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時計じかけのフルメタル・ガンプ

人と違う感性を持っていると思われたくて『フォレスト・ガンプ』を見たことがない。もちろん、馬鹿げた意地だと分かっている。

『Run ! Forrest! Run!』

作中に出てくるこの名シーンを、僕は見た事が無い。なぜ知っているかというと『フォレスト・ガンプごっこ』なるものが流行ったからだ。なので、使った事はある。先頭に遅れをとっている全ての人を『フォレスト』と呼びつけにし、走らせていたのも、その時期だ。

実際、誰が何の目的で、フォレストを焦らせているのか、なぜフォレストは走らなければならない程、遅れをとったのかは、2024年現在、不明である。

そんな僕が『映画が好き』と言って良い訳が無い。



僕が映画にハマったのは、ある『恋』をしたからだ。

当時、20代前半の僕の世界は、『センス』が価値観の全てだった。目に映る全ての物を『センス有り』か『センス無し』に分ける『(自称)センス御意見番』として、肩で風を切って歩いていた。

社会人5年目の同僚が、まだリクルートスーツ着ていたので、捕まえて来て『ダサい』と認定したり、カラオケに行ったらトイストーリーの『君はともだち』ばかり歌う同僚を捕まえて来て『ダサい』と認定したりしていた。その当時の、僕の瞳孔の開きっぷりったら、無かったと思う。

とにかく、世界を二分した。

『ダサい』か『ダサくない』かで。



現実世界で嫌われて行くので、僕は、今でいう『マッチングアプリ』ようなものを始めた。人肌が恋しかったのだ。

そこで1人の女の子と出会った。

彼女とは、センスの感覚が、かなり近いように思えた。次第に仲良くなって行き、『戦国武将ごっこ』をして遊んだ。

僕が羽柴秀吉に扮し『ワシが生きとった頃は、娯楽は何もなかった。どうじゃ、そこの若い人、外も寒かろう、ワシが草履を温めて差しあげよう』とLINEを送ると、彼女は大塩平八郎になった。

大塩平八郎は『飢えにあえぐ民衆たちを救うために、私利私欲を肥やしていた豪商を襲い、金銭や米を奪った帰りである』と言う。

僕が草履を温めようとしても『追われている身ゆえ』と、一向に席に着こうとしない。正義感が強い人だと思った。

この糞のようなノリに、正確にエイムを合わせて来るとは。『なんてすごい人なんだ』と思った。ますます意気投合した。そして、様々な会話をした。大塩平八郎の中身の彼女は、『アメリカに住む2つ上の女性』だと言う事が分かった。

僕は、大塩平八郎に恋をした。




『大塩平八郎の乱』の時点で分かっていたが、彼女には『センス』があった。

2人の会話も密になって行った。時には『真田幸村と武田信玄』として、色恋に燃え盛っている男女を揶揄し『戰を起こそう』と決起したり、時には『徳川家康と本田忠勝』として『主従関係ごっこ』に勤しんだりもした。

そして、たまに、お互いの話をした。

お互い『音楽』が好きだった。様々なジャンルの音楽で盛り上がった。嫌いな曲も似ていた。そして、2人とも『フォークソング』が好きだった。森山直太朗の曲で一番好きな歌が『レスター』だった。また、揃った。そんな人と出会った事がない。

彼女の事を、どんどん好きになって行った。



彼女は『映画』が好きだった。

僕は、映画をほとんど見た事が無い。興味も無いし、むしろ苦手だった。2時間集中するもの大変だし、記憶力も無い。そして何より、小さい頃、連れて行かれた映画館で、大画面に映る『カオナシ』が、カエルを食した途端、デカくなり、ツルツルテカテカで追いかけてくるシーンが怖すぎた。今でもトラウマである。おそらく家族もそんなに興味が無かったのだろう。唯一、実家にあったVHSは『タイタニック』だった。子供心ながら思っていたのは『船が沈没する映画が何で面白いんだよ』というツッコミだった。

そんな話を彼女にしたら、好きな映画をおすすめしてくれた。

オススメされた映画は『フルメタルジャケット』だった。

今なら分かる。映画を見ない男におすすめする映画が、『ケツの穴でミルクを飲むまでシゴき倒すぞ』と言う、英語圏にしかピンとこない罵詈雑言が飛び交う軍隊映画で良いわけがない。相当クレイジーである。

彼女のそんなところが好きだった。



『この子ともっと映画の話がしたい』

僕の生活は『映画』が中心に回り始めた。

そこから1年間、足蹴なく『ゲオ』に通った。どこに何のジャンルが置いてあるか、新作が準新作に降りてくるタイミング、陳列が変わった日。目を瞑って歩けるほどに、店内を把握していた。

1年で、200本以上の映画をみた。


そして、彼女との連絡を絶った。





映画にのめり込めばのめり込む程、彼女の事を好きになって行った。

それが、怖かった。

当時は『マッチングアプリ』などと言う言葉すら無く、『出会い系』と呼ばれていた。当然、不純な響きにしか聞こえなかった。今思えば、彼女に話したら『そんなの関係ない』と言ってくれたはず。でも、僕は真剣になる勇気すら持てなかった。

『出会い系で付き合ったんだ、あの2人』

そう思われるかも、と思うと怖くなった。

傲慢な考え方だ。



僕は、いつもそうだ。周りを気にして、何かを決める。映画が好きになったのもそうだ。結局、自発的に好きになったものじゃない。

映画を見ていて『楽しい』と思えたのは、彼女との会話に加え、

『え?何その映画、聞いたことない!』
『遠藤って相当映画見てるね』
『遠藤におすすめしてもらった映画は間違いない』

そう言ってもらえる事だけだった。

実際、内容をほとんど覚えていない。誰かとの会話の為に見る映画。迎合するために見る映画。必死にメモを取りながら見た。

物事を始めるのは、いつもそんな理由だ。

サッカーを好きになった時も、音楽を好きになった時も。

理由は常に、周りとの空白を埋める為だった。

映画すら、好きになる覚悟がなかった。




僕は自分と、本物の映画好きとの距離を測る為に『時計じかけのオレンジ』を見た。

これっぽっちも理解できなかった。

映画の途中に出てくる『ナッドサット言葉』に興味を全て持って行かれて、内容が何も入ってこなかった。

見終わってから約1ヶ月、友人との間でナットサット語が流行った。『トルチョック』と『マンチー・ウンチング』が流行した。(意味は『トルチョック=殴る』『マンチー・ウンチング=食べる』である。)


僕はなぜ『映画』を見ているのだろうか。




彼女は世間とズレている僕を

『Run ! Forrest! Run!』

そう呼んでくれていたのかもしれない。

(そんなわけない)

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