を亡くしたことをきっかけにしてうわごとのようなものを話しはじめる。詩や物語を紡ぐということは、まさに「憑物」がしたようなことなのだ。そして、その行為自体の愉楽にさえも取り憑かれて、さらには聴衆もその言葉に夢中になっていく。人生の何事にも手がつかなくなる。あらゆるものが「詩」になっていく。あらゆるものが「詩」を求めていく。はじめはそうした純粋な行為であったものが、次第に聴衆のニーズによったものになっていく。シャクは話をする代わりに食料などをわけてもらっていたようであるからして、「ビジネス化」していくこととなる。それは「詩人」の「大衆化」に他ならない。「詩人」は「消費」される。すると、「詩」は単なる「ゴシップ」へと変貌していく。やがて「憑物」が落ちたように精彩を欠いた言葉しか紡げなくなった「詩人」は用済みとなり、「聴衆」であったものたちによって喰われてしまう。

言葉に取り憑かれたばけもの

この「詩人」の「運命」はまさに今日的な作家の在り方でもありますから、いま読むことにとても意義のある小説であると思います。が、問題は「消費」されるということよりも、この「言葉」に憑かれた、「詩」に憑かれた人間が、どういう扱いを受けるのか、そして、このようにしか生きられないという「詩人」自身の悲哀を見たほうがよさそうです。ひたすらに言葉を紡ぐこと。それは、人間社会においていったいどんな価値のあることなのだろうか。なぜ、こんなにも「言葉」に取り憑かれて生きるのだろうか。こうして、いまも僕は仕事もよそに、夜遅くに、このような「一銭」にもならないものを書いている。そして、中島敦の小説などという「お金」の生み出し方の一つも書かれていない本を読みつづけている。なぜ、こんなことをしているのか、しなければならないのか、せずにいられないのか。他にも実利的な愉しみはいくらでもある、にもかかわらず、だ。

にもかかわらず、それをやめないということは、もう自分の意志だとかそういったものとはもはや関係のないものとして、「憑物」がやらせているとしか説明ができない。「詩人」以外の人間からすれば、こんな奇怪な行為を粛々とし続けている人間はまさに「妖怪(ばけもの)」のように見えるだろう。しかし、それでも。それでも。「死んでも死に切れないのだ」。

そんな理屈でないところに、敦自身の作家としての苦悩と言いますか、作家としての自意識の異様さそのものが語られている作品が「狐憑」であったように思います。ですから、「狐憑」という作品は、詩人の運命が描かれ、さらには「そうある」ことしかできない敦自身のアティチュードのようなものが描かれているように思います。これだけでも、「山月記」は、また違った視点で見えてくることでしょうか。

そして、これを書いていると「山月記」を語っているような気にもなり、中島敦を語っているようでもあり、そもそもこれは僕の言葉なのではないかと思えてくるから不思議ですよね。全文引用して、僕の言葉ですと言いたい。(なんだか、そういうところにも、敦の視線は向かっているなあと思います。この読者というより、「書き手である読者の書き手としての自意識」をハッキングしてくる感じ……なんだか危険な感じがします。罠だ……。)

さ、長くなりました。それでは、次回は「木乃伊(みいら)」です。これは、「読む」「わかる」とはどういうことか。という話になるかと思います。またお会いしましょう。

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