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ゼロからはじめた手書く詩人 #0

五十歳になる前に、新しい何かに挑戦したかった。


ゴミを拾う

はじめに思いついたのはビーチクリーン活動。海のプラスチックゴミは大きな問題になっている。我が家は海まで歩いて半時間ほど、散歩適正距離である。いろいろな欲求が満たせそうだった。

曇った日曜日、現場視察に行った。松林を抜けて海岸に出ると、海風がひと吹きで薄い汗を潮のベタつきに変えた。”海にきた”という高揚感、私は裸足になって砂浜を波打ち際まで歩いた。波は穏やかだった。親子と犬がいた。水平線の先にも空が続いていた。砂浜にはいろいろなものが散らばっていた。それらを眺めながら歩いた。海藻、流木、海藻、流木、海藻、海藻、貝殻、ペットボトルのフタ。とりあえずそのペットボトルのフタを一つ拾った。

想像と違っていた。海岸はプラスチックゴミに溢れている訳ではなかった。そして砂から見れば、ペットボトルのフタよりも海藻や流木の方が異質な気がした。日本の地方都市の観光地でもない海岸はビーチクリーン活動には向かなかった。

詩を書く

社会がどうとか、徳がどうとか、地球がどうとか、そういう俗物は諦めた。そして次に思いついたのが詩を書くこと。それも未知なる外国語で。選んだのはジョージア語とバスク語。私は両方とも未経験で無知識、完全ゼロ状態である。

私は練習用にノートと万年筆、清書用に画用紙と太ペンを買った。五十になる前に準備が整った。

ノートと万年筆

日本語で詩を作る

まずは日本語で詩を作った。

私と山
私と静寂
私と風
私と熱病

作品1

完全ゼロからのスタートなので、単語や構造、内容などあらゆる面からのシンプルさを心掛けた。シンプルより稚拙という言葉の方が当てはまるかもしれない。しかし稚拙を気にするのは、ずっと先の話。

翻訳サイトが容易に言語の壁を超える

Google翻訳のサイトを開く。この活動を成り立たせるのは、誰でも無料で簡単に使える翻訳サイトの存在。サイトは日本語だし、翻訳はジョージア語とバスク語にも対応し、自由に日本語と行き来できる。仲の良い外国人の友達と雑談するかのように、一日中でも遊べてしまう。

「私と山」と日本語で打ち込み、翻訳先にジョージア語を選択、自動に翻訳が実行される。「მე და მთა」と出てきた。丸っこい。すべてが丸い。とにかく独創的。私には字として認識できない。読めない。でも書くのが楽しそう。

「私」で翻訳、「and」で翻訳、「山」で翻訳、それぞれの単語の対応が分かった。「მე და მთა」は左の単語から、「私」「と」「山」らしい。別途、ネット検索をして、ジョージア語には大文字小文字の区別がないことを知った。

初めてのジョージア語を書く

手書きの文字をネット検索して調べた。手書きになっても丸い。

練習用のノートを開き、「მე და მთა」を見よう見まねに書きはじめた。正確な発音が分からずとも書ける。書く、書く、書く。一字一字に集中して書く。文字を書くと言うより、記号や絵を書くような感覚に近い。このジョージアの文字は書いていて楽しい。大小のRは、ゆっくり書いても素早く書いても、それぞれに心地良い。ペンが紙を滑ると指先が刺激され、文字と脳が接続する。インクの濃淡が脳を刺激する。ジョージアの文字は詩的だ。

私は自分で書いたジョージアの文字を見ても良字か悪字かを判断できない。それをコメントしてくれるジョージア語ライターの知り合いもいない。頼りは個人的な美しさやバランスの感覚。

続きの文を翻訳し、ジョージア語を書く、書く、書く。手首から先の節や筋肉がこわばってくる。全身から指先まで力を抜いて、こわばりを緩め、滑らかを意識して、書く、書く、書く。R、R、R。

私と山、ジョージア語でムダマタの練習、ページいっぱいにムダマタ
ムダマタの練習の続き、ページいっぱいにムダマタ
ムダマタの練習の続き、ページいっぱいにムダマタ
ムダマタの練習の続き、ページいっぱいにムダマタ
ムダマタの練習の続き、ページいっぱいにムダマタ
私と熱病、ジョージア語でムダツヘレバの練習、ページいっぱい
ムダツヘレバの練習の続き、ページいっぱいにムダツヘレバ

初めてのバスク語を書く

「私と山」をバスク語に翻訳すると、「ni eta mendia」と返ってきた。この文字は読めるし、書ける。ジョージアを通り過ぎているので、意味なんて気にならない。字が読めるだけで嬉しい。文字が読めることがこれほどに有難いとは、すっかり忘れていた。カナと漢字を持つ日本としては心苦しい。「ni eta mendia」は、左から「私」「と」「山」に対応していた。この構成は日本語もジョージア語もバスク語も同じ。続きの文も翻訳した。そして練習用ノートに書いてみた。これはこれで書くのが楽しい。書くのは楽しい。

気づいたことがある。私が練習に使用しているのは万年筆なのだが、この両言語と相性が良い。