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vol24 「本当にやりたいこと」なんて、存在しない

  • 本当の自分

  • 本当の想い

  • 本当にやりたいこと

こういった「本当」という言葉には、どういった意味が隠れているのだろうか。本当が存在するということは本当じゃない、偽物が存在する。右があるから左があるように、本当が存在するということは、偽物が存在する。

では、その「本当」とは何だろうか?
果たして、そんな「本当の何か」は存在するのだろうか?
絶対的な神が存在するように、人生において揺らぐことのない存在はあるのだろうか?

「本当のやりたい事が分からない・・」


こういった悩みを持った事がある人は少ないないだろう。どこか自分の考え、感覚に対し納得感を持てない。実は自分の気付いてない、壮大で、素晴らしい、誰に何を言われようとも揺らぐことのない「本当のやりたい事」があるはず。いまはそれが見つかっていないだけ。

この「本当」という言葉の裏には、何か壮大で不動の真理が隠れているのではないかと期待する感情があるように思う。時間をかけて考えれば、気付くだろう。

「そんなものはない」と。


何か絶対的で、揺るがないものは存在しない。常に何らかの変化をし続ける。変化しつつ、形を保っている存在はある。たとえば人間がそう。原子レベルでは変化しているが、人間という生物としての形は保っている。福岡伸一さんはこの状態を動的平衡と呼んでいるが、これも同じだろう。本当の人間の姿なるものはなく、動的で、常に変化しつつ、それでも何らかの形を保っている、そういった存在が人間なんだと思う。他にもギリシャ哲学者ヘラクレイトスもこんな事を言っている。

誰も同じ川に二度と入ることはできない

僕たち人間が認識できるものは、すべてそういった存在に思う。

  • 自分

  • やりたい事

  • 思想

  • 認識

など。

当然、スマホやパソコンなど無機物は対象外だ。しかし、そういった無機物を知覚する人間側の認識自体は動的な存在だろう。そういった意味で、僕たち人間が見ている世界自体は常に動的で、それでも何らかの形は保っている存在、そんな風に思う。

そう考えたとき「本当の何か」を探し求める時点で間違っているのではないか。この言葉の裏には、揺るがない、絶対的な「本当の何か」が存在するという信念がある。ただ、そんなものはない。本当の何かを探すのは、宝のない宝さがしをするようなもの、ハナから見つかる訳がない。

では、どうするべきか?そんな質問も出てくるだろう。そのため、僕の意見も最後に記載しておく。

まずは「本当の何か」なんて存在しない、不変で絶対的な信念なんて存在しないと考える。そのうえで、いま自分が感じていること、考えていることに意識を向け、認識する。ただそれだけだ。いま自分が感じている信念は将来変わるかもしれない、1秒後は異なっているかもしれない。でも、別にそれでもいいのではないか、そんな余裕を持ち自分と向き合う事が大事だと思う。

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