EL XACHAPURI'O

ジョージア語とバスク語の手書きの詩人 - 重力と禅を探して作品製作 EL XACHAP…

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ジョージア語とバスク語の手書きの詩人 - 重力と禅を探して作品製作 EL XACHAPURI'O(エルハチャプリオ)https://www.elxachapur.io/ - 会社員@典型的日本企業

最近の記事

ゼロからはじめた手書く詩人 #3.5

ゼロからはじめた手書く詩人です。 少し前からジョージア語とバスク語での手書きの詩人をはじめています。 その詩の回想回、「.5(ポイント・ファイブ)」です。 ここでは#3を回想します。 デジャブ灯台 (#3)と言う詩をジョージア語とバスク語で書きました。そのジョージア語の詩の中に、既視感を覚える文字列が! まずはその文字列(踊る)を見てください。 正確を期するなら既視感(デジャブ)ではなく、”現実に似たものを見た事実があり、それを思い出した”。 それが青木繁の「海の幸」。見

    • ゼロからはじめた手書く詩人 #3 灯台

      ジョージア語とバスク語での手書きの詩人をはじめた。これが3作目の詩。両言語の知識がゼロから始めている。翻訳サイトに日本語を入力すれば言語の壁を超える。そして書く、書く、書く。 文字の手書きは楽しい。 今回は初めての文章形式。ここで問題が発生。どうやら、”あなた”を主語にしたせいで、命令形と捉えて翻訳しているらしい。どうやって気づいたかというと、日本語→ジョージア語→英語、としたら命令形になった(英語の命令形は分かりやすい)。バスク語でも同じ様子。それ以外にも、どうやら過去形

      • ゼロからはじめた手書く詩人 #2.5

        ジョージア語とバスク語での手書きの詩人をはじめた。 先に公開したジョージア語詩(#2)を自ら見ていて気づいた。不自然なスペースがあることに。 このスペース、何だ? Pが付いていない等幅フォントみたいになっている。不自然な空間、センスのない隙間。リミナルで廃墟感が漂っている。詩には必要がないスペースだ。 そして、次に見てもらいたいのは、練習風景↓ 練習でいろいろなスタイルをトライしているが、どれにも問題となる不自然なスペースはない。ノー・リミナル。 本番に迷いが出た。し

        • ゼロからはじめた手書く詩人 #2

          ジョージア語とバスク語での手書きの詩人をはじめた。これが2作目の詩。 両言語の知識がゼロから始めている。翻訳サイトに日本語を入力すれば言語の壁を超える。日本語を類語に変えたり、単語だけにしたりして、単語の対応や文の構成を知識として手に入れる。そして、書いて、書いて、書く。手が痛くなったら終了。数時間後にまた書く。また痛くなったらまた終了。翌日また書く。 文字の手書きは楽しい。 ジョージア語私はジョージア語のアルファベットの学習はしていない。R(丸いところ)だらけの文字は、今

        ゼロからはじめた手書く詩人 #3.5

        マガジン

        • ジョージとバス(手書きの詩人)
          7本

        記事

          ゼロからはじめた手書く詩人 #1.5

          ジョージア語とバスク語で詩を書いています。ジョージア語は、現段階ではほぼ絵なので、左に書いた字を、右に写し、身体に覚えさせています。過去の自分を真似し、過去の自分を修正し、過去の自分をアレンジし。過去よりも下手になったり、下手かどうかが分からなかったり。でも、書いて書いて書く。練習あるのみ。 例えば↓ 練習の一風景。完全に絵か記号です。 五十歳に半歩手前の私は脳が働きを休み、すぐに過去をなかったことにするので、綴りも発音も記憶が短期間しか保てない。でも不思議と身体は覚えるの

          ゼロからはじめた手書く詩人 #1.5

          ゼロからはじめた手書く詩人 #1

          知識と経験がないゼロの状態から、ジョージア語とバスク語で詩を手で書きはじめた。未知の言語で詩を手書くのは、非常に楽しい。何度も何度も、書く、書く、書く。一文字を構成する一タッチ、一スライドが脳を刺激する。 初めての詩がこれ↓ 題名をつけるほどの長さではないので「WORK-1」とした。 元の日本語はこれ↓ 詩以外の活動はここのサイト↓

          ゼロからはじめた手書く詩人 #1

          ゼロからはじめた手書く詩人 #0

          五十歳になる前に、新しい何かに挑戦したかった。 ゴミを拾うはじめに思いついたのはビーチクリーン活動。海のプラスチックゴミは大きな問題になっている。我が家は海まで歩いて半時間ほど、散歩適正距離である。いろいろな欲求が満たせそうだった。 曇った日曜日、現場視察に行った。松林を抜けて海岸に出ると、海風がひと吹きで薄い汗を潮のベタつきに変えた。”海にきた”という高揚感、私は裸足になって砂浜を波打ち際まで歩いた。波は穏やかだった。親子と犬がいた。水平線の先にも空が続いていた。砂浜に

          ゼロからはじめた手書く詩人 #0

          函南駅前から

          ◆東海道線が熱海駅を出発した。窓の外、トンネルの暗転がいくつか繰り返された。そしてわたしが下車したのは函南駅、日曜日の午前9時より少し前。ホームを歩いているのはわたしだけ。日当たりは良好。空気の透明が冷ややか。幸先は良好。 ◆二つ並んだ改札の左側を通った。顔見知りでもない駅員と会釈を交わす。太陽光に引き寄せられる。呼吸を止め、大股に数歩で駅舎を抜けた。光が一瞬で全身と五感を覆った。呼吸再開。遮るものがない。高層ビルどころか低層建築物すらない。商店街どころかシャッターの下りた廃

