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現代美術のアーティスト、平面と今はガラスと鉄、麻などを組み合わせた作品を制作中。 ジャ…

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現代美術のアーティスト、平面と今はガラスと鉄、麻などを組み合わせた作品を制作中。 ジャズ歌いとして時々ライブをしています。

最近の記事

お能はエンターテイメントではない!

先日お能を見てきた。 演目は「松風」あの世阿弥のお父さん、観阿弥の作。 まあ、長いこと長いこと。 いつも以上に眠気におそわれ何度もコックリをしてしまった。 そんな中、これからやっとシテが立ち上がって舞を舞う、というまさに直前、隣に座っていたスタイリッシュな姿のアフリカ系のカップルが席を立って出て行ってしまった。 まあ、それも仕方ないなと思った。 とにかく動きが少なく延々と説明的な謡が歌われる。 座席の前に字幕のパネルがあって英語でも内容はわかるのだけれど。 去年か

    • 新しい生き方の提案?〜パーフェクトデイズ

      TVの番組で人口減少時代の再開発、という話題をやっていた。 建築物の老朽化や廃れた街の活性化のために日本全国の地方都市で再開発の計画が進んでいるという。 そのほとんどは高層ビルを建てる計画なんだそうだ。 ところが、現実には、今、東京のオフィスビルでさえ空室率がかなり上がっていて、湾岸エリアでは浜松町の13%超えを含め10%を超えるという。 アフターコロナで働き方が変わり広いオフィスの需要が減ってきているということだろう。 しかも建築資材の高騰もあって、その地方の再開発は当

      • ヌーソロジー「見られる自分」から「見る自分」へ〜人は創造したい生き物

        新年に入り、秋の個展に向けて制作に熱が入りかけていたところで、突然前にはまっていた編み物熱が再燃して、1週間近くカーディガンを編んでいた。 自分でもせっかく制作が軌道に乗りかけていたところでなんでこんなことをするんだ?と自問自答しながらも、どうしても仕上げるまでは止まらず。 しかもパーツを継いで形までできてあと一歩、前のボタンをつけるところを編めば仕上がるというところで、デザインが気に入らなくなり、どうしても全部ほどいて一から編み直したい衝動に駆られたのだった。 結局編

        • あなたは私、私はあなた

          これまで色々本などを通じてこの世界の仕組みを私なりに勉強してきた。 哲学にしても宗教にしても、学ぶということはただ頭で理解することではなく、その語られていることを自分の身体や感情を通じてその通りだ、と経験したときに初めてそれを理解したことになるのだと思う。 「この世界は自分で創っている」や、「あなたは私、私はあなた」ということなど、はじめのうちはそうなんだろうねえ!と頭ではわかったつもりになっていても、実際に事故に遭ったりすれば、なんでこんなときにこんな目にあっちゃうの?と

        お能はエンターテイメントではない!

          言葉にした願いは叶いやすい

          今年の初日の出もとても美しかった。雲も少なくて見える限度の一番下から上がるのが見えたので、本当に輝かしい太陽だった。 太陽は毎日出ているのだから、毎日朝日は拝めるのに、一年に一度、初日の出しか見に行かないのももったいない気もする。 去年の終わりにガラス関係の道具を入れている引き出しの中に薄いノートを発見した。なんだろうと開いて読んでみたら、なんと私が2019年の3月11日から8月27日まで綴った日記(?)のようなものだった。日記というよりも自分の考え方を更改しようという意図

          言葉にした願いは叶いやすい

          これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ!(3)〜ヌーソロジー

          現代人の空間はいかに貧相でみすぼらしくなってしまったことか。こりゃ骸骨だよ。科学的世界観に催眠術をかけられて、命が生きている空間を見えなくさせられてしまっている。その空間を取り戻さないと、きっと、世の中は何も変わらないと思うよ。3次元空間だけの世界ってのは、結局、骸骨をいくつ集めたかを競い合うような世界なんだよね。 ヌーソロジーを提唱している半田広宣さんのサイトからの引用だ。 ヌーソロジーは半田氏本人の説明によれば 物質と意識を統合する 意識物理学から生まれた新たな理論

          これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ!(3)〜ヌーソロジー

          これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ!(2)〜日本人の宗教観

          日本人の宗教観 日本人は宗教的ではないと言われることもよくあるけれど、それは明治から後、あるいは戦後の西欧化近代化が進んでからのことだ。 キリスト教などのように一神教ではないけれど、日本人の宗教観はアニミズムと神仏習合が合わさったようなもので、近代化以前はすべてのものに神は宿るという考えをベースに宗教的に生きてきた人がほとんどだったと思う。 その文化的ベースは表面的な西欧化近代化が上書きされても基調は変わってはいないのではないか? 私は基本見えないものを信じない、とい

          これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ!(2)〜日本人の宗教観

          これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ(1)〜ダークマター・ダークエネルギー

          少し前に図書館で「死は存在しない〜最先端量子化学が示す新たな仮説」(田坂広志著)という本を借りて読んだ。 直感的に興味は持ったものの、死は存在しない、というタイトルから買うのは迷って、とりあえず図書館で借りてみようと思ったら100人以上の予約が入っていた。 かなりの時間が経ち忘れていた頃にようやく順番が回ってきた。 読んでみたら、死は存在するか、という問題よりも、これまで宗教やスピリチュアルで語られてきたことを最先端の量子化学で説明するとどうなるか?という話だった。 著

          これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ(1)〜ダークマター・ダークエネルギー

          自分を赦したら嫌いな人が消えていった

          私はこの10年あまり、自分を変えようと思ってきたけれど、その中でも特に自分を赦すというのは大きなテーマだった。 そうした中少し前に、自分の全てを肯定してみる100日というのを自分で設定してみたこともある。これもずいぶんと効果があったみたいで、自分で自分が嫌だなと思うことを受け入れて赦す習慣が強化された気がしている。 そしてそのことで自分が変わった、と思える「証拠」を見つけたのだ。 私の若い頃からデビューしていまだに人気を誇るあるシンガーが基本あまり好きではなかった。 そ

          自分を赦したら嫌いな人が消えていった

          アドラー心理学から学ぶー幸せに生きるための具体的な方法論

          「嫌われる勇気」という本を久しぶりに読み直した。 私はこの本が出て話題になった2014、5年当時は全く手にとってもみなかった。世間であまりに話題になって、アマノジャクな私は、きっと人目を気にしすぎる日本人に対して、人目を気にしないで生きよう、という本かと思ったのだ。 平均的な日本人に比べたら人目を気にしないで生きてきたので、私には必要ないと勝手に思い込んだ。 それがあるときふと目に止まり、あんなに評判になった本だからと読んでみて大変な衝撃を受けた。とんでもない勘違いをしてい

          アドラー心理学から学ぶー幸せに生きるための具体的な方法論

          人間社会の声より宇宙原理の声ー発達障害と呼ばれる人が有利なこと

          これまで発達障害というキーワードからの記事に始まり、ありのままの自分を受け入れることが自己肯定感を上げ、幸福度を上げるのに役立つのではないか、という仮説を書いてきた。 ただ、このありのままの自分を肯定することと今の自分のままでいることは別の話だ。 ありのままの自分は実際には、エゴにまみれ、いろんな規範や記憶に縛られている存在だ。 そのままで何もしなくて幸せに生きられるということはないと思う。 それに、今の自分をただ頭で肯定したところで、感情的に自分を許せなかったり、落

          人間社会の声より宇宙原理の声ー発達障害と呼ばれる人が有利なこと

          自己肯定感が上がれば幸福度が上がる

          この前のWBC決勝戦前の大谷の言葉! 「僕から一個だけ。憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見ればマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていたら誰しも聞いたことがあるような選手たちがいると思う。憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。」 自分に肯定的になる努力を重ねてきた大谷だからこそ言えた言葉

          自己肯定感が上がれば幸福度が上がる

          発達障害と呼ばれる人が自己肯定感を低く抑えられている件

          ここまで発達障害という言葉をキーワードに4篇の文章を書いてきた。書いているうちに、いかに私も含める発達障害の範疇に入れられる人たちが狭い社会の価値観の中で自己肯定感を落とされてきたのか改めてふりかえっている。 話が長くなりそうだから結論から先に言っておこう。 発達障害と言われてきた人たちが自己肯定感が低くなりがちなのは、戦争中に素地が作られ、戦後にも強化され続けてきた、一億総なんとやら、という総動員的な日本の在り方が大きく関わってきたのではないか、というのが私の仮説だ。

          発達障害と呼ばれる人が自己肯定感を低く抑えられている件

          発達障害から非定型発達へ、そして生命と調和して生きるということについて

          発達障害の話をここまでの3編で発達障害という言葉で括られる社会に適応しにくい人たちを「障害」とするのは大量生産大量消費時代の必要から来ている、という論点から語ってきた。 私は資本主義や大量生産の全てを否定しているわけではない。もちろん自分もその恩恵を大いにこうむっている限り安易に批判などできないと思う。 百均には散々お世話になっているので。 100年前に比べたら日常生活が送ることができる社会では餓死する人もほとんどいないし、着るものも生活雑貨も大方の人が不自由しなくなってい

          発達障害から非定型発達へ、そして生命と調和して生きるということについて

          発達障害は人類を救う

          だいぶ大袈裟なタイトルにした。 発達障害という言葉について二つの記事を書いてきた。 この記事もその続き。 人類を救うかどうかは本当はわからないけれど、そのくらいの気概があってもいいかなと書いてみた。 今環境の破壊による地球の危機が叫ばれているけれど、危機なのは地球というよりは人類の存亡の危機なのだと思う。 人類が滅びればこの地球はあっという間にその時なりの自然を回復して何事もなかったように存在していくだろう。 人類は長い時間をかけて他の動物とは一線を画する社会を築いて

          発達障害は人類を救う

          発達障害という言葉は誰のためのものか?

          前回の記事で発達障害という言葉は大量生産大量消費の文化の中で生まれたものじゃないか?ということを書いた。 これをもう少し掘り下げてみたいと思う。 このことをもう少し直接的に表現するならば、発達障害というラベルを人に貼る必要があるのは誰か?ということだ。 規格外の野菜を排除するのはそれが高く売れないから。 人間の場合も規格外の人は使いにくい。 大量生産大量消費時代には均質な「商品」が求められる。 労働力も言ってみれば商品のように価値づけされる。 組織への貢献度が高いほど高い価

          発達障害という言葉は誰のためのものか?