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これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ(1)〜ダークマター・ダークエネルギー

少し前に図書館で「死は存在しない〜最先端量子化学が示す新たな仮説」(田坂広志著)という本を借りて読んだ。
直感的に興味は持ったものの、死は存在しない、というタイトルから買うのは迷って、とりあえず図書館で借りてみようと思ったら100人以上の予約が入っていた。

かなりの時間が経ち忘れていた頃にようやく順番が回ってきた。

読んでみたら、死は存在するか、という問題よりも、これまで宗教やスピリチュアルで語られてきたことを最先端の量子化学で説明するとどうなるか?という話だった。

著者の田坂広志氏は原子力力学を専門とする工学博士ということだが、数々の不思議な体験を通して、宗教と科学の間に橋を渡すことがこれからの重要な課題だ、と思うようになったという。

量子化学自体がなかなか理解が難しく、私が説明することは出来そうにないのでここではしない。
ただこの宇宙には物質以外にダークマターとかダークエネルギーという未知の存在がかなり多い割合で在ることはすでに最新の科学で証明されていることだと思う。

ダークマター、暗黒物質(あんこくぶっしつ、英: dark matter、ダークマター)は天文学的現象を説明するために考えだされた仮説上の物質。 ”質量を持つ”、"物質とはほとんど相互作用せず、光学的に直接観測できない”、"銀河系内に遍く存在する"といった性質が想定される。

ダークエネルギー(ダークエナジー、暗黒エネルギー、: dark energy)とは、現代宇宙論および天文学において、宇宙全体に浸透し、宇宙の膨張を加速していると考えられる仮説上のエネルギーである。2013年までに発表されたプランクの観測結果からは、宇宙の質量とエネルギーに占める割合は、原子等の通常の物質が4.9%、暗黒物質(ダークマター)が26.8%、ダークエネルギーが68.3%と算定されている。
(各々wikipedeaより引用)

ダークというのはこの直接観測ができない、という部分を表していて、別に暗かったり黒かったりするわけではないらしい。

どうもそのダークマターとかダークエネルギーが物質を作り出す源になっているらしいということもわかっているとのこと。

そのテーマのドキュメンタリーを見た時、あれ?それってほとんど神じゃない!と思ったものだ。

別の言い方をすると私たちが暮らしている”この世”より次元が上なのがこのダークマター・ダークエネルギーの世界なのではないかと私は解釈している。

これを宗教やスピリチュアルでいうと神だったり高次の存在ということになる、というなら、別に驚くことでも不思議なことでもなくなりはしないだろうか?

蟻には地面の他に宇宙があることなど考えもよらないだろう。

人間もその蟻とどこまで違うと言えるだろう?

私たちは宇宙が広大だということまでは知ることができる。でもその宇宙がどこまで続いていて、その宇宙の果てはどうなっているか?まで考えることはできない。
宇宙科学者はいろいろ仮説を立てるかもしれないけれど、仮説はどこまでも仮説だ。

計算の上で整合性があったからと言っても、もし前提が間違っていたら全部間違いということになる。

科学には実証が前提になっているけれど、全てを見ることができない人間にどうして全ての実証が可能だろうか?
死んだ後に意識がどうなるか、だって科学で説明しようがないのだから。どんなに科学が発達しても最後のところは科学的証明は不可能だと言うことをそろそろ科学者も悟るべきなんじゃないかと思う。

宗教と科学の間の橋渡しが大事になる、という田坂氏の論は私にとってはすごく真っ当な考えな気がするのだ。

宗教は近代科学が発達するはるか前から、今ようやく科学がたどり着いたことを知っていた。
ブッダは世界は究極には微細な同じものでできていると言った。
同じことを科学が証明した、つまり、現代物理学で素粒子が発見されたのは20世紀も半ば過ぎてからのことだ。

ブッダは古代インド思想の探究と瞑想だけでそれを知るに至ったのだ。

なぜそれが可能だったのか?

それは宗教的あり方がこの世を超えた世界とつながる方法論を持っているからだと思う。

どんなに科学が発達しても、左脳的な分析や計算や実証だけでは人間が知り得た同じ分だけ不可知の世界が広がる。

科学が持つ限界を忘れてそれが全てだと思った途端に世界を見る見方が歪むことになるだろう。世界の一部を持って全体とすることになるのだから。

そこで必要になってくるのが宗教的な世界の捉え方だ。

ここで言う宗教的と言うのは既存の宗派的な宗教ではない。

どこまでも科学が覆うことができない、見えない世界をどうとらえるのか?と言う方法論だ。

科学的観察をしているのは人間の意識だ。

その、意識とは何か?

その意識を持っているものは誰なのか?

つまり、私とは何なのか?

そのことを知らずして、あるいはそのことをカッコに入れて話をしても、永遠に真実には辿り着けないだろう。

科学は哲学や宗教と手を結ばない限り、永遠に真実には辿り着けず、真実の周りをぐるぐると回り続けることになるのだと思う。


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