          函南駅前から

          片端を着色した熟竹

          (日本語訳) 竹に閉じ込められた炭素が叫び、 重力に沿って縦に裂ける 閉じ込められた炭素が叫び、 緑色が濃くなる また炭素が叫ぶ 少し薄い色に取って代わられる まだ叫び足りない 黒色が重力で雨となる それは炭素だけに許された黒色 五感的無菌な都市生活空間には熟した竹の居場所はないのだが、 端面を人工的紫色に塗して、 そこに割って入る リミナル空間で竹が叫ぶ

          片端を着色した熟竹

          片端を着色した熟竹

          手間と暇。竹が熟すのが暇であり、端部を着色するのが手間である。手間と暇を英語にするとEffortとTime、英語の方が直感的に理解できるかもしれない。暇をかけることで神が宿り、手間をかけることで人が宿る。Liminal Object、境界の物体とでも訳せばいいのか。ここでも英語の方が説明としてはしっくりとくる。しかし紛れもなく和な存在であるから不思議である。 試しに、神と人の境界に立つその物体に一輪を投げ入れた。

          片端を着色した熟竹

          今日の寿司 「高粘度」

          前菜のための2貫の寿司と箸休め、名称は高粘度。左上がウニの握り、左下がイクラの握り、右上が煮大根に黒豆を乗せて、右下がタクアンと生ハム。ウニとイクラはまとわりつく。鼻、口、ご飯、舌、脳の知覚と、あらゆるものにまとわりついていく。ウニはウニであり、イクラはイクラであり、もちろん私は私である。しかしこの前菜の後では、私とウニ、私とイクラの境界は曖昧と言わざるを得ない。

          今日の寿司 「高粘度」

          今日の寿司 「赤のその先に」

          これらは前菜のための3貫の寿司、名称は赤のその先に。左から順番に、マグロに桜葉を乗せて、マグロに醤油漬けカイワレ大根を乗せて、マグロに黒豆と筋子を乗せて。マグロの赤色の照りは、透明でも半透明でもない。輝きは近くにも遠くにも感じ、西洋的遠近法は成立していない。その赤色の先には、いい黒色がある。甘味が黒色と同一となり、遠くでも近くでもない無距離の場所にある黒色に吸い込まれていく。その黒色の奥にあなたは立つことができるはず。

          今日の寿司 「赤のその先に」

          今日の寿司 「さくらいろ」

          これらは前菜のための3貫の寿司、名称はさくらいろ。上は赤鯛をおろしポン酢で、左は赤鯛の桜の葉締めを岩塩で、右は菜の花の塩漬とおろしポン酢、下の2貫は塩漬けした桜の葉に乗せて。桜の葉の漬物を体験したことがありますか。唯一無二の香り。桜の花のピンク色が淡いのに激しいように、その葉の香りも単純にはカテゴライズさせてはくれない。”さくら”という体験である。日常の前提を捨て去るのに、私は桜の葉の香りほどの存在を他には知らない。この神の領域を指で掴んで味わって欲しい。

          今日の寿司 「さくらいろ」

          今日の寿司 「点と赤と」

          これらは前菜のための3貫の寿司、名称は点と赤と、縁起良く白に赤を纏わせました。日本では正月に四つ足を食べない風習があり、この牛肉の3貫は正月が明けた今に相応しいでしょう。すべての具はローストビーフで左から順に水戻し黒豆と岩塩、コチュジャン、アルガンオイルを塗った黒と赤の粒胡椒と岩塩を添えています。本格的な2024年の幕開けに相応しい肉の食感の向こうで、米粒がほぐれて解放され、酢だけが有する独特の酸味が広がっていきます。 ところで牛肉を強く噛んで赤みが舌から体の全体に広がって

          今日の寿司 「点と赤と」

          今日の寿司 「小正月の赤色」

          これらは前菜のための3貫の寿司、名称は小正月の赤色、縁起良く赤い色を食べるのが日本の風習です。左から順に、鱈子と大根おろしの和物、鰹と新生姜の漬物、鰹と大根おろしポン酢。すべてにゆず皮を擦って振りかけて。この季節にゆずが欠かせないことは言うまでもない。赤の高い粘度の遅い時間の進み、三者三様の酸味の軽やかさ。その重力の不在が口の中から脳へ体へと支配を進めているうちに、一年を開始しましょう。

          今日の寿司 「小正月の赤色」

          今日の寿司 「SMELLS LIKE」

          これらは前菜のための3貫の寿司、名称はSMELLS LIKE、脳の過去のどこかで誰かが立ち止まる寿司です。その仕掛けはゆずの香り。奥から順に、鮑肝の醤油煮に長葱、数の子の西京漬、鮭の燻製に梅干、すべてにゆずをのせて。手を使うことを躊躇うことはないはず、ゆずの香りほど手を使うに適した寿司はない。ゆっくりと口に運ぶことを推奨します。冬の寒さで頭や肩に重苦しい重力が解放され、清涼な残り香だけがそこに残ります。

          今日の寿司 「SMELLS LIKE」