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えなりんご、という人。

はじめまして。フリーランスで広報PRをしています、えなりんごです。

文章を書くのは昔から好きでしたが、身分を明かして(どんな覚悟だ)自分から何かを発信するのに苦手意識があったのか…こういう類のものは敬遠してましたが…

広報PRとしての経験値を上げるために、noteを始めることにしました。

さて、記念すべき初回ということで自己紹介をしてみます!ちなみに「えなりんご」はTwitterでのお名前。覚えてもらいやすいかな~と深く考えずにつけましたが、Twitter経由で知り合った方々に「えなりんごさん!」と呼ばれるたび、少し恥ずかしい気持ちと「呼びにくいだろな~」という申し訳なさを感じる今日この頃…

ということで、noteでは本名で発信していきたいと思います!

わたしの経歴

名前:奥野絵里奈(おくのえりな)

出身:大阪府羽曳野市

今は無き藤井寺球場の近くで近鉄ファンとして幼少期を過ごす。近鉄vs巨人の日本シリーズを電気屋さんのテレビで観ていた時、近鉄が負けた瞬間、大号泣したので迷子と思われ保護されそうになった経験あり。

家族構成:3人きょうだいの末っ子

公務員の父と教師の母、年の離れた兄、3歳上の姉に揉まれ、世間の矛盾や理不尽を学ぶ。3歳上の姉がとにかく怖くて(今は仲良し♡)勝つ方法を考えては実践して玉砕する。結局一度も勝てなかったな~…

小・中学生時代

小4で引越しを経験。実家がマンションから一戸建てにグレードアップし初めての自室を獲得!ウキウキして転校生をスタートするが馴染めずすぐに不登校を開始。見かねた母に勧められ中1から田舎の学校で寮生活、中3(2学期)に地元中学に復学、卒業。

高校~大学時代

普通高校(女子高)に進学。友達と遊び、恋をして、アルバイトに精を出す。目指していた「どこにでもいる普通の女子高生」になる。高卒ですぐに家を出たかった(理由はまた、いつか)ので、実家から2時間以上かかる大学を探し、進学。一人暮らしを開始し、人生で初めての自由を手に入れる。高校在学中に2回(NZ)、大学在学中に1回(USA)短期留学の経験あり。

大学卒業後

大学3回生の時に婚約、卒業後に結婚。2008年10月に長男出産、2010年1月に長女出産。紆余曲折あって2012年2月に長男(3歳)と長女(2歳)を連れて家出、2012年10月に離婚成立。

シングルマザー、広報になる

幼子を連れて27歳で社会人デビューするという無謀な挑戦も、たくさんの方に教えられ、育てられ、支えられ、無事30歳で正社員に。たまたま広報の職に就きました。未経験・ひとり広報だったので、ひたすらネット検索→セミナーや交流会に参加→誰彼構わず名刺交換を繰り返して仕事を理解していきました。当時は経営企画と広報PR・IRを兼務していたので、仕事は超激務!子育てとの両立に悩みながらも「子どもたちを一人で育てあげる」という目標に向かってただただ必死に働いていました。財務帳票が読めず決算文章を一人で書けないのが悔しくて簿記試験を受けたのもこの頃。

未婚の母になる覚悟。

社員登用から半年、予想外の妊娠。離婚後ずっと傍で支えてくれていた大好きな彼との子ども。産むことへの迷いは1㎜もなかったけれど、絶望に近い不安に襲われたのも、また事実。彼との関係や上の子たちの状況を考える中で「再婚する」「一緒に子育てをする」という選択肢は私の中になく「本当に一人で3人を育てられるのか」と考えても答えの出ない迷路の中へ…社員登用してくれた会社にどう報告していいかもわからず、上長と個室に入った途端泣き出して社内いじめを心配される始末…このとき上司に「めでたいことで泣くな。迷惑をかけると思うなら、産んで戻ってきて仕事で返せ」とドラマのような言葉をかけてもらい、さらに号泣。

今までもこれからも、すごく感謝しています。

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驚異的にかわいくて出産までの不安をすべて吹き飛ばしてくれた3人目、と驚異的に映りが良かった私♡

シングルマザー×未婚の母、家を買う。

3人目の出産でそれまで住んでいたハイツが手狭になったこと、当時の会社の経営方針や社長の考え方に違和感があって5年10年長く居るとは考えていなかったこと、諸々考えた結果、上場会社の正社員でいるうちにローン組んじゃおう!と中古戸建+フルリノベーションでマイホームを購入する。

広報を自分の一生の仕事にする!と決めた日

あるセミナーで出会った人に今世紀最大の衝撃を受ける。その方は広報職ではなく人事職で役員を務める女性。会社が好きで、会社で働く人が好きで、ステークホルダーみんなでHAPPYになろう!的な…(こうして文字にすると伝わらないな)一瞬で話に引き込まれ、魅了され、この会社で働きたい!この人と働きたい!次からこの会社の商品を選びたい!と心を奪われた。

広報の仕事は「ファンをつくること」

それを体感して、自分が目指すべき姿がそこにあると気づいた日。

えなりんご、誕生

企業広報として公に個人アカウントを活用してみよう、とTwitter開設。奥野絵里奈じゃあまりに堅いので昔からのあだ名「えなり」とアレルギーで食べると死んじゃう「リンゴ」をかけて「えなりんご」が誕生しました。Twitterで広報さんはじめ、たくさんの方に出会えてこれまでの日々は何だったんだろうと思うくらいに刺激と学びが多い日を過ごしています。

これからのnote、広報としての発信

これまで広報としてやってきた7年間を自分の中に置いておくのは、もったいない。今日もまた、どこかで新米広報さんが誕生し、半泣きになりながら(考えすぎ?^^;;)ひとりPCに向き合っているかもしれない…私の経験がどれほどのものかはわからないけど、私にしか発信できないことがきっとあるはず。これまでのこと、これからのこと、経験や想いを少しずつ発信していきたいと思います。

また、子育て×仕事のこと、全力で向き合い一緒に泣いて笑って育つ私と子どもたちの話も、たま~に発信していきます。


